昭和57年6月中旬のこと、N市に住むSA子さん(67才)が他家に嫁した娘のT子さんに伴われて来訪されました。
T子さんは先にご自分の霊障を解消して身体各所の難症が治ってしまったことから、親孝行のために里のお母さんの難病を治したいとの一念でつれてきたものであります。
A子さんは耳鳴がして対話がよくできないために主としてT子さんからの母の症状について説明を伺いました。A子さんは30年も前に左の腎臓を患って切除されているので、今は右の腎臓しかないというのです。そしてまだ若かった30代から、腰、肩、首、脇腹、頭、眼、足などに痛みがあり、ずっと医師にかかり切りであるにもかかわらず状態は少しも良くなっていないというのです。ここ3年位は耳鳴りがひどくなり、通常の会話もままならぬ状態になってしまったというわけです。
身体は全体的にムクミがあり、立居振舞も不自由で日常生活は家の中で寝たり起きたりの生活であり、歩行するとフラフラめまいがするということでした。小水の出が悪く、一日に2~3回位、それも少量であり、すっきりしないというのです。今まで大変長い間苦しんでこられたわけです。
T子さんは、自分自身の症状で通院していても治らなかったものが、わずかの間にすっかり良くなったことから、今度は母のA子さんの難病克服に確信をもってつれてきたというのでした。それは、霊障克服の過程で体験した生々しい事実にもとづく、ゆるぎない信念からくるものであったと思います。
親孝行なT子さんは、嫁ぎ先のしゅうとさんやご主人の了解を頂いて、里の母親を自分の家に宿泊させて、ご自身が勤めから帰宅したあと、連日母のA子さんをつれて治療に通われたのでした。
ここで私はT子さんからS家の先祖のことや母A子さんの実家の先祖のことについて、知っている事柄を色々と話して頂きました。これらの内容説明は省略することとします。参考事項を聴き終って、母のA子さんに正座して貰いました。足の痛みがあるため楽な形で坐って頂きました。そして霊査に入ったのです。
A子さんに念を送りますと、A子さんに憑依している霊はすぐに霊動を始めました。手がかなり大きく速やかな震動を起こして瞼も激しいまばたきを始めました。憑依霊はとび出さんばかりに待ち構えていた状態であったのです。みつけて貰うチャンスを逃してはならぬとでも思っていたのでしょうか。
私は強い霊動をみて、このまま霊査を続けることは差し控えるべきであると判断しました。何故ならA子さんの体力、体調からみて無理になるおそれがあることを懸念したからです。そこで性急な霊査は打切りとし、早速次の段階である治療に入ったのです。霊査は徐々に進める方針とするように配慮したのであります。
A子さんを横に寝て頂き、まずは身体全体の基本個所の浄めを実施しました。そのあとで痛みの個所である腰、肩、首、脇腹、頭、眼、足を丹念に治療したのです。浄めの途中A子さんは大変気持がよいと言って眠ってしまいました。
この第一回治療のあと、A子さんの口から頭や首や肩や足などが楽になって、長い間続いていたフラツキの感じがなくなってしまったと言われ、今さきほど来訪した時の暗い深刻な顔つきとは違いほほ笑みがでて参りました。T子さんはこの状態に驚き入りながらも、我が意を得たりとの感じでした。A子さんは、医者で治らんものがどうして治るんだろうと言い、大変不思議だと申しておられました。長い闘病生活からくる実感がこもった言葉でした。
第二回目の治療は翌々日おこないました。治療に先立って霊査をおこなってみました。前回の治療で憑依霊の状態が大分好転しており、A子さんの状態もしっかりしてきていたからです。
A子さんに静座、合掌して頂きますとすぐに浮霊してきました。手と指と足先がヒクヒクと動き、A子さんが急に猫背になりました。これを見ていたT子さんが、「祖母さんみたいです。母(A子)の母のことです。猫背で手足を病み、眼も悪かった人です」と傍から言われました。T子さんが成長するまで接して可愛がってくれた祖母さんの姿を、T子さんは今母A子さんの姿の中に見てとったのです。
このT子さんの言葉を聞くとA子さんに憑依している霊は急激な霊動をだし、A子さんの目に涙が浮かんできました。私は霊に向って質ねました。「A子さんにでておられるのはA子さんのお母さんですか?」。私の言葉が終ると霊は大きくうなづき、口許を震わせました。まさしくA子さんの母霊、T子さんの祖母霊であったのです。
霊査を打切り、早速治療に入りました。今日はこの霊の生前の痛みの個所であった頭、眼、背中、腰、足、手などを丹念に治療しました。右の腎臓部分を浄めている時、大変心地よい気分ですと申されました。そういえば第一回治療のあと、翌日は十回も排尿があって、顔や手のムクミがずっと引いてしまったと言われました。太っていた様に見えたのはムクミのためであることが判ったとT子さんが説明しました。
A子さんは浄めの途中、母霊の痛みの報せによって、母霊の痛みの個所が次々に痛んでくることを訴えておりました。体験ずみのT子さんは、「お母さん、治る時はそういう風になって治るんだから心配しないでいいですよ。神様と先生を信頼していなさい。すぐに楽になるから」と言って慰め、たしなめておりました。A子さんは娘のT子さんに教えられて「わかった」とうなづいていました。
そして、治療の進行に伴って次第にA子さんは痛みの感覚がうすれてゆくと申しておりました。これは、とりもなおさず母霊が次第に癒されて、霊の持っていた苦痛がやわらげられてゆく過程そのものなのです。A子さんの感覚は二次的なもので、母霊の痛みが一次的なものであるわけです。憑依霊の感覚が肉体人間に移写されてくるものなのです。こうして第二回の治療が終わりました。
第三回目の治療は翌日におこないました。治療に先立って自覚症状を伺いますと、身体中が楽になってきて、全身的にムクミがとれて、顔や手に引続いて背中や腹のムクミがなくなり平らになったとの由でした。排尿は昨日も十回位あり、尿は番茶の様に濃い色を呈しているとのことでした。体内の毒素、老廃物が排出されている状態であります。
早速治療に入りました。昨日に引続いて同じ個所を重点にして全身の浄めをおこないました。A子さんは今回ずっとよくなってゆく感じがすると言われました。T子さんも期待以上の速かな回復に大変喜んでおられました。
治療のあと、あるいはA子さんの母霊が今日はA子さんから離脱して昇天するかも知れないと思い、一度試みることとしました。常の様に無覚上人に引導をお願いしました。A子さんを正座、瞑目、合掌させて般若心経をあげ、母霊に昇天を勧め唱題をしました。A子さんは徐々に手をあげてゆき額の上部まで合掌の手が上がりましたが、九分通りの所で母霊の離脱―昇天は止まりました。無理をさせず次日にゆずりました。もはや急ぐ必要はないからです。
第四回目の治療は翌日おこないました。今回はまず治療をおこないました。母霊の昇天はもう一息の所であるから、少々浄めれば大丈夫と思ったからです。一時間余りの浄めを丹念におこなったのです。
頃合を見計らって治療を終り、母霊の昇天準備に入りました。型の如くA子さんに正座、合掌して頂きました。母霊に向って昇天できそうですかと質ねますと明瞭にうなづきました。
無覚上人に念じて、唱題をいたしますと、A子さんの手は勢いよくぐんぐんと上ってゆきました。そして頭上高く上った合掌の手は大きく開いて、母霊はA子さんから喜びの昇天を遂げたのであります。A子さんの霊の力で手が引きあげられてゆく様子について、これまた大変驚いておりました。T子さんから、「お母さん、いい勉強になったでしょう。おばあさんは極楽にゆかれたんですよ」との声をかけられほっとした感じで笑顔を取り戻しました。第一因縁霊であったA子さんの母霊は無事にA子さんから離脱して成仏されたのです。
引き続いてA子さんを瞑目、合掌させますと目と手に霊動がでました。第二の霊が浮霊してきたのでした。質問してみますと婚家の母、つまりおしゅうとめさんの霊であることが判りました。T子さんが、「今度は家のおばあさんのおでましですね」と言われました。
婚家の母霊に向って痛むところはないかと質ねましたが、すでに今までの治療で苦痛が取り去られていることが判りました。そして、この御霊様もすぐさまA子さんから離脱、昇天したいとのことでありましたので、早速お送りすることにしました。
無覚上人を念じ唱題をおこないますと、A子さんの合掌の手はぐんぐん上り、頭上で開いて義母霊は無事昇天、成仏したのです。
引続いて、次にはおしゅうとさんの霊がでてきました。簡単な問答ですぐに判明しました。妻の昇天を傍で見ていたということでした。そして、自分も痛みや悩みもなくなったのですぐ昇天したいということでした。こうしてA子さんの義父霊もお送りしたのです。
このあと、さらに霊の出現がありました。傍のT子さんが、「今度はお父さんの様です」と言われました。A子さんの夫、若くして亡くなられたご主人の霊でありました。先にT子さんの霊障解消の際にT子さんからは離脱、昇天されていたのですが、妻であるA子さんの中にも憑依していたのです。夫霊に対しても慰霊の言葉を述べ、唱題によって離脱、昇天して頂きました。
これで、今日はA子さんにとって、関係の深い四体の霊がA子さんから離脱し成仏されていったのであります。A子さんの様子はすっかり良くなり元気が湧きでて参りました。
まだ未成仏の先祖などはかなりいると思われますがとりあえずの救霊はこれで止め、あとは供養法で慰霊して成仏へ導いて頂くよう助言しました。ただ、急いで救ってほしいと願う霊があれば表出するかも知れないので、何かあったら連絡をくれる様に話し、暫く事後の様子をみることとしました。
それから10日ほどしてT子さんから電話があり、母A子さんの体調は非常によく、痛みはすっかり良くなりましたが、手の震えがあるというのでつれて来て頂きました。霊査しますとA子さんの実兄霊がでてきて、どうしても上げてほしいというのです。
