宇宙神道 正神崇敬会の書籍の内容紹介 「霊障からの救い」笹本宗園著 第四章

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「霊障からの救い」笹本宗園著 第四章

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第四章 神霊とのむすび
神霊界の実相

神霊界が存在するという事実については、古今東西の聖賢、霊能者によって多角的に説かれております。これは宗教の世界では勿論のことながら、最近では心霊科学の分野でも広く神霊世界のことが認識され、理解されております。そこで神霊界の実相についてその一部を紹介してみましょう。
日本の古神道では、神霊界の最高を七次限界とし、この最高の神界を隠身(かくりみ)界とよび、宇宙の大元霊自体の神としています。次の六次限界を仮凝身(かごりみ)界とよび、宇宙創造の神業をなされた神界としています。次の五次限界を燿身(かがりみ)界とよび、宇宙統治の神界と教えています。さらに、次の四次限界を駛身(かけりみ)界とよび、第三次限の生成化育を司る自在神の神界と教えています。次の三次限界を限身(かぎりみ)界とよび、この世界の代表が人間であるとしています。神霊界は奥深いものであると思います。
また、日本における神道霊学における中興の祖と仰がれる本田親徳師と、その後継者、長沢雄楯翁の説によれば、神霊界は百八十一の段階に分かれているといわれます。しかも、神霊界には正神界(善神界)と邪神界(妖魅界)があり、正しい精神であれば正心に感合するし、邪心をもつと邪神に感応すると説かれています。高い霊覚者の教えでありますから大変貴重な内容です。
仏教では、霊界を極楽(天国)、中有界、地獄と三区分しています。現界は中有界に当ります。されにこの三界を上、中、下と三つに分け、それぞれ極楽の上、中、下、中有界の上、中、下、地獄の上、中、下と、九段階に分けているのです。
神霊科学界の重鎮、浅野和三郎氏の翻訳になる「死後の世界」(J・S・M・ワアド氏著)や、同氏訳の「永遠の大道」(ジエラルテイン・カムミンス著)などによると、宇宙間には七つの世界があり、七つの世界にはさらに中間の世界があって、霊魂の浄化に伴い低い世界から高い世界へ上ってゆく仕組みになっていると教えられています。
心霊科学界では、これらの世界を最も簡単な区分としては、高い方から、神界、霊界、幽界と三つに区分しています。簡略であるために判りやすいので、一般的な認識上では却って好都合な分け方であります。
区分の仕方は色々あるにせよ、神霊界、心霊世界があることは厳然とした事実であり、またこの世界は高級神霊が創造されて運営管理なされていることも確かなことであります。
私ども人間の目は、一般的には幽界すら見ることができません。しかし、霊格の高い先人達が教えてくれた、隠れた世界の構造とはたらきに対して謙虚にならなければならないと思います。そして神界、霊界、幽界を統治される神々と、その理に従うことが大切なことであります。

