宇宙神道 正神崇敬会の書籍の内容紹介 「霊障からの救い」笹本宗園著 第五章

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「霊障からの救い」笹本宗園著 第五章

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第五章 私の神霊治療
奇蹟は日常のこと

さて、本章では私の神霊治療の概略について述べてみましょう。この節ではその理念ともいうべき基本的な構造について説明したいと思います。
私の神霊治療の本質は「救霊」ということです。霊を救うということが眼目です。この「霊とは」、死霊、生霊を含み、また人霊、落ちた眷族霊、その他の自然霊、動物霊の一切を含めてのことです。そして肉体なき霊のみならず、生きている人間も含めてのことであります。救霊の対象となるものは以上のもの一切ということです。
「救うということは」どういうことかといいますと、人の死霊についていえば低い幽界に落ちて悩み苦しんでいる死霊を、祓い浄めたり説得したり、、祈願したり供養したりして、地獄界から極楽(天国)界へ救出することです。生霊についていえば、説得したり浄めたり、祈願したり、時には祓ったりして人間への憑依を離脱させ、少しでも高い境地に導いてやることです。他の霊についても同様です。
心霊科学が教えているところでもありますが、病気の多くは霊の憑依によって起こります。神霊治療はこのように人間に憑依した霊を救霊によって離脱させ、病気の原因となっていた憑依を取り除くことによって、人間の肉体と精神の活動を自然の姿にかえすことです。
従って、神霊治療の目標は救霊ということであり、肉体や精神の健康回復はその結果的現象であります。医学・医術は肉体や心理に直接はたらきかけて治療するわけでありますが、神霊治療は憑依している霊や人間の想念体にはたらきかけて祓い浄めをおこなうものである点が大きな違いです。つまり、救霊が第一であって肉体や精神の治療は第二段階で結果として出てくるものです。医学が終始肉体的なものを主体とするに反し、神霊治療では霊魂を主体として治療するのです。
たとえ話として私が屢々用いる例ですが、草取りするにあたって、医学の手法は土の上の見える部分を摘みとって、草取りが完了したとするようなものです。顕微鏡であれレントゲン写真であれ、心電図や脳波計であれ、様々な検査手法による可視的方法で検査し、注射や薬や手術や放射線などの方法で治療し、再びあとの検査結果で病状が消失していれば治癒とされます。この方法はいわゆる対象療法でありますから再発する病気も少なくありません。
神霊治療の手法は草取りをするのに根から抜きとる手法であるといってよいでしょう。病の根源になっている目にみえない霊的原因から消し去ってゆきますから、根本的な治療ということになります。これは神霊治療の基本的なメカニズムであり、私のところでは日常立証されていることです。
神霊治療は霊を対象とした治療でありますから、一聞したところでは迂遠な遠回り路であると考える人々もあるかも知れませんが、実際はそうではありません。むしろ根本の原因に直入した手法でありますから、その効果は非常に速やかに現われて参るものです。
私のところでは「奇蹟」は日常のこととして起こっております。医学・医術で難症とされている精神病(医師に診断された者)が大部分治っています。この大部分というのは、熱心に治療に通われた者は悉く治っているという意味です。中途でやめた人のみが治っていないということです。
厚生省が発表しているところの特定疾病(医学的に原因不明、治療方法未確立の四十三に及ぶ疾病、例えば重症筋無力症、全身性エリテマトーデス、多発性硬化症、悪性関節リューマチ、突発性難聴、小児ぜんそく、パーキンソ氏病ほか)の中でも、神霊治療をうけた人々のなかにいくつかの回復例があります。考えますに、医学的治療不能とか再発の多い治り切らない病気のなかには、霊的原因によるものが少なからず含まれていると思います。つまり、これらの医学的に見放されている疾病は、純粋に毒物によるものを除けば、却って神霊治療の対象としてなじむものが少なくないと思われます。
神霊治療は文字のごとく、神が主体の治療であります。高級神霊の御力による救霊によって、結果として身心の健康を回復する妙法です。私の存在は何かといえば、神の御力を取り次ぐ者にとどまるということです。電気の構造にたとえれば、神は発電所であり私は電線あり、神の力を霊体に向って通ずる役目をします。救わるべき霊は神の力を私を媒介者として受取るのです。神が主体で私が従属の姿です。私が主で神が補助的ということではありません。
もし私が、自己を主体とし中心と考えて神霊治療を行なったとしたら、その能力は殆ど無くなってしまうことでしょう。
神霊治療を行なうには、かりそめにも己を主と考えてはなりません。神を主とし奉るとき、奇跡は当然のように湧き起こってくるものです。