短時間の浄めのあと、兄霊はA子さんから高々と手をあげて離脱昇天してゆきました。これでA子さんにまつわる憑依霊の救いは一段落しました。五体の因縁霊を救ってあげたA子さんは、30年も続いていた苦しい霊障から決別したのであります。
昭和57年1月中旬のこと、A市に住んでいるEU子さん(41才・婦人)が来訪されました。U子さんは数日前に別の運命相談のことで友人と一緒に見えられたのですが、その際には長い間健康を害して困っているということでした。
今日再び、その友人のKMさん(32才・婦人)と一緒に来訪されたのでした。今回の訪問は健康問題に関する霊的な関係にひっかかる所があるので、霊的な視野から調べて頂きたい。そして原因が霊的なものからきているのであれば治療して頂きたいとの由でありました。
ここで改めてU子さんから健康状態について伺いました。その話によれば、U子さんは今から十年ほど前から身体中がおかしくなり、慢性的な疲れがでて、糖尿病、リュウマチ、頭痛、背中の痛み、胸、腹の痛みや苦しみを経験し、それ以前の状態と一変してしまったというのです。それから四回程入院を繰り返しました。入院していて少し良くなると退院する。退院するとすぐおかしくなる。そこでまた入院する。こんな状況を繰り返しているだけで一向にすっきりした身体になれず、つねに憂鬱な気分で過ごしてきたというのです。
退院して家庭に戻っても主婦の責任である家事も思う様にできず、終日家でゴロゴロしている始末であり夫君に対しても申し訳ないと申しておりました。幸にご主人が大変理解のある方であるために、家事のことまでやって頂いており、一切おんぶに抱っこの状態で暮らしてきたというのでした
医師の最終的な診断では〈全身性エリトマトーデス〉という病気の由で、大変な難病であって医学的には治せない様な業病だと聞いておりますということでした。病院にはかかりっきりでずっと服薬しているけれども変哲もなく、漢方薬も続けてみましたが一向に変らずの状態にあり、これからの人生を考えると益々暗い気持ちに陥ってしまいますと言われ悄然としておりました。
〈全身性エリトマトーデス〉という病気は特定疾病一覧表にも四番目に記載されており、原因が不明で治療方法も未確立の疾病ということになっております。これは大変な業病というわけであります。現在の医学医術では治療が著しく困難か不能ということになるのです。この疾病症状に対して霊術的に挑戦することは大きな試金石になりますので、U子さんの救済問題とともに、私には一大決心を要する課題となりました。
ここでU子さんの先祖関係について質ねましたが、祖父母以前のことは充分な資料を得ることができませんでした。そのため、直接霊査を行なうことによって霊的原因を調べることにしました。そこでU子さんに正座し瞑目し合掌して頂きました。
神に祈りU子さんに手をかざして念を送りますと瞬時にしてU子さんの手が震動しはじめました。そして額にしわをよせ口許には年寄じわをつくる表情となってきました。老人の風情です。私は老婆の相だなぁ、と判断しました。そして浮霊した霊に対して問いかけました。「あなたはE家の祖母さんですか?」。この問いに対して霊は率直な反応をみせてうなづいたのでした。「あなたはU子さんがE家に嫁に入って間もなく憑いたのですか?」。霊はうなづきました。「U子さんが長い間病気で苦しんできましたが、この症状と祖母さんが憑いていたことと関係がありますか?」。この問いに対して霊は幾度もうなづいてみせました。
この霊査からみればU子さんが長年苦しんできた身体の諸症状は、何と主人の祖母霊の憑依によるものということになるのです。医学的治療を思う様にゆかぬ〈全身性エリトマトーデス〉症状も、霊学的にみれば先祖霊の憑依の一形態にすぎないことになるのです。ここで私は神霊治療家として治癒への大きな確信を抱いたのです。
U子さんに伏せてもらい、治療に入りました。まず背後から全身に亘って充分な治療をおこないました。次いで仰臥させて丹念に治療をおこないました。治療が一時間をすぎた頃、仰臥のままのU子さんの手と足が少し動きはじめ、動きが次第に大きくなって膝を折り曲げて立て、さらに伸ばしました。これを繰り返したあとつぎに腕のひじを曲げ伸ばししました。この動作が終ると足を伸ばしたままで腰の関節から左右の足を交互に上げ下げする運動をはじめたのです。さらにまた、手の方もひじを伸ばしたままの姿勢で腕を上げ下げする運動をはじめたのです。こういう動作を30分ほど続けました。
この様子をみていた友人のMさんは大変驚いた様な感じでじっと眺めていました。当のU子さんは目をつむったままで、感知せぬかの様子でありました。U子さんの足と手は、操り人形の様に同じ動作を繰り返し疲れを知らぬものの様に機械的に反復動作を続けていました。U子さんの祖母霊が急速に霊的エネルギーを吸収して、元気を回復しつつある姿であると観察しました。
私は、とめどもないほどに元気になってきた祖母霊に対し、頃合いをみて本日の治療はこれで終了することを告げました。すると霊の運動はすぐに停止しました。こうして第一回目の治療を終了しました。
第二回目の治療は翌日おこないました。U子さんの希望により、今まで痛みの個所であった心臓、胃腸、腎臓、背中、膀胱を丹念に浄めました。治療が一時間をすぎた頃、前回同様の手足の運動が始まりました。今日はさらに腰の部分を横ひねりする運動がつけ加えられたのです。この様な運動を約30分間続けさせたあと、私の方から制して終了としました。
第三回目の治療は翌日おこないました。治療に先立って霊査をおこない、祖母霊に身体が楽になってきたかを問いますと、「うん」と発声してうなづきました。そして、今日治療すべき所を聞きますと、胸、腹、腰に手をあてました。この部分を充分に浄めますと、また運動をはじめました。今日は手、足、腰の運動に加えて胴部分をひねる動作をおこないました。日を追って動きが大きくなって行きました。
第四回目の治療は翌日おこないました。今日は平静に治療をうけ、何の動作も示しませんでした。全身の浄めをおこなって終了しました。
第五回目の治療はさらに翌日おこないました。横臥するとともに手足の体操を少しおこないましたが、あと、目と頭を指して浄めてほしいと言いました。この部分を集中的に浄めますと、「気持がいい」と言いました。
第六回目の治療、第七回目の治療は平静裡に終了しました。浄め中はほとんど動かず治療をうけました。格別に霊査もおこなわず自然に委ねておきました。
第八回目の治療、これが最後の治療となったのです。当初霊査しますと、「非常に楽になった」といい、「もう少し」との由でありました。
治療に入り約一時間程体の裏側から表側へと丹念に浄めました。祖母霊は微動だにせず平静にしておりました。そして一時間をすぎた頃、仰臥のままで、「治った様だ」と発言がありました。一呼吸おいて、「祖父さんが迎えにきた」と言いました。
ここでU子さんの身体を起して正座、合掌、瞑目して頂きました。そして祖母霊に向って、「U子さんの祖母さん、あなたの身体の痛みが治って良かったですね。祖父さんが迎えにおみえで良かったですね。これからお送りします」と口上を述べ、無覚上人に引導をお願いして唱題をいたしました。
U子さんの祖母霊は仏教の法華経系の信者であったことから、私の唱題「ナムアミダブツ」と、「ナムミョウホウレンゲキョウ」の唱題とを交互に唱えながら、U子さんの合掌の手を高々と頭上にあげて離脱、昇天してゆかれました。
祖母霊が離脱したU子さんは、ほっとして我に帰りました。途端に身体がすっきりとして、自分の身体かと思うほどに軽くなったと言いました。治療に入ってから徐々に楽になってきていた状態でしたが、霊の離脱によって一挙に楽になったと言うのです。
U子さんの神霊治療はこれで完了しました。ほとんど連日の治療でありましたが、合計8回の浄めで難病の原因となっていた祖母霊の浄化、成仏に成功し、因縁切りを果たしたのです。今まであった様な身体症状は奇跡的に消失し、元気ハツラツとしたU子さんに戻ったのであります。
その後U子さんは自営の仕事を積極的に始めて、自分で車を運転して東奔西走しております。また、時おりに自分の紹介であるといって、霊障に悩む人々を幾人か私の所へ案内して参られました。
業病の〈全身性エリトマトーデス〉の症状も消失してしまったU子さんは、生きる喜びを取り戻すとともに神霊の力の偉大さをしみじみと知ったのでありました。そして、友人のKMさんも神霊治療をうけ、これまた大きな神の御守護を頂いたのでした。(後記=例)
昭和56年11月上旬のことでありますが、L市に住むNY子さん(32才)からの電話で、健康のことと運勢の問題で至急お伺いしたいとの由でした。当日の午後は運命学教授の日で一般の鑑定や神霊治療は休みのことでもありましたが、特別に来訪の承諾をいたしました。
約束の時刻にY子さんが到着されました。Y子さんは一見したところでは体格のよい丈夫そうな身体の持主で、疾患など考えられない様な感じの方でした。また、初対面の表情からは特に不運を感じさせない位の明るさをもっていました。
一体どういうことであろうかと考えながらY子さんを招じ入れてお話を伺いました。Y子さんの語るところによれば、まだ30才そこそこの若さで、外見上はまことに丈夫そうに見えるのに、胸や首や腰などが痛んで大変重苦しい状態であるというのです。病気というほどのことではなく日常の仕事は続けているのですが、身体がすっきりとする日がなく息苦しさを覚えるというのです。
また、結婚話は今まで幾つもあり、ある程度のところまでは進行するのですが、いざ最終的な場面になると自分の方で気のりがしなくなってやめてしまうというのです。早く結婚しなくてはならないと思い、その様に努力しているつもりなのですが、縁はあっても突如として気変りがしてしまい、自分でも判らない気持に陥るというのです。