守護神の自在なはたらき

人には守護神が付添って守護されることがあります。守護神とは守護霊とは別で、神界から特別に派遣された守護の神霊であります。ある人の霊格が高まって心境が澄んで参りますと、神界のご意向によってその人に守護神が派遣されます。
守護神には、もともと神霊であられた神々、もとは人霊であられたかたで、現界、霊界で修行を積まれて神界入りした方々、自然霊であって修行を積まれて高級眷族となり、さらに向上されて神界入りした方々など、様々な神がありますが、その霊格は非常に高いものであります。
守護神は、高級神界、たとえば天御中主神界、天照神界、月読神界、素盞鳴神界、大国主神界、猿田彦神界等々に属しておられ、これらの大神様に直接お仕えしている主要な方々であります。なかには、大神のご分霊ともいうべき非常に高貴な方々もおいでになられます。これらの神が、神界のご意志によって、人間の側では知らないでも個人につき添って御守護下さるのです。
人を助けるとか、霊を救う仕事にたずさわる人々には、神界の目的に直接に符合しますので、守護神がお越し下さることが多いようです。神霊からもれ承わったところによると、霊格の高い神職の中には十柱以上に及ぶ守護神がおいでになる方々もある由です。
守護神は、その人の霊格によってつかれますから、現実的に高い地位にいるとか、財産が多いからとかいう様な尺度ではかることはできません。それは一致することも、そうでない場合もあります。要はその人の心境、人格の高下に関係するものです。
守護神は霊格の高さと大きな霊的能力をお持ちでありますから、その守護力は非常にすばらしいものです。例えば、本吉嶺山という有名な霊能者が出現されて大変な霊能力を発揮され、数多くの救いをなされましたが、この能力は天空霊神様という守護神の力によるものでありました。本吉嶺山師の霊能を利用しようとして、欲ばったことをお伺いすると、途端に天空霊神様が立ちのかれて狐狸の類が入り、お伺いはトンチンカンになったという笑話もあります。高級神霊は度をこした我欲には加担なさらないのです。
しかし、人のねがう正当な必要というものはよくご存じでありますから、ことさらに願わずとも、先の先まで見越してその人のためになるよう配慮され、生活、職業、精神面のこと一切について、万全の措置をとって下さるものです。
私どもが正しい神の心を心として生きようと努めるとき、神界のご裁量で有力な守護神が必ず派遣され、守護されるものです。
私の守護神様は、現在天空霊神様を含め六柱の神々がお越し下され、日夜大きな御守護を頂いております。まことに勿体ないことと痛感しています。

守護霊はよき先導者

守護霊とは、本人に一番身近かにつき添っていて、たえず背後から本人を導いてくれる守護の霊であります。守護霊は本人の先祖霊が多く、三百年から数百年以前に亡くなられた方で、長年霊界で修行を積まれてきたものです。
守護霊は人間が生れると同時につかれるもので、誰にも必ず一柱づつついております。自分は不幸が多いから守護霊はいないと思ったら間違いです。守護霊には守護霊の活動を助ける補助霊がついており、細かなことを分担しておこなっています。
守護霊の霊的レベルは自分より少し上位の方であって、日常の生活万般にわたり先導者の役目を果たしてくれます。きめ細かく本人のことを考えたり、注意したり、導いてくれるものです。よい兄さん、姉さん格の方と考えたらよいでしょう。
守護霊は、男性には男の守護霊がつき、女性には女の守護霊がつかれます。そして、本人の性質や能力に近い方がついているものです。私のところで経験したもののなかに、元気のよい管理職の方に有名な武将の守護霊がついていましたし、優雅な奥さんには万葉の女流歌人がついておりました。
守護霊は時に変ることもあります。これは、本人の人格が向上したり、能力が向上したりして、今の守護霊の力では充分な指導や守護が果たせなくなった時です。こうなると、より霊格の高い、能力のある者と交替するのです。そして、本人の向上を一層促進できるように配慮されるわけです。
守護霊の性質や能力と本人の性格や才能とが似通ったものが多いといわれますが、これは、守護霊がやや上位の者がつくということと、守護霊の力がたえず本人に及んでいるために、非常に似たものになってゆくのでしょう。
守護霊はたえず本人を見守り、引きたてるために努力されています。人が眠っている間も間断なく守護の役目を果しています。大変な任務を遂行されいるわけですから、日常のことを意識して感謝する心をもたねばなりません。守護霊様ありがとうございますという祈りは、守護霊を大変喜ばせるものであります。
守護霊は現界人を守りますが、それ自体が守護霊の向上のための修行になっているものです。本人が確かりして努力し成長すれば、それは守護霊の功績になります。私どもの想いとしては、守護して頂くとともに、守護霊さんの成長を支えるのだという心の配慮をすることも大切です。そして、霊界の守護霊と現界の人とが一緒になって、共に修行をしているという自覚と心掛けが必要であります。
神仏を崇敬したり、先祖祀りに努めますと、守護霊はより一層勇まれて能力を発揮されます。よい先導者である守護霊に親しみ、そのよき導きを充分にうけてゆきたいものであります。