治療を受ける心得

私の神霊治療をうけることを希望する人々や、内容を検討してみようと考える方々のために、治療をうける心得について述べてみたいと思います。
第一の点は神霊治療を受ける心構えの問題です。神霊治療をうける人々は基本的には効果があると信じ、それを期待してお越しになるわけですが、なかには半信半疑の気持ちで見える方々も少なからずおります。あちらこちらとまわられて、試みの一つとしてみえられる方もあります。また、ここで治らなければもう諦めるしかないという位に真剣に思いつめてみえられる人々もおります。
神霊治療の効果は、それを信じない人にも効果があるかという問題がありますが、効果があることは申すまでもありません。霊術による治療は催眠術ではありませんから、客観的に精神と肉体の上に回復の軌跡を示すものです。働きかける力は人の意思をこえて作用しますから、信ずると否とにかかわらず良き効果を上げることができるものです。
では、信ずる場合と、信じないで治療を受ける場合とでは治療効果の上で差異が出てくるのかという問題がありますが、信じてうける神霊治療の効果は非常に大きく早いものです。自分の想念の上に抵抗がありませんから、神霊の救済力がストレートに入って行きます。救いの力が100を投げかけられるとき、素直に受けられれば100%の効果があがります。疑いの気持ちや反発の心がありますと、救済力に抵抗する力が働きますから、治療効果が若干減殺されることになります。
神霊治療をうける際には治療の効果を信ずることが最も有利なことです。信じないでも救われるということは神霊的なパワーによるものであります。そうであるからといって自分の側で神霊に依存しすぎてはならないことです。信じてうけ入れる人々は奇跡の賜物を、より早く頂けることになるのです。
第二の点は神仏を敬い祖先を崇めるということが、神霊治療をうける上で大変に大切な問題であるということです。
神霊治療は神力による治療であり高級神霊界からの救済力ですから、神仏を信ずる者にはその力がより速やかに流入して参ります。神仏と自分の想念がつよく結ばれてさえぎるものがありませんから、晴天の陽光をうけるようなもので、神仏から降りそそぐ救済力を充分にうけることができるのです。
神仏に対する信仰心の深い人々の場合、ことのほか回復が早くみられるものです。それは宗教宗派の違いによって優劣があるというものではありません。神道、仏教、キリスト教のちがいは勿論のこと、仏教の何宗だから良くて何宗だから効果が低いというようなことはありません。神霊治療の実践論の上では、神仏への信仰の如何が大切なもので、そのカラーがどうであるかということは問題にはならないことです。結局するところは、神仏への帰依というものが、宇宙の大霊、根源の神霊につながる共通の道であるからだと思います。
さらに、祖先を崇めるということはどういうことかといいますと、神霊治療の作用する過程では、多くの場合祖先霊とのかかわりで進行するものです。疾病の多くは祖先の霊の苦悩や迷妄の因縁によって惹き起こされています。祖先の慰霊や供養を大切にするか、おざなりにするかによって、祖先霊が浮かばれるか、未浄化のままに捨ておかれるかの大きな岐れ路になります。
神霊治療と併用して祖先の供養を充分に行なう人々は速やかに効果があがり、健康回復はもとより、家庭の平和と喜びをより早く手にすることができます。この意味で私は祖先の位牌供養ということを積極的におすすめしております。
事実、神霊治療をおこなっている際には、必要な時は先祖霊を呼びだします。でで来たご霊様方に聞いてみますと、供養をしてほしいという願望は大変つよいもので、一様に共通した願いなのです。そして、それを実行して差し上げますと大変に満足され、霊的に上昇されて成仏への道をたどるものです。成仏すると憑依状態が終了して、憑依されている人から離脱して昇天して参ります。ここで因縁の一つが解消されてゆき、それによって惹き起こされていた不幸な現象は終息することになります。祖先を崇めるということは、とりもなおさず自己自身の幸せをもたらし、自分につながる人々の上にも喜びを及ぼすことになるのです。祖先霊の供養は誰のためでもなく、自分自身のためにせねばならないことなのです。こういうルールは人間存在の根底に設定されている根本的な掟であると考えられます。
第三の点は治療の回数についての問題です。私のところへ照会してくる方、また訪ねてお見えになった方々の中には、何回くらい通えば治りますがという質問をなさる人々が多いのです。このお質ねに私は大変当惑します。私の経験による判断というものが内心にはありますが、具体的なケースについては個々にみんな違いがあります。霊障はそれぞれに異なった因縁、異なった条件によって生れている症状ですから、治療の回数も大変違いがあります。
例をあげて申しますと、非常に症状的に悪い精神病の人が一回で症状が消え去り、二回で完了したケースもありますし、それよりも軽いと思われた精神的疾患に三十回もかかったケースもあるのです。