この様な状態から早く脱却したいと思い方々の霊能者のところをたずねて歩きましたが、的確な指針や治療も得られず悶々としていたというのです。ふとした機会から私のことを知り、何かの救いがあるのではないかと思いすぐさま電話をして了解を得たのでとんで来たというのです。
私は概略以上の様なお話を伺い早速立卦してみました。占卦の示すところによればこれらの兆候は霊的原因によるものであること、憑依霊の障害であることが明示されていました。
そこで、Y子さんの先祖のことについて若干の事項を伺ったあと、霊査に入りました。この霊査の際はY子さんの了解を得、運命学の研究者Sさん(主婦)も立ち合いました。
Y子さんに正座、瞑目、合掌して頂き、Y子さんの上に霊障をもたらしている因縁霊を呼びますと、間もなくY子さんに霊が浮かんで来ました。
私は浮霊した者が誰であるかを知るために幾つかの質問をしましt。「Y子さんからでてこられた方はご先祖さまですか?」。この問に対してY子さんに現れた霊は横に首を振りました。極めて明瞭な動作でした。「では、あなたはY子さんとは他人様ですか?」。霊はこれまたハッキリと頭を前へ傾けてうなづきました。
「Y子さんはあなたのことを知っていますか?」。霊は首を横に振りました。「あなたはY子さんの先祖と知り合いの方ですか?」。霊はうなづきました。「Y子さんの先祖というと、親の代ですか?」。霊は首を横に振る。「では祖父母の代ですか?」。霊はうなづく。「あなたは男の人ですか」。霊は首を横に振る。「では女性ですね」。うなづく。「あなたは若い人ですか?」やはり首を横に振る。
「ところで、Y子さんとは他人であって祖父母の知り合いだったあなたが、どうしてこのY子さんに憑いているのかお伺いしたい。あなたはY子さんに恨みでもあるのかね?」。この質問に対し霊は暫く無言である。「では、あなたはY子さんの先祖に怨みでもあったのかね?」。霊は大きくうなづく。「いじめられたのかね?」。うなづく。
こうして質問応答は延々と続けられてゆきましたが、この対話から判明した筋書を要約してみますと、この老婆霊はY子さんの母方の祖父母の知り合いであって、親しい間柄であったことから、よんどころない必要があって借金をしました。生活はお互に豊かではありませんでしたが、Y子さんの祖父母の方が暮し向きはやや上であったということです。
ところが、この老婆(65才)は仲々借金を返すことができませんでした。たびたび催促をうけてもどうすることもできず、その内に感情的な対立になって、Y子さんの祖父母からずっと苦しめられたというのです。その恨みの念を持ち続けて、祖父母の代、両親の代、それからY子さんへと代々憑依してきたということでした。Y子さんの祖父母への債務にまつわる逆恨みを、他界した他人霊が子孫に対して継続的に持ち続けてきたのです。
Y子さんの祖父母からみればお金を貸した上、その返済もうけないままに、それに関するトラブルから、子孫代々にわたって怨念による難をうける羽目になってしまったのです。
この老婆霊はとうの昔に死去しているわけですが、現在65才と言っておりまだ死を自覚しておりませんでした。いまだ自分ではこの世にい生きていると思っていたのです。そして一つの凝り固まった恨の念を強く放射し続けていたのです。
また、この老婆霊は現在自分の身体は蛇のようになっていて人間の姿はしていないということでした。そして、首、胸の部分が特に苦しく、そのほか身体中が痛いということでありました。
そしてY子さんには直接の恨みがあるわけではないが、辛い仕打ちをうけた祖父母への怨念からY子さんにもその矛先を向けて、Y子さんの縁談や仕事の邪魔をしてきたというのです。今まで幾つもの縁談がありましたが、その都度ギリギリのところでまとまらぬ様にY子さんの気をそらしたというのです。
Y子さんの首、胸、腰、その他の痛みは老婆霊自身の痛みの個所であって、とくに加害しているのではないというのでした。苦しんでいる老婆霊の幽体の痛みが、憑依されているY子さんの幽体を通して肉体にひびいていたのです。
霊査の問答を通して以上の内容が判明しましたので、老婆霊に対して身体(幽体)の苦痛を癒してあげることを告げ治療に入りました。霊の想いを変えさせてゆくには、まず相手の苦しみを理解し、これを取り除いてあげることが先決だからです。そのことが亦、Y子さんの身体の痛みを治すことになるからであります。
Y子さんに楽な状態で伏臥して頂き第一回目の治療に入りました。老婆霊は痛みの個所に手をあてて教えてくれましたので、その指示によって治療をすすめました。最初右の首下部分からはじめ順次浄めました。
第二回目の治療はそれから一週間後におこないました。治療前に霊査をおこない老婆霊の状態を聞きますと、「今、寒くて暗い所に居り、水だけを飲んでいる。食物はなく、たまらなく食べたい。身体中凍っている。姿はまだ蛇のままである」との応答でした。
治療個所を質ねますと相変わらず右の首下から胸にかけての部分が最も痛むということでしたので、ここを丹念に浄めました。治療のあと霊査をしてみますと、老婆霊は恨む気持ちが少し減ったということでした。また、身体が少し暖かくなったとのことでした。Y子さん本人は瞑目していて暗い世界の中に少しづつ明るさがみえてきた感じがすると述べていました。
第三回目の治療はさらに一週間後におこないました。事前の霊査では前回の治療で多少らくになったとのことでした。丹念に治療のあと霊査をしてみますと、治療前よりずっと楽になって我慢できる程度の痛みになったが、まだ恨の気持は残っているということでした。Y子さん本人は前回の治療以後は気分が安定して、肩が楽になったとのことでした。
第四回目の治療は5日後におこないました。ここで偶々Y子さんの家に稲荷大神を祭祀してあるとのことでしたので、念のため眷族のイナリ(白狐)を招霊して色々と伺ってみました。Y子さんに対しても守護をしているが、不浄化霊がいるために守護が充分できない。今後憑依霊の浄化がすすめば大きな守護力を発揮できるようになるとの由でした。
このあと、胸をはじめ全身の浄めをおこなって治療を終了しました。
第五回目の治療はY子さんの都合で9日後におこないました。例によって霊査をしてみますと憑依している老婆霊は、身体がずっと楽になったとのことで、Y子さんに対する恨みも次第に失せてきたというのでした。そしてY子さんから離れたい気になってきたというのでした。
今日はどこが痛むかと問いますと、腰の後ろに右手をあてました。首や胸は痛むかとの問いに、痛まないとの返事でした。従って今回は腰を集中的に浄めました。
第六回目の治療は6日後におこないました。この時老婆霊は眼がよくなり、肩も大変楽になったとのことでした。腰痛は転んだ時に生じたものでありそれ以来病んでいたが楽になったといい、治療はよく効くと言っていました。
Y子さんを通じての老婆霊の浄めはその後第十一回まで続けられました。第七回目以後はY子さんやその先祖に対しても最早や恨みはなくなった、早く極楽へゆきたいと申しておられました。
霊の痛みは日を追う毎にとり除かれてゆきました。それとともにY子さんの身体の痛みもなくなりました。Y子さんは外の景色が次第に美しく見えるようになった。街のネオンサインがこんなに美しいものかと改めて痛感したと言っておられました。
第十一回目の治療、それはY子さんが初めて治療をうけ始めてから4ヶ月も経っていました。仕事の都合もあり、片道2時間半もかけて通われるのですから容易なことではなかったと思います。しかしY子さんはとうとうやり抜いたのでした。治療のあと老婆霊は身体の痛みも消え、心の恨みや暗い気持ちもなくなり、明るい光が周囲に一杯輝いていると述べ、極楽へやって下さいと希望しました。この老婆霊の浄化向上にはY子さんの家の稲荷大神の眷族イナリも積極的に協力されました。
私が唱える般若心経に深々と頭を下げ、また心からの唱題に大きく合掌の手をあげながら、因縁霊として長年つきまとっていた老婆霊は、Y子さんから離脱昇天してゆかれました。
それからものの1ヶ月も経た頃Y子さんが来訪されました。良縁の話があるので占でみて頂きたいとのことでした。その条件は誠に素晴らしいもので、Y子さんの意に充分叶ったものであるということでした。占示は大吉であったことは申す迄もありません。
因縁霊の浄化ができ、家のイナリ様も充分活躍できる条件ができたY子さんの周辺には、おのずから良い運勢が湧き上り始めました。その第一歩は浄霊後1ヶ月の期間でハッキリとあらわれてきたのでした。
昭和56年12月24日の午後、B市に住むTM子さん(56才)が来訪されました。予告なしの突然の来訪でありましたが、恰度予定の治療も終了し一段落した折でありましたので応待できました。
M子さんは病院勤務の薬剤師でありますが、薬剤のことは漢方にも通暁しており、鍼灸の免許も持たれた大変な勉強家であります。陰陽の理法も心得があり易占にも理解のある方で、時折運命相談にも見えた方でありました。
久し振りに突然の来訪でもありましたので用件を伺いますと、一ヶ月半ほど前に風邪気味になり、それ以来強い頭痛とめまいが続いていて、入院したりして医療をうけているのですが仲々治らないというのです。専門家のことでもあり漢方薬を調合して飲んでみてもさっぱり効果がなく、これは生理的な原因ではなく霊的に何か原因があるのではないかと思うので、その面からみて頂きたいということでした。
神占によって伺いますと、霊的な原因によるもので「生霊」の障りによるのもであることが教示されました。それも婦人の生霊であることが判ったのです。この教示に従ってM子さんに心当りを質しますと、思い当る節があるということでしたので、ここで霊査をおこなうことにしました。
M子さんに正座、瞑目、合掌して頂いて例の出現を呼びかけますと忽ち浮霊して参りました。霊動自体は強いものではありませんでしたが、私の「あなたは生霊か?」との質問に対して、瞼をす早くしばたかせる仕草で応答したのでした。
この生霊はM子さんに深いかかわりのある人の霊でありました。愛憎と欲に駆られて歪められた想念を抱き、M子さんの頭や首に憑依していたのでした。
私はこの生霊に対して人の道あり方を説き、生霊の持っている考えの誤りを指摘して想念の転換を求めました。そして、そのような想念を持ち続ける限り生霊自身も救われないことを入念に諭したのです。
そして、これから浄めをおこなって霊の救いに導くので、虚心に神の浄めをうけて清浄な想念に立帰り、M子さんから離脱するように告げました。そして、浄められたあとでも反省することなしに憑依を続けているならば、強力な呪詛で退散を求めることもあることを予告しておきました。
それから早速治療にかかりました。頭全体、首のまわり、顔、背中を約50分に亘って浄めました。M子さんは頭の痛みや重味が少しづつやわらいでゆくと申しておられました。首筋が大変凝っておりましたが、ここを集中的に浄めておりますとめまいが止んできたと申しておりました。
治療が終り帰り際に状態を伺いますと、頭痛は止みめまいも感じない様になり、首から上が大変軽くなったと喜んでおられました。あとから、M子さんを紹介してくれたOさんから電話があり、Mさんの頑固な頭痛とめまいが止んだとの連絡がありました。私は念のためもう一度来訪されるよう伝言しました。
それから10日程して、正月の3日、M子さんから電話があり、正月あけから仕事に出られる程度に元気になったので、仕上げの治療をして頂きたいとのことでした。正月の来客の合間をみた上治療時間を約束しました。
一時間後にM子さんが来訪されました。治療に先立って霊査をおこないましたが、霊動もなく静かでありました。憑依していた生霊は第一回目の浄めで浄化され、自ら反省悔悟して離脱していったのでありました。
M子さんの身体を調べてみますと、本人の自覚症状はないというものの、首筋がまだ大分凝っておりました。首を左の方へまわすときだけ少しめまいがするとのことでありました。そこでこの部分を重点に治療をおこないました。
治療のあとで感じを伺いますと、首が大変柔らかくなり軽くなったということで、首を左にまわしてもめまいが全然なくなったとのことでした。頭も清々して晴々(はればれ)とした気分になったと喜んでおられました。
M子さんは1ヶ月に亘る種々の医学的治療にもかかわらず一向によくならず、思案の果に神霊治療をうけたのでありますが、この選択は極めて正しかったと思います。医学的に原因が不明のため、最終的に都内の大病院での精密診断をうける予定であった由ですが、その直前で救われたのでありました。
M子さんは元来医薬の次限とその奥にある霊の世界を認めていた方でありますが、この体験を契機として一層深く神霊の世界を認識したのでありました。
昭和56年12月20日のこと、東京都下のM市に住むKA君(15才)が千葉県下のK市に住んでいる祖母と叔父のSMさん(母の弟)につれられて来訪されました。
A君のことについては既に前々から祖母より色々と様子を伺っておりました。現在中学三年生でありますから、ほんのわずかの期間で高校へ進学せねばならない時期にありながら、進学の意欲が全々なく勉強に身が入らぬため一家で大変心配しているということでした。両親が何とか勉強させようと努めても精神的に不安定で集中力がないというのです。
偶々祖母とともにA君をつれてきた叔父のMさんが39才になるまで憑依霊による霊障をうけてノイローゼに悩まされてきたのでありますが、昭和56年の1月に5回程度の神霊治療をうけて、20年も続いたノイローゼ症状を克服した事実もありましたので、A君の強い内向性についても憑依霊の作用によるものではないかと考え、治るものならば何とか助けてほしいとのことで連れて参ったということでした。
A君は色白でやや痩せ型のタイプでありますが中肉中背といってもよい位の体格でした。話してみると無口で一言話すとすぐにうつ向いてしまう恥かしがり屋の感じでした。何時も頭痛があり目がボヤけていて本を見る気がしない。見ていると頭や目が益々おかしくなってしまうということでした。
また、朝起きるのが大変辛くて、学校へゆくのが大きな負担であり、楽しい気持で学校へゆくことはないとのことでした。両親にせきたてられて嫌々ながら学校へ行っているというのであります。従って学業の成績も振わず、そうかといって運動の面も活発ではなく、何時もクラスの末尾にようやくくっついている状態だというのです。
A君の母(A君の祖母の長女であり、叔父Mさの姉に当る)は、A君の症状が憑依によるものであるとすれば、Mさんに憑依していた先祖霊と同じ霊による作用ではないかと思っているので、この点も明らかにしてほしいと祖母が語りました。Mさんに憑依していた霊が、他ならぬこの祖母さんの兄の霊であったことから、祖母としては内心子や孫たちに申し訳ないという気持があったと思われます。
ここでA君によって霊査を始めました。A君を正座、瞑目、合掌して頂き憑依霊を呼びました。間もなくA君の体がゆるやかに動きはじめました。両腕も少しづつ動いて姿勢が歪んできました。顔は表情が次第にゆがんで苦しみをあらわしている様でした。
私はここで質問を始めました。「A君に現われているご霊様はK家のご先祖様ですか?」と質ねました。(K家というのは父方で、S家というのが母方です)すると、A君の頭は前へハッキリと傾きうなづいたのでありました。私は事前にA君の近い先祖のことについて予備調査をしておりましたので感じによって次の質問をしました。「A君に憑いているのは祖母さんですか?」。A君にあらわれている霊は再び大きくうなづきました。
「あなたはA君の父方の祖母さんだったんですか、ここには母方の祖母さんが一緒にみえておられますが、判ってもらって良かったですね」と語りかけますと、A君の顔にはにっこりと微笑が浮かびました。母方の祖母の話ではこの人(KT霊)は71才で老衰による心臓病で数年前に亡くなったということでした。「A君の祖母さん、Aくんが中学三年になってから急に学校を休みがちになったり、勉強に身が入らなかったのはあなたが憑いていて、身体の工合が辛かったからですか?」と質ねますと、深くうなづきました。ここで霊査を終えて浄めの治療に入りました。
治療をしておりますと体の動きと表情から胸、腹、左手が痛む様子が観察されましたので、この部分を丹念に浄めました。一時間で治療を終りました。
あと再び霊査してみますと事前の霊査の時とは表情や姿勢が違い、大分落ち着いた様子でした。私の呼び掛けに対してしきりに笑顔をみせました。S家の祖母の呼び掛けにもにっこりと笑い、生きている人そのものの表情でありました。
S家の祖母はこの様な霊の状態をみて大変感じ入っておりました。また、A君にその時の感覚を聞きますと、「ひとりでに顔がつっぱった感じ」であると言っておりました。
第二回目の神霊治療はA君が冬休みに入ったので12月29日から連続しておこなうことにしました。事前霊査によりT霊はすぐでてきて、私が、「こんにちわ」と挨拶するや大きな笑顔で応えました。大変愛想のよいご霊様で私の経験上でも数少いケースの一つであります。
治療の個所を聴きますと、前回同様に胸、腹、左手が痛いとのことでありましたのでここを中心に頭部から足先まで全身の治療をおこないました。
治療のあとでA君の身体情況を聞きますと、目のかすみが取れて頭痛もなくなったということでした。この兆候は第一回目の治療後かなり顕著にあらわれてきていたということです。
また、前回治療のあと、A君の母は一生懸命に祖母の供養をはじめておりますが、夫の方はまだそのことが判らず、自分の母の霊であるにも拘らず無関心と疑心が強いとのことでした。
第三回目の治療。出現したT霊は笑顔の表情が明るさを増してきました。霊的に急速な向上がなされているのでありましょう。この分では早い成仏ができるであろうと推察されました。
治療部分は前回同様に胸、腹、左手を中心におこないました。A君の感覚には若いためにT霊の痛みの感覚はまだハッキリと現われていませんでしたが、身体中何となく楽になってくるとのことでした。
第四回目の治療。今日は12月31日であります。私は成仏近しと感じて霊査をあとにし早速治療に入りました。胸、腹、左手をおもに全身浄めをおこなったのです。
治療のあとでT霊を呼んでみました。質ねますと胸の痛み、腹の痛み、左手の痛みも治ってしまったということでした。A君から離脱、昇天の意向を確かめますと上りたいとのことでしたので、ここで般若心経を三回唱えて供養しました。そのあとでK家の宗旨に従い南無阿弥陀仏を連唱いたしますと、合掌したA君の両手が徐々に上りはじめました。
しかし、上った手はA君の額の位置で止まり唱題を繰り返してもこれ以上上らず、本日の離脱、昇天は無理の状態であると判断しました。T霊も大晦日に離脱、昇天を望んでいたのでしょうが、神界からのお許しはもう少しというところでした。
第五回目は正月元旦でした。私も元旦早々の仕事は如何と考えましたが、叔父のMさんとA君が元旦でもお願いしたいという熱心な態度に動かされたことと、T霊の一日も早く成仏したいという念波に打たれたこともあって、元旦の午前中に治療をおこなったのであります。
成仏直前のT霊を急速に昇華せしめるために私はA君の背中、後頭部、首のまわりを丹念に浄めました。本日第一段階の治療を終ったT霊は離脱昇天の感じがありましたので、般若心経を読唱しました。しかし一挙には昇天は無理でした。引っ掛る部分があるかと質ねますと足を指しました。
足を浄めておりますとさらに左肩、左脇腹が痛むとの訴がありましたので集中的に治療をしました。こうして本日第二段階の治療を終りました。
般若心経をもって供養しますと、「ワタシハタヨ、ワタシハタヨ」と名前を繰り返しました。あと題目をあげましたところ、九分九厘の所まで掌をあげましたがまた中断されました。
再三の治療が必要と思い、全身をざっと浄めてエネルギーを供給しました。もうよろしかろうと判断して本日第三段階目の治療を終りA君に正座、瞑目、合掌して頂きました。
T霊はA君の口を通して、「ワタシハタヨ、ワタシハタヨ、」と繰り返し傍らに居る母方の祖母に対しても、「アリガトウ、アリガトウ」と言いながら丁重に頭を下げて手を固くにぎりしめました。
私は、「T霊さん、もう思い残すことはないでしょう」と促して読経しました。そして無覚上人にご引導をお願いしました。A君の手は徐々に上り、額の辺からは急速に上りT霊はA君から離脱昇天してゆかれました。
T霊が離脱した途端に、A君の口から高らかな笑声が発せられました。鈴が転がる様に楽しそうに笑いこけるのでした。そしてMさんの問に答えて、身体がスーッと軽くなったと話しました。
中学三年生になって、愈々来年は高校へ進学せねばならないという大事な年に入った矢先、学業に身が入らず困り抜いてきたA君とその家族の悩みは、暮れから正月にかけての5回の神霊治療ですっかり解消されました。
また、A君の父方の祖母のT霊は昭和57年正月元旦、忘れられ得ないこの日に成仏昇天されたのです。それはある意味では大晦日の昇天よりも佳きことであったと思われます。神仏の配剤によるものでしょうか。
A君は今、愛着による霊障から解放されて、明るく楽しい高校生活を送っている由で、私は時折に来訪される祖母さんや叔父のMさんから消息を聞くことを楽しみにしております。
昭和57年2月下旬のこと、R市に住むKK君(16才)が父母に伴われ、妹さんも一緒に来訪されました。
来訪の意向はK君の健康状態がよくないので、名前でも悪いのではないかと心配して姓名判断をして頂きたい。そして凶名であるとすれば良名を通称名として選んで頂きたいとのことでありました。
私はK君を一見して”霊障だ”と思いましたが、とりあえず姓名を伺って鑑定しました。姓名学の法則からみれば凶名ではなく、かなり良い姓名でありました。私は両親に対して、「K君の健康状態の良くないのは姓名のせいではないようです」と答え、ここでK君の健康状態について詳しく話を伺うことにしました。
主としてお母さんが説明されました。それによると、健康についてさして心配もなかったK君が昨年(昭和56年)3月に後頭部が大きく腫れ上がり、近所の医院で診てもらいましたが原因が判らず、W大学病院を紹介されて診断をして頂いたところ、脊柱側湾症と診断されました。それ以来治療をうけてコルセットを装着している状態だというのです。しかし、それでも回復しないので、別にカイロ療法にも通って治療をおこなっていますが、これ亦、思わしい状態ではないというのです。
さらに亦、別に精神的な状態も大変おかしくなってきて、簡単に申しますと登校拒否の状態になってしまったというのです。
終日家に閉ぢこもるようになり、自分の部屋を締め切り、カーテンも引いて、薄暗い部屋の中にじっとうづくまっているか寝ていることが多くなりました。両親に叱られて朝に家をでても学校へはゆかず、逆方向の電車にのって途中の駅々で下車し、何となくフラフラと時を過して夕刻には帰宅していたということでした。
学校の先生にも大変心配して頂き、屢々母親と打ち合せして面倒をみて頂きましたが、本人の意思と行動は改善されることなく、とうとう学校を諦めざるを得ない結果になってしまったというのでした。
本人のそれ迄の性質は、大変やさしい子供であって、父母の言うことを素直に聞き反抗したことはなかった由ですが、昨年3月、後頭部に腫れができてからは人柄が変った様になり、次第にそれが昂じてきて反抗的になり、今までのK君とは打って変ってしまったということでした。
私は傍らのK君に直接質ねてみました。「K君、あなたは学校を本当にやめたかったのかね?」。「……ほんとうはやめたくなかった」。「ではどうして学校へゆかなかったのですかね?」。「朝はゆく心づもりでも駅に着くと何となく別の電車にのってしまう。ゆきたくなってしまう……」。「お父さんやお母さんに心配かけてすまないと思う?」。「すまないと思う」。「元気になりたいと思いますか?」。「元気になりたい」と。
私はこのような状況からみて、完全に霊障による被害であると判断しました。そして「霊障」というものについてK君の両親に一通りの説明をおこない、K君の身体的症状も精神的症状も霊障に起因するもので、姓名の吉凶からきているものではないとの観察所見を述べました。
K君は高校をやめて後、調理師を希望するためにある料理店へ見習として採用してもらった由ですが、ここも20日間でやめてしまい今は家にいるとのことでした。何事にも持続力がないというのです。
私はここで霊査をおこなうことを両親に勧め、賛意を得てからK君によって霊査をおこないました。K君を坐らせ、瞑目、合掌の上で、K君をこういう状態にしている因縁霊を呼びました。K君の表情が苦しげに変り、体の姿勢が右へ傾きました。風貌が老人の感じになってきました。
私はここで、両親からそれぞれの家系の先祖霊のことを簡単に聴きながら、K君にあらわれてきた霊に対して、まずそれが誰であるかを質ねてゆきました。「ご霊様、あなたはK君からみてご先祖のようですが、ここにいるお父さんの家系の方ですか?」。この質問には反応がありませんでした。次で、「あなたはK君のお母さんの方のご先祖様ですか?」。これに対して、K君の頭が前へうなずき、合掌した手が小刻みに震えました。反応がみられました。
「では、あなたは、男の人ですか?」。この問にもK君の首はうなづき、手も震えました。傍らの両親は、息子のK君にあらわれた霊現象を見て、初めて見ることであるだけに大変な驚きの様子でありました。「では、あなたはK君の祖父さんですか?」。手は小刻みに震えつつもうなづきはありませんでした。「すると、曽祖父さんですか?」。この質ねに対し、K君の目から涙がにじみでて、大きくうなづきました。「確認しますが、曽祖父さんは、このお母さんの父の父ですね」。私が念を押す様に申しますと、K君にあらわれた曽祖父霊は何度もうなづきを示しました。傍の母親は、「おじいさん!」と涙声で呼びかけました。K君の目からは涙がとめどなく流れました。私は心をこめて題目を念唱いたしました。
何と、K君の症状はK君の母の父の父である曽祖父霊の憑依によって起こっていたのです。なぜに憑いていたかについては逐次質ねてゆくこととして、曽祖父霊の痛みの状態について質ねました。身体部分をあげながら霊の応答を求めますと、身体中痛いけれど今最も痛み感ずる場所は足首であるとのことでした。あまり質疑応答を繰り返していることは曽祖父霊に対して酷であることから、この辺で霊査を打切り治療に入ることとしました。
第一回目の治療に当りK君を伏寝させて身体の背後から、特に足首を丹念に浄めました。治療しておりますと足の指先が少しづつ動くようになりました。更に続けておりますと足首もわずかながら動きが見られるようになりました。死者の霊の幽体が痛んでいて、治療に伴い蘇生して復活してくる状況をあらわしているものと思われます。
第二回目以降の治療は連日か隔日におこないました。第二回目の治療も前回と同様の部位を浄めました。第三回目も同様でした。第三回目の治療がすんだあと曽祖父霊に聞いてみますと、足首の痛みはなくなり、全体的に楽になったとのことでした。しかしまだ痛みは残っているということです。
K君の状況について母から様子を伺いますと、治療を始めてからは徐々に変化が見えはじめ三回の治療で反抗的な態度が治ってきて素直な態度に変ったことが指摘されました。ただ妙に電話音の恐怖したり、就寝の姿勢がうつ伏せになるなどの状態は残っているとのことでした。テレビが異常な位好きであること、屢々あくびがでる、時々頭痛や腹痛を訴えるなどの状態はまだ変らないとのことでした。
第四回目の治療の前に聞いた処、この霊は頭痛も強いといのことでしたので、今日は頭部を丹念に治療しました。曽祖父霊に浄め後の頭の状態を伺ったところ楽になった由でこのあと、K君の口から初めて、「K家にゆきたかった」と霊言を発しました。K家とは曽祖父の次男が養子に行った家姓のことです。曽祖父には二人の子供(男子)がおりましたが、弟の方を近所のK家へ養子にだしました。これはK君の祖父の家のことでした。つまりK君の母の実家のことであります。亡くなる時の想念通りこの霊はK家に来て、その子、孫に憑依し、嫁にでた孫(K君の母)に憑いていった上、その子であるK君にも憑依していたのです。先祖の想念は子孫の上に次々とついてまわることがよく判ります。
曽祖父霊がK君の口から話すようになったことから、K君の父母は大変びっくりされました。末子に生まれたK君の母は亡き祖父(K君の曽祖父霊)を生前知ることなく、父母や長女の姉から話を聞いている程度であったということでした。面影を知らぬ祖父の霊にこういう形で対面しようとは思いもよらなかったことで、驚きと懐かしさで胸が一杯になったと語られました。
この体験的事実を母は二人の姉に連絡して呼び、第五回目の治療の際に一緒に来訪されました。母の二人の姉(K君の伯母)も大変な驚きと共に、亡き祖父霊と少しでも話してみたいという願望をもってみえられました。
私はこれらの希望を叶えて差し上げるためにK君を横にして、治療をおこないながら会話することを了解しました。この内容は省略するとして、祖父霊と孫娘達との懐かしさに溢れた邂逅は何とも言えぬ温か味のあるものでした。
この治療、対話で曽祖父霊は名前を「T吉」と言いました。ニックネームも教えてくれ、その由来までも解説するという打ちとけたものでした。心のくつろぎを得たT霊(曽祖父霊のこと)は急速に回復してゆくように思えました。
第六回目の治療の後は手足もよくなったということでK君の体を通してキチンと坐りました。これまではK君の正座姿勢には歪みがありましたが、正しく坐れるようになったのです。また、腎臓・胃にも病があった由ですがこれも治ってしまったとのことでした。
T霊が回復した処で、K君に対する憑依の理由について改めて質ねてみますと、「可愛いいから憑いた」ということでした。ご自分の次男、(K家に養子にでたK君の祖父に当る人)が可愛いいので憑依し、その子孫が可愛いいので次々と(選択した由)憑依していったというのです。
第七回目の治療でT霊の痛みは全部解消したとのことでした。この時も二人の伯母達が来訪されてT霊と若干の話をしました。若い頃には空手や少林寺拳法を習い、20才で海軍に入り、日露戦争では日本海で戦ったなどのことも語られました。誰も知っていない過去のことを極めて具体的に老人の口調で語るのでした。妻のことも少し語りました。
さてK君の身心の状態はどうかといいますと、T霊の状態の回復と軸を一にして、後頭部の腫れは消え、腰の痛みはとれ、脊柱の湾曲も次第にとれて真直になってきました。身体上の障害が見る見る中に消失してしまったのです。
精神的状況も次第に明るさが増してきて、深刻な暗い表情は消え去ってしまい、素直で微笑をふくんだ健全な精神の人間に立ち替ってきたのでした。父母は日々、治療の回を追うごとに上向に変化してゆくわが子の姿に、希望の灯を見出したということでした。
第八回目の治療は簡単な治療で終った上、T霊の希望により愈々K君から離脱して昇天することとなりました。長かりし憑依の旅からT霊は成仏して天国に帰ることとなったのです。
T霊は暫らくの縁について私にも丁重に礼を述べ、K君の父、母、妹に見守られながら手を高々とあげてK君から離脱、昇天してゆかれました。こうしてK君の身心は一段と楽になり、ほぼ正常な状態になりました。
その後、暫くしてからK君の母親から電話がありました。その後は大変元気になり調理の学校に通っている由でしたが、今日は学校へゆきたがらないというのです。早速来て頂いて霊査した処、イナリ霊(21才、男性)がでてきました。(伯母二人も同行)
このイナリ霊(穢れた眷族であった)に色々問い正してみますと、高校の時に、昨年11月頃に憑依したというのです。それも学友の二人にも同時に憑依したということでした。意外なことです。このイナリも腰と両足が穢れていて痛むので治してほしいというのです。念のため、私が耳と尾の部分を引っ張って見ますと、”痛い”とK君の口から声がでました。
K君を学校へゆかせない様にして、町へフラフラ誘ったのは自分であったことも白状しまいた。T霊が昇天したあと、暫くかくれて黙っていたことも白状しました。私は強く叱責したり、色々と稲荷大神の御心やイナリの道について喩し、浄めに入りました。
このイナリの痛みの個所である腰と両足を集中的に浄めました。浄めの最中にK君の口からイナリが、「申しわけありませんでした」と、ようやく詫びる言葉がでました。改心の方向に進んできたと思いました。
浄めのあと、工合を質ねますと、痛みが癒えてきて楽になり、通常で我慢できる位になったとのことでした。私は家の中でパチパチ音をさせたりして家人を驚かさぬこと、調理士の学校へゆくことを邪魔せぬことを約束させて通算九回目の治療を終りました。
第十回目の治療は3日後の日曜日におこないました。事前の霊査でイナリの名を問いますと「こん太」と答えました。穢れた若いイナリ集団のリーダーで大変な乱暴者だということでした。グループの離脱が困難であることなど述べておりましたが、佐田彦大神、幕内皇臣様、内部生祭臣様に祈願してこのイナリの救いを願い、こん太を喩しました処納得してゆきました。
浄めは前回に引続いて、腰、両足を浄めました。途中で首も浄めて欲しいとの求めがありました。これらも入念に浄めました。こん太は浄めに伴い身体の状態が良くなるに従って、両足を器用に使って足許の坐布団を弄びながら、聠かの茶目気をだして二人の伯母の方に投げるなどして遊んでおりました。
しかし浄めも済み、佐田彦大神、幕内皇臣様に祈念してお引き取りをお願いする際には確りした態度になりました。還御を許されたならば何処にゆきたいかと問うた処、伊勢の佐田彦(猿田彦)大神の御許に帰りたいとの願でありました。この旨を佐田彦大神に言上して幕内皇臣様にお図らいをお願いして、数霊の祝詞を奏上しました。
こん太は祝詞にあわせて徐々に手をあげてゆき、見事にK君から離脱して神界への還御を許されたのでした。
K君の霊障はここで終了しました。曽祖父のT霊と共に、穢れたイナリであったこん太の御霊を浄めて送りだし、自分の中の二つの因縁霊を浄化し終ったのです。
その後のK君は、生れ落ちて以来なかった様な健康人になり、希望する調理士の道をめざして学習に励んでおられます。先祖霊の護りに加えて、稲荷神界からも応分の御加護があられると信じます。
その中に、修行を積んだこん太が応援に駆けつけることもあると思われます。
昭和57年の5月下旬のこと、T市に住んでいるKT子さん(62才・婦人)が訪ねて見えました。かねて私の所へ相談に見えたことのある妹さんからの紹介ということでありました。
用件を伺いますと、長年慢性頭痛に悩まされているので、運命学、霊学の面から調べて頂いて真因を知りたい。そしてできれば治して頂きたいとの来意でありました。
詳しくお話を伺いますと、昭和30年頃から今日まで28年間に亘って頭痛がとれない。医師に診てもらってもどこも特に悪い所はないと言われるだけで格別の手当もして頂けない。色々と治す方法についても試みましたが一向に効果がなく、一時は不眠症を罹ったこともあると言うのです。人生の大切な時期を頭痛の苦しみで過してきたというわけで大変な損失でありました。
私はこのお話を聞いて、先ず占断による神示を仰いでみました。易神と守護神であられる天空霊神のお導きで示された卦は「山水蒙の五爻変」で、T子さんの頭痛の原因はイナリと先祖が関与している霊障であると推断されました。
ここでT子さんに、先祖が稲荷神を祭祀していた事実の有無について質ねました。T子さんの話によると、父方の先祖が稲荷神を屋敷内に祭祀していたということを、母から聞いたことがあるとのことでした。父の実家には稲荷神の祠が今もある筈ですということでした。
父の実家は既に次の代に変っており、T子さんとその従兄とその子供達がやっており、子供達も既に壮年に達して外にでて独立している者も二人いるということでした。ところが色々質問してみますと、それらの子孫達の家にも神経症の者がいて、それぞれ原因不明のままに悩んでいるというのです。
私は以上のことを詳しく伺た上で、T子さんによって霊査に入りました。私はT子さんに向かって、長年T子さんに対して頭痛の原因になっている因縁霊の呼び出しをおこないました。すると、ここでイナリがT子さんの体を震わせ落涙し乍ら出現しました。
私はT子さんに現われたイナリに向かって次々に質問しました。「あなたはT子さんの先祖が祀っていた稲荷大神の眷族であったイナリですか?」。T子さんの口から、「ハイ、そうです」という答がありました。「あなたはT子さんのK家を代々護ってきてくれたんですね」。「そうです」。「何か不慢がありますか?」。「祀りが途絶えて悲しい」。「あなたは穢されているようですが、穢れによる痛みがありますか?」「痛みがあります」「痛みの部分は?」「主として頭部です」。「あなたは長年これらのことを知って貰いたいと思っていましたか?」「ハイ………」T子さんの目からは落涙が続き、イナリの声はつまって声となりませんでした。
「あなたはK家の人々に祀りを復活して頂きたいと願って、あなたなりの努力をしたのですね」と私。T子さんに現われたイナリは何辺も頭を下げて同感の意を示しました。「実際にあなたはK家の方々に代々憑依して、精神や肉体の上に知らせをしてきたのですか?」「ハイ」。イナリはこう答えて頭を下げました。
私はT子さんからK家の実情として屋敷神の祭祀が放任され、復活は困難な状態にあるということを聞いていたので、直線的にこのイナリの願いをK家の後継者に実行させることは不可能ではないかとも考えました。
だからといってこのまま放置しておいたのではイナリの立場もなく、K家の子孫達の人間サイドからも立つ瀬がないわけです。立場を失ったイナリは益々穢されK家の子孫たちにどこまでも分霊憑依を続けてゆき、K家の子孫達がどこまでも放置するならば、この一族系類の者達は果てしない霊障因縁を受け継ぐことになるからです。
私はここでイナリに向い、「K家での稲荷神の祭祀復活は大変難しいことと思います。あなたが一番よくご存じのところですね。そこで、祭祀の復活ができない場合にはあなたのことが心配ですから、後日に佐田彦大神にお願い申しあげましょう。今緊急なことはあなたを浄めてあげることが大切だと思いますから、まず穢れを取り去りましょう」と言い、浄めに入りました。
ここでT子さんに横になって頂き、頭部、後頭部を中心に丹念に浄めをおこないました。T子さんの後頭部は腫れた様に盛上り固くなっていました。この部分のシコリが取れて柔らかくなるまで一時間ほど要しました。頭の先から側面、前頭部へと浄めがすすむに従いT子さんの頭は次第に痛みがなくなり、すっきりと軽くなってくる感じがすると申されました。
第二回目の治療は翌日おこないました。治療に先立って霊査をおこないました。T子さんに正座、瞑目、合掌して頂くとすぐにイナリ霊が浮霊しました。涙を流し、手と口と身体全体を震わせながら、「伏見に帰りたい」と申されました。私はK家のイナリの決心がハッキリしましたのでこの意向を是として佐田彦大神に還御のことをお願い申し上げました。
イナリを大神のもとにお還しするには浄めて穢れを取り去ってあげることが前提条件であります。世上には”送り”という穢れたままのイナリをそのままで移動させる手法もありますが、私はその手法は原則としてとらない方針(理由は省略)でありますから、ここでイナリの浄めに入りました。
今回は頭部から足先まで身体全体を丹念に浄めました。終了後の霊査でイナリは大変気持がよくなったとのことでした。T子さんの方も昨日に増して頭だけでなく身体中が軽くなった気分であると申されました。
第三回目の治療は翌日おこないました。早速浄めに入り身体全部を浄め、そのあとで霊査をおこないましたところ、イナリの状態もずっと楽になってきた由で、嬉しそうな気配がありました。T子さんに現われているイナリの表情には角がなくなりやさしい顔付きに変ってきました。私の問にはよくうなずきながら応答するようになり、表現力もハッキリしてきました。浄めのあとは深々と頭が敷物につくまでお礼をして謝意を表わされました。大変に嬉しかったのでしょう。
第四回目の治療は引続いて翌日おこないました。T子さんは朝9時前に来訪されるや私に前夜の出来事を話されました。その出来事というのは「前夜就寝した時、両手をお腹の上に置いて休んだところ、間もなく手が自然に上にあがりはじめました。さらに身体にも動きがでてきました。イナリ様の動きと思いましたので、”あす、柏の先生の所へ行って神様の許にお還り頂きましょう。静かにして下さいね”と言いますと静かになりました。今朝は5時に起きましたがイナリ様に起こされた様な感じです。約束時間より早くお伺いしましたのは駆りたてられてきた様な感じです」と申されました。約束より二時間も早いお越しでありました。
霊査をおこないますと頭を下げてひれ伏されました。神様のもとへ芯から帰りたいとのことでありました。長年に亘りK家の護りに励みながら、顧みられることなく過ごされた年月はこのイナリに様々な苦難に満ちた体験をもたらしたことでしょう。浄めて神のもとへ還してもらえるという喜びは、イナリ自身とそれを体験した少数の人々のみが知っている奇しき事実であります。
私は全身の浄めを入念におこないました。頃合をみてT子さんに正座して頂き、その姿勢によって浄めをおこないました。T子さんに現われているイナリは自分で手を上にあげる仕ぐさを始めました。離脱したい意思のあらわれであり、また離脱できる可能性を示しているものと判断されました。
そこで私は、改めて佐田彦大神にイナリの還御のお許しをお願いし、幕内皇臣様にお導きをお願いしました。そして数霊ノリトを奏上いたしました。T子さんに現われているイナリはノリトに合わせてぐんぐんと手を上にあげ、やがて神床に向かってT子さんの身体を倒れさせるとともに、両手の先から離脱してゆきました。
そのあと、T子さんによって霊査いたしますと、離脱できたイナリが一時憑依であらわれました。無事に離脱でき神様の許へ還ることを許されたとのことでした。私は喜びと励ましの言葉をおくり、このイナリ霊を改めて見送りました。T子さんの身体は再び神前に倒れる形でイナリは神の許に還ってゆかれました。
T子さんの頭痛はまったく消失しました。長年の固疾は四回の治療で跡型もなく解消されたのです。1ヶ月後にT子さんが来訪されて事後の様子を報告に参られました。そして私のところの神前にお礼を言上されました。T子さんはまた、このことのお礼のために、近日中に伏見大社にお礼参りに上りたいとのことでありました。私はこの発願を心から祝福しました。
昭和57年1月中旬のこと、C市に住むKMさん(32才)が来訪されました。相談の事項は二つあり、一つは食堂喫茶を開業して間もないので、今後の商運をみて貰いたいことと、二つには長い間自分の健康状態がよくないので調べて頂きたいとのことでありました。一は運命学上の問題であり、二は運命学の問題というより霊学上のことであると感じました。
運命学上の相談案件については各運命法則からみての推断をおこない鑑定もすみました。次の健康上の問題についてその症状を伺いましたところ、身体中に痒みがあって長い間治らず、特に右腕、腰部には痛みがあって仕事にも支障をきたす程であるとのことでした。さらに神経が著しく疲労して夜間に異現象をみるなどのこともあるとのことで、ここ三年間に亘りある神霊家による治療もうけてきましたが、効果は一向になかったということでした。
本人が申しますには日々が大変な身心の苦痛の連続で、時には自殺してしまおうかと思うくらい辛い毎日であったとのことでした。結婚してK家に入った直後からこの様な症状や現象が始まり、悩まされ続けて今日に至ったというのです。商売を始めたのもこういう苦しみから少しでも気をまぎらせたいとの強い期待からだったというのです。
しかし商売を始めてみてもこの様な状態から脱脚することはおろか、身心の苦痛は軽減せず、商売の重味が加わって事態は却って悪化しているということでした。逃げ場もなくギリギリのところで私のもとへ相談に見えられたというのでありました。
私は話を伺いながら可成りつよい霊障であると感じました。そこで話を聴き終ったあと、霊査に先立って筮によって占断を行なってみました。果せるかな卦に示されたものは先祖霊による厳しい因縁の存在でした。そしてその中には神への不敬による因縁もあると示されていたのであります。
これらの事を予備的認識として、次にMさんによって霊査をおこなってみました。開始して間もなくMさんに激しい霊動が起り、首をまげ肩をゆがめる姿勢になりました。質問を重ねてK家の曽祖父霊であることが判明しました。この時からMさんの首から手に激痛が走り我慢できない位になりました。
この曽祖父霊との合間に別の霊が浮霊して参りました。問うとMさんの実父霊であることが判明しました。激しいノドの痛みを訴えてうめき苦しむ姿は何ともいえぬ悲惨な状景でした。この二霊が重なりあいもつれあってほぼ同時に現われたのです。
二霊同時的出現によりMさんは重態の病人同様になり激しい痛みと苦しみを味わう身となりました。私は急遽浮霊を鎮めて治療に入りました。この二重の痛みの個所を一時間余り丹念に集中的に治療したのです。
この第一回目の治療が終って霊査をおこなってみますと、K家の曽祖父も実家の父霊とともに楽になったと応答されました。Mさんの感じた激痛がやわらいで身体の痒みも大分楽になったとの由でした。
Mさんの治療は前後25回もの多きに達しましたので、治療経過を詳述することはできませんが、その経過は正に因縁切りのための斗いそのものでありました。よくもまあこんな深い因縁があろうかと思う程に、辛い辛い因縁の積み重ねであったのです。しかし結果的にはMさんの死斗ともいうべき必死の治療で百体を越える霊の救済、昇天を実現し得たのであります。
制約された紙数の中でこの因縁解消物語りを述べつくすことは困難な位ですが、重点的な部分を抜きだして記録してみたいと思います。
その一は、K家の因縁悪化の根本原因が屋敷に祀ってある守護の神への不敬=祭祀を怠っていたことによるものであったということです。
K家は旧家でありましたので徳川の初期から一家をなし、屋敷神が奉斉されておりました。元屋敷は広大でありましたがある先祖の代に財産の大部分を減らしてしまい、さらに近年の道路造成のために現屋敷はさらに減少してしまいました。このため元屋敷の一角にあった祠が現家屋と大分離れてしまったため、数年前に現屋敷一角に移転して祭祀しております。しかし日常の祀りは何らおこなわず、ただそこに安置してあるだけといった状態でありました。
Mさんの霊査の折に屋敷神の眷族が出現して参りましたので色々と質ねて事情が判ったのですが、当のMさんも祠の存在について忘れていた状態で、私の指摘にも当初は思い当らない程でありました。古い先祖が奉斉した尊い屋敷神をその後の子孫は型通りにも仕えることを忘れていたのです。しかし律儀な眷族達はK家のために一生懸命働き続けていたのでした。そして次第に穢れていったのであります。
Mさんに出現した眷族霊は疲れ切っておりました。代々の先祖達は神を利用することはしても奉仕は怠り勝ちであり、家連は次第に低下していったのです。しかしこの眷族は嫁いできたMさんを見込んで憑依し、大好きなMさんを始終助けていたのでした。眷族は自ら穢れ傷つき病みながら、嫁に入って以来先祖霊達の因縁に悩まされているMさんの味方になって、陰に陽にかばってきたというのです。今度始めた商売についても一緒に働き続けていたのです。
Mさんの霊査で発見され、Mさんの体を通して浄めをうけ、穢れから浄化された眷族霊は活々と蘇生しました。そしてまた、私の助言によて屋敷神の祭祀も復活しました。Mさん夫婦、しゅうと、子供たち(二人男児)の一家には神祀りの喜びが湧き上りました。家族の破綻しかけていたきずなは再び固く締められて調和が戻ってきたのでした。
その二は、先祖霊の因縁の中に最悪の因縁である自殺因縁があったことです。Mさんの先代に二人もの家族が相次いでこの因縁を作っていたのでした。遠因は代々の罪穢の累積によるものでありましたが、一つの代に二人まで自殺するケースは稀有のことです。
最初の方は男性でありました。Mさんのしゅうとさんの弟で人柄の良い温厚な方でありましたが、先祖の罪穢にもとずく因縁の作用によってその犠牲となったのです。自から因縁に流されることによって死し、そのことによって亦さらに大きな凶因縁を作ったのでした。
第二の方はMさんの夫の母でありました。MさんがK家に嫁してきた時は既に他界しておりました。Kさんの夫が幼い頃のことであった由です。霊査、治療の過程で義母霊が出現しました。先の義叔父霊と相前後して大変な苦しみ様でした。聞けば義母霊を悲運に導いたのは自殺の苦しみに耐えかねた義叔父霊が縋ったものであることが判りました。
そして非業の死を遂げた義母霊は苦しみの余り、今度はMさんに取り縋ってその足を引張っていたのでした。Mさんの生命も風前の灯の状態におかれていたのです。Mさんが嫁いできて間もなく、日夜体験した怪奇現象の数々―深夜の足音、人声、人間姿の霊視、金しばり、不眠など―は、非業の死を遂げた霊を中心とした浮かばれざる祖霊達の仕業でありました。
これらの霊の救済には大変な労力を要しました。治療過程におけるMさんの浮霊状態は大変激しく、また極めて辛いものでした。Mさんに対する霊の羨望、当を得ない怨念など複雑な感情を解きほぐすのに時間がかかりました。しかしMさんは私の指導助言に従って正しい浄めをうけ、厳しい因縁を一つ一つのりこえて解消したのです。二人の苦悶する霊も遂には悟り、感謝の中に成仏してゆかれました。こうしてK家からは自殺因縁が断絶されたのです。
その三は身内霊、縁者霊の怨恨の因縁が強かったことです。K家は昔財産家であり、分家や他家に嫁した人に土地を分け与えたり貸したりしていたことから、土地をめぐる様々な絡みあいがありました。事実は先祖の代にあったことでありますが、その因縁が跡を引いていて嫁いできたMさんの上にも強く作用していたのでした。それはMさんのご主人にすら判る部分と判らない部分がありました。K家では最大限の面倒をみてきた身内霊でも、欲にかかわると大きな羨望と怨念を抱いているものであります。
これらの身内霊、縁者霊は生前からのもの―生霊状態における念でありましたが、死後もずっと土地のことを思い続けておりました。土地財産にまつわる想念、執念はまことに怖しいものがあります。これらの身内霊、縁者霊をも次々に浄め、説得して悟らせました。そして因縁の重層を一つ一つ剥がしていったのです。
その四は、さきに出現したMさんの実父霊が加勢霊となってMさんに憑依し、Mさんへの他霊の加害に対してMさんを守るために霊対霊の暗斗を続けていた事実であります。Mさんが幼少の頃に病で亡くなった父霊は、可愛いいMさんへの愛着が断ちがたく、死後間もなく憑依したままMさんの人生を見守っておりました。K家へ嫁いだMさんが様々な霊的負担を負うに至るや、この父霊はわが愛娘を守るためにK家の霊達と斗いを続けていたのです。Mさんが婚家をでたいと思ったことも屢々あった由ですが、これらは父霊のわが娘を思いわが児をかばうための誘導であったのです。
しかし、MさんがK家の祖霊達を遂次成仏させてゆくに従い、Mさんの父霊も最終的には理解してくれました。そして成仏への道をたどってくれたのです。長年続いた霊の暗斗の歴史は終止符を打ったのです。
この間、Mさんは実家と婚家の祖先霊を百体以上浄化させました。何とMさんにはこれほどのおびただしい数の憑依霊があったのであります。これらの未浄化な霊達は浄めをうけ、説得をうけ、祈願をうけて次々とMさんから離脱、昇天してゆきました。
この霊達が離脱をしてゆくに従って、順次にMさんの健康状態はよくなり、最終的には痛み知らずの軽快な身心を回復したのです。Mさんは健康と商売繁昌の二つの願いを見事に実現し、日々明るく頑張っておられます。大凡2ヶ月間、25回の治療―救霊によって、Mさんの受け継いだ数々の凶因縁は見事に切断され解消されたのであります。
昭和57年4月上旬のこと、F市に住むESさん(34才)の母Uさんから電話がありました。この方は以前に嫁にだした娘であるMC子さんにかかわる霊障問題で時々来訪されたことがあり、既知の人でありました。大変慌てた口調で大事なお願いがあるというのです。
電話によれば、3日前から息子のSさんが発熱して家で臥せているが歯ぐきから出血して止らない状態で、一寸でも身体にさわると痛がるというのです。医師に診てもらっているが原因はまだわからない。易と神霊の面から鑑て頂きたいというのでした。私は早速占示を仰ぎ火風鼎の初爻変を得て、水亡の人霊のさわりと推断しました。そして再度の電話で解答したのでした。
それから2日後に母のUさんから電話があり、昨日は近くのY病院に入院させたが、大変な病気だからより設備のよいF病院へ今日転院させることになったというのです。重い病気であるから是非神様に回復祈願をして頂きたいという。私は翌日Sさんの回復祈願をいたしました。
その後暫くしてUさんが突然に来訪されました。取り急ぎ電話でばかり用件を依頼しては申し訳ないと思い、忙しい合間をみてとんできたというのです。Sさんの様子を伺いますと、実はF病院へ転院してからすぐ翌日T大病院へ転院したというのです。白血病という診断で1ヶ月位しかもたないのではないかとの話も聞かされたといって非常に消沈しておりました。
今日は神への祈願を続けて頂きたいとのお願いとともにUさんがとるべき神と祖先に対する祀りについてお伺いしたいとのことでした。私はUさんにお参りすべき神仏についての助言をおこないましたあとに、Sさんの病は先にお伝えした様に憑依霊によるものと思われるが、Sさんは入院中のこと故直接に霊査や治療ができないので、嫁にだした妹のC子さんによってSさんに憑いている因縁霊を具体的に調べ、それを確認したあとC子さんの身体でSさんの病因になっている因縁霊の治療をすることがよいでしょうと助言しました。つまり、兄のSさんの病気を妹のC子さんによって神霊的に代理治療する方法を助言したのであります。
それから数日後Uさんは娘のC子さんを伴って来訪されました。先日の私の助言のように、次善の策としてC子さんによって代理治療をおこなって頂きたいとのことでした。いまはもう藁(わら)にも縋る心地であるというのです。
早速C子さんを台として兄のSさんに憑いている因縁霊の調べをおこないました。招霊しますと、水亡の人霊がでて参りました。先の占卦の通りでした。この人はKちゃんと呼ばれていた娘さんで、E家から分家した人の子でありました。
聞けば年頃になって他家へ嫁いだのですが、心に委せぬ結婚であったために嫁して幾日もせぬ中に婚家から家出し、自分の生家にこっそりと帰り、両親にも叱られることを苦にして進退きわまり、とうとう自分の生家の井戸に身を投げて自殺したというのです。そして、あの世へいっても浮かばれず、苦しみの余り本家に当るE家の後継者であるSさんに頼って憑依したというのです。
自殺の罪は大きく水死の苦しみは大変なもので、生前は死んだ方がましであると思っていましたが、死後の苦悶はそれに勝るものであるということでした。地獄の深い所におとされたKちゃんは、もだえあがき助けを求めてSさんに憑依したわけでした。
Sさんを害する心算はなくても、Kちゃんに憑かれたSさんには、Kちゃんの持っている苦しみや状態が現出することから、Sさんに現われた症状は白血病という形で出てきたのでした。Sさんの重病の因縁霊は身内霊であるKちゃんだったのです。詳しい描写は省略しますがC子さんに現われたKちゃんの姿はまことに痛々しいものでありました。
さて、ここで私はKちゃんに対して一つの談判をしました。それはKちゃんの幽体の痛みと心の苦しみを癒してあげるから、その代りにSさんの生命をとる様なことをせず、Sさんの病が治るように協力して貰いたいという交渉です。私の申し出に対してKちゃんは涙を流して肯定してくれました。基本的な合意ができましたのでここから治療に入ることにしました。
Kちゃんは水死のために水を多量に飲んでうめき続け、全身の皮膚が水にフヤケて寒さと痛みに苦悶しておりました。私は早速C子さんをうつ伏せにして、胃、胸の裏を押してKちゃんの幽体から水を吐かせました。これで随分楽になったとのことでした。続いて体の表面をくまなく浄め、口腔、歯ぐきを丹念に浄めました。
浄めの進むに従いC子さんの体には悪寒が走り身体全体がブルブルと震えました。それは1時間近くも続きました。C子さんの身体が次第に暖かい感覚に戻り始め震えも治まってきました。Kちゃんの幽体の辛さが神の力によって浄化され癒されてきたのです。それから間もなくC子さんは何とも感じない状態になりました。治癒したのです。
私はC子さんを起こして坐らせ、Kちゃんに対して状態を聞きました。幽体の痛みは去り心も楽になったということでした。私はここでKちゃんの霊に対して般若心経を3回供養しました。そのあと、色々と喩した上、Sさんの回復に協力してくれるよう重ねてお願いし、無覚上人にKちゃん霊の引導をお願いしました。私のあげる題目にあわせて、この薄幸な娘の霊は笑みをたたえながら昇天してゆきました。
さて、その後のSさんの病状はどうか?Uさんの話によれば、T大病院の医療の良さもあって、絶望視されていたSさんの病状は一転して次第に元気さを増し、食欲も大変出てきて体力もぐんぐんついてきたというのです。不思議な転回がなされたということでした。
一時は、医師にも厳しい宣告をうけてもう駄目と観念はしたものの、家の中心となるSさんに亡くなられては一家の行先は真暗になってしまうことから、諦めるに諦め切れぬ思いであったというUさんが、明るい方向に転換してきたSさんの状況を語る言葉の中には、窮竟(きゅうきょう)をのりこえたという喜びの響がありました。医師も治療経過は順調との由で愁眉を開いたというのです。
私はここでUさんに対して、Kちゃんの霊はC子さんによる代理治療によって救われたけれども、Sさんに対する直接治療ではないため、Sさんの病症回復について100%の効果を期待することの早計さを戒めました。その効果は30%位でしょうと申し上げたのです。Sさんの中にKちゃんの分霊がまだ残っているとすれば楽観は禁物であります。分霊の救済は各人別におこなわねばならないのが原則だからです。ここに代理治療の限界があるわけです。
ともあれSさんの状況は益々上向(うわむき)に回復の軌道を走っている由です。Uさんは医療のことはT大病院の先生にお委せし、私の助言に従い神様への参拝とKちゃんの供養に努めておられます。
Sさんの退院の朗報も間近いことの様に思われます。