霊能者について

霊能者についての認識が最近急速に高まってきつつあります。テレビによる影響が非常に大きいと思いますが、ここで霊能者について若干述べてみましょう。
霊能者とは霊的能力のすぐれた人であることは皆さんもよくご存じの通りです。霊的能力には、霊視、霊聴、霊言、自動書記、霊感などの心理的な能力と、物品浮揚、物品移動、物品引寄せ、念写などの物理的能力があげられます。このような能力には低級霊によるものがかなりあります。
これらの霊的能力とやや趣を異にしますが、より高い霊能として治療霊能力があります。これは病気を治す霊媒能力です。治療能力の殆んどは高級神霊からくるものです。
霊能者といっても能力は色々違いがあり、それぞれ特長があるものです。霊視能力があるからといって霊聴もできるとは限りません。特に心理的な霊能力者と物理的な霊能力者とは別のケースが多いわけです。大概のことができるという霊能力者は極めて稀で、すべてできるという霊能力者は現存していないと思います。
霊的能力の強いということと、霊的能力が高いということは別です。世間一般では、強い霊能をみますと高いものと思ったりしますが、これは大変な間違いです。霊能力の強さというだけでは落ちた眷族霊など低級な邪霊でもかなり強い霊力をだしますから、このような霊に憑依された霊能者はかなり色々なことをしてみせるものです。素人の方は勘違いしやすいので注意すべきところです。
霊能力があるからといっても低級な霊格によるものでは何にもなりません。長い目でみると害を招くことも多いのです。霊格の高い霊能はあった方がよいわけですが、霊格の低いものは色々と本人の大きな負担になることが多いものです。ですから、霊能のある人はその霊格を高めるよう大いに努力せねばなりません。霊格を高めるには想念の向上に努め、魂に磨きをかけることです。
私の所には霊能を開発された人々が数多くおります。霊言、霊視、霊聴のできる人が多いのですが、中には霊夢の当る人がおります。これらの人々の中には霊能が開発されたことを非常に喜ぶ人もおりますが、私はこのような霊能をみだりに使わぬこと、自分で勝手にやらぬ様に注意し、固く戒めています。霊能者は低級霊の侵略にたえずさらされているといってよいのです。
例えば、霊言のできる人が自分で霊をだして話しあう様なことをすると、こういうことに興味をもつ低い霊にねらわれやすいので、若し入りこんで来た時はどうにもならなくなることがあります。陳入者が立去らないで、家人が戸迷うと精神病院へかつぎ込まれないとも限りません。霊視、霊聴の場合でも、興味を持っている「落ちた白狐霊」でも入りこむと、浄化するのに大変手間をとることになります。霊能が開発されたからといって、むやみに用いることは危険なことであります。いたずらに霊能を弄ぶことは、コックリさんあそびと同様、非常に警戒すべきことです。