霊障は掘ってみないと因縁の深さ、強さは仲々判らないものです。他所で霊視能力者にみて頂いたらこういう霊が憑いているというので取り去って頂きたい、こういう霊が因縁霊だそうですなどとおっしゃる人もいますが、私のところで改めて霊査してみないと確信のもてることは申せないのです。慿霊の数は数体といわれた人を掘り下げていってみると、なんと百体近い霊がでてきたことも数々ありました。その意味では世間的な霊視能力というものが神力からみれば如何に限定的で、近視眼的なものにすぎないかということが判ります。殊に、落ちた眷族霊、穢されたイナリについては、著名な霊視能力者といわれる人々でさえも、ふし穴同然の霊視力しかもちあわせていないといってよいでしょう。改めて検査してみないと全く信用できないといってもよい程です。
治療回数は因縁の深さと強さに比例して増えます。また、先述のように本人の心のあり方によっても左右されるものです。霊供養の工合によっても影響されます。しかし大抵のものは数回から十数回位の治療で終了しているのが多い実情です。
治療をうける人々に一般に見られる傾向の中に心のあせりがあります。十年余りも病み続けて来た人が、わずか十数回はおろか、数回の治療にもシビレを切らすこともあります。医師に四百回も通い続けた人が十回通っても治らないとあせりの心をもったりしますが、大抵はシビレを切らす頃に治りはじめることが多いものです。この辺になると信ずる人と信ずる力が弱い人との差がでてきます。かなり重い症状の人でも忍耐し切って治療を続けたために喜びを得た人は多く、さして重いとも思われない人でもあせりと諦めから途中で挫折した幾人かの方々がありました。個人的な都合や条件に拘束されて充分な治療をうけ難い人々には気の毒でありますが、自分のあせり、性急、早合点で決めこまないことが大切です。
治療の進行状況は次第に判るものですし、何らかの兆は必ずでるものですから、あせらず、急がず、常に平常心を保つように心掛け、初心を貫き通すように努めることです。
第四の点は治療の進行過程における注意の問題です。神霊治療を施すと痛みが次第にストレートに消失して症状が良くなってゆくのが望ましいのですが、一つにはこの様な直線的な回復をみる人もありますが、二つには、なお直線的な上向き過程をとらないで、治療の途中で一時的な悪化現象とも思われる症状をだす場合があります。これは、潜在化していた憑依霊が顕在化してくるために、霊のもっている痛みが肉体の人間にひびいてくるもの、伝わってくるものです。
憑依霊が顕在化することを「浮霊(ふれい)」といいますが、霊が浮霊してきますと気がフレたように現象が一時的に顕われてくるものです。昔の人が「あの人は気がフレた」などといいましたが、精神を犯されたと思われた人々のなかには、この「浮霊」が多かったわけです。
治療の過程で浮霊してきますと痛みが増したりします。咳込みがでたりすることもあります。しかし心配はありません。これらは回復に向う途中で起こる現象であってそのトンネルや峠を越えることが必要である場合にでてくるものなのです。この過程を越えてゆくと霊の癒しが早まり、次第に痛みの根が切れてくるのです。
この途上で、驚いたり怖れたりする人々も少なくありません。私はこの辺のことを予め出来るだけ説明をしておりますが、それでも事態に直面するとあわてたりするのが実情であります。こういう場合はどんなことでもよく話しあってゆくことが肝要です。神霊治療にはこのような、治療-浮霊-鎮静-霊の離脱=回復という過程をとることが比較的に多いものであることを知っておかねばなりません。ストレートにゆく場合は、治療-鎮静-霊の離脱(回復)という過程となります。
第五の点は神霊治療をうける場合は付添ってくる人が必要です。壮年の男子で比較的に軽症であれば別ですが、その他の場合は必ず付添人が必要です。これは霊査の場合に屢々付添人に質ねたいこともあり、治療の推移をよく見ておいて頂くことが必要であり、とくに浮霊状態になった場合などは大事な立合人となって頂くためです。私の神霊治療は明々快々、できる限りのことを知り、また知って頂くことが眼目であり、このことを通して早く、しかも充分な回復をめざしているからです。この意味から、付添のない治療は原則として受付けないことにしております。
若し事情が許されるならば複数の付添人があることがより望ましいのです。霊障者が子供の場合は両親や祖父母などが一緒にみえることがよいのです。これが霊障解決にプラスすることが大変大きいものです。

霊査・招霊について

神霊治療にあたっては「霊査」が必要です。霊査とは治療する人に憑依している因縁霊を調べることです。霊障が何らかの因縁霊の作用によるものであることは先に述べましたが、病気や不幸などの霊障をうけている場合、まずその原因となっている霊を探しだすことが大切です。
霊査の方法には霊視、霊聴による方法もありますが、このような方法はレベルの高い神霊によるものは意外に少なく、幽界レベルのものが多いために誤認や限界があって、その真憑性は甚だ低いものです。
私の霊査方法は、治療をうける人から、その人に憑依している因縁霊を直接に浮かびあがらせる手法をとっております。心霊科学の解明によっても明らかなように、人の頭部、額の奥の部分に松下腺がありますが、ここに人の手から発するオーラを照射しますと、憑依している因縁霊が次々と浮霊してくることが知られています。私はこのようなオーソドックスな方法を用いて霊査をおこないます。
ただ、この手法を用いるには