審神者(さにわ)とはなにか

審神者ということばに初めて接する人も多いでしょう。これは霊学霊術上の専門職名のことです。同じ霊術者でも、行者、霊媒、巫子などは多分に耳なれたもので、接することも屢々あるでしょうが、審神者というと、一体何をする人だろうかと疑問をお持ちになるにちがいありません。
審神者とは、一言でいえば霊を取り扱う専門家のことです。第一に霊の取り扱、処置が出来なければ審神者とはいえません。霊の取り扱ができるということは、霊媒や、霊的素質のある人に霊を呼んでかからせる能力をもっていることです。これを招霊能力といいます。
第二に、霊媒者にかかった霊がどういうものか、対話したり訊問したりして判別する力をもっていなければなりません。それには、神界の深い知識、霊に関する広い知識をもっていることが必須のことになります。この総合的な判別能力が必要となります。
第三には、霊が低級な邪霊であったり、害をなすものであった場合は、これを霊縛(しばること)したり、説得したり、除霊したり、送りだすなどの処置をとらねばなりません。これらの責罰力、説得力が必要です。
霊の世界は正しい霊とともに邪の霊もおりますし、高級霊ばかりでなく低いものも数多く住んでいますから、招霊した場合は油断も隙もありません。隙があれば低級霊が寄ってきて邪魔をすることがあります。
さきに、私のところでは霊能開初のできた者に自分で勝手に霊媒行為をしてはならないと固く戒めていると述べましたが、率直にいえば、審神者がいないで霊媒行為をするのは大変に危険なことだからです。
審神者は、主導的に霊を招き、監視し、判別し、処置しますから、少しでもおかしいことがあれば問責し追究して霊媒を危険から護ります。霊媒は霊に対して受身になりますから、悪い霊にやられると処置がとれなくなります。審神者なしで霊媒行為をしている人々も少なくないようですが、大変危険なことといわねばなりません。
審神者は例をあげるならば、野球の監督と審判を兼ねたようなものです。充分な知識と経験をつんで、積極的に選手に当る霊媒を引張ってゆかねばなりません。大変な責任のある職務なのです。
審神者となるには、自分の勉強も大いに修業せねばなりませんが、それ以上に神界との縁が緊密でないといけません。つまり、守護神との結縁がしっかりしていないと、この職務はつとまりません。審神者の能力は、本人の力と、それ以上に高い神界のお力を借りなければ、諸々の霊的処置はできないからであります。
ですから審神者となるには、一般霊媒以上に想念向上と霊格の高揚につとめ、高い神界からのお墨付きを頂いていないとつとまらないのです。審神者は真の高級な霊能者でないとなれないのです。
従って、霊媒としての適格性をもつ霊能力者は世間に比較的多くおりますが、審神者として立派な適格者は非常に少ないものです。存在していても探しだすことは極めて難しいといってよいでしょう。それは、霊媒者のように一見華やかな面をもっているような人が少なく、どちらかといえば地味な方が多いからです。真の神仕えの人は人間的な派手さを避けることの大切さを心得ているからでしょう。
現在、私が理解する範囲で、審神者として立派な方は、本田霊学の直系の後継者である顕神会会長、佐藤卿彦師、霊学霊術の大家宇佐美景堂師、また、有名な物理霊媒竹内満朋氏を育成されたことで有名な、菊花会会長の小田秀人氏、救霊の実績豊かな㈶日本心霊科学協会の大西弘泰氏などをあげることができます。これらの方々は神からご覧になれば、超霊媒能力者の資格を付与せられた人々であると思います。審神者は真の神人でないとなれないと思います。
特定の宗教団体のなかにも隠れた優秀な審神者が少なからずおられると思いますが、宗教というベールのなかにいることから、世間的には知られる機会を得ない方もあると思います。神道系のものにはかなりおられると思います。仏教系では天台宗、真言宗などの密教系のもの、日蓮宗系のものの中に多いと思われます。
かくいう私も、市井の一審神者として神に仕え、人格の因縁浄化と救霊に努めている者の一人であります。審神者は、霊術霊能に関して一般霊媒者よりも遥かに重要な存在であります。

高級神霊とのむすび

神は根源としては一であると説かれています。日本神道では天御中主大神が根源神であるとされており、キリスト教ではエホバの神、イスラム教ではアラーの神、仏教では梵天、儒教では天などとよばれる神仏であります。諸々の神典によればこの根源にして元なる神が宇宙創造のご意志を発せられて、まず諸々の神々を産みなされ、次いで永い年月をかけて宇宙、自然の万物、人間を順次産まれたと説かれています。
日本の古事記や日本書紀をひもどきますと、天地創造には国常立大神をはじめとして、伊邪那岐大神に至るまでの、諸々の大神様が創造に関与されたことが記されています。創造のあとの統治については、天照皇大神が宇宙を統治され、月読大神、建速素盞鳴大神が宇宙のすべてを分治なされていることが述べられております。
そして、さらに、この御三神の統治の下で多くの神々が宇宙、自然、人間の運営管理のために職務を分掌されて活動している様子が述べられております。
神道と仏教の歴史をみますと、両者は争いあったり、時には鎮静したりして持続してきましたが、それは宗教の間の問題であって、神仏そのものの争いではないと思います。仏とは神の変化したもので、神が仏の姿をとって現われたものです。この理を知らない人間が、神と仏とは全く別のものと考えて、宗教的対立の形で争ってきたわけです。
天照皇大神は仏としての現われの御姿は毘沙門天(びしゃもんてん)となり、大日如来となります。正八幡大神は十一面観世音となり、春日大明神は如意輪観世音となり、加茂大明神は不動明王とならい、稲荷大明神は愛染明王となり、丹生大明神は阿弥陀如来となり、日天子は弥勒菩薩となり、摩利支天は文殊菩薩と化して顕現されているわけです。宗教宗派が対立し抗争している姿は現象界のあちこちらにみられますが、それらは低い人間界の次限のことで、高級神霊界では問題にならないことです。
神は愛であり、仏は慈悲であるといわれます。一部の宗教家や神学者は殊更に両者の差異をひろいあげて、愛の概念が高いとか、慈悲の思想が深いとかいって居りますが、救霊の実践段階ではどちらも同じものと思ってよいでしょう。違いがあるという論理の方が大極的な観方を失っていると思うのです。
神仏は同一体であると思います。弘法大師や日蓮上人は、伊勢の天照皇大神を尊崇されたことを現在の人々の中には知らない人が余りにも多いのです。もしこの事実を知っているならば、宗教同士の誤解や抗争は著しく減少することでしょう。知らないということは誠に罪深いことになります。
人間は神仏の分霊が入っているといわれます。人間の霊はもともと神仏の大生命がわかれて肉体に宿ったもので、本来は水晶玉の様に曇りのない清らかなものです。ところが、現界に肉体の衣をまとって生れてくると、物質世界の重い波動の次限に入るために穢れがつきやすくなります。物質世界で生きるためには様々な欲望がつきまとうようになるからです。
しかし、神様は元々人間を創造なさる時に、物質界の中でも欲望に汚されることなく霊的な純粋性を保って、地上に神の望まれた神人和楽の天国をつくるよう期待されているものです。
ところが、アダムとイブの物語りにもあるように、物質界に誕生した人間は、欲望のとりことなってしまって禁断の木の実を食べてしまうのです。人間のもつ原罪というものはもともと神界からもってきたものではありませんが、現界に入った人間が欲望に負けて穢れてしまった姿です。
高級神霊は、このように罪穢に染まって霊魂を曇らせてしまっている人間を、速やかに反省するようにと様々な教えをもって地上に呼びかけられたり、祓い清めによって救けあげようと日夜大変な配慮をなされております。
人間がこのことに気付いて、自分の想念と行為を心から反省して神の心に添うように努めるならば、高級神霊は人々を救けようと待ち構えておられます。
高級神霊は人格的でありますが実体は高いレベルの霊体です。光です。非常に高い次限の想念体といってもよいでしょう。私達人間が高い心になって高級神霊に心の波長を合わせようと努めるときは、神は守護の力をもって必ず救いの手をさしのべてくれるのです。
私達は現実生活の中で物質による生活を営むのは当然ですが、人間の本体は霊魂であって肉体は一時借用の着物にすぎないものです。この世にいる限り着物も大切ですが、霊魂は永遠に大切なものです。外の衣裳にとらわれて内にある霊を汚しては何にもなりません。人間は本体である霊魂を大切にして、高い霊体である高級神霊と常にしっかりとむすびあい、霊魂向上に努めることが至福に至る道であります。
日本の古事記や日本書紀にでてくるご神名の神々は今でも活々とご活躍なされています。月読大神、佐田彦大神(猿田彦大神)、少那彦名大神など大神様のご出現を頂いたことは、私にとって大変恐れ多いことでした。
日本の古典は単なる文学に止まらずして、活々と御活躍なされた神々の実話そのものなのです。私達が心を澄ませて神々にまつろえば、神々の高い霊的波長は私達の霊魂に直結するのです。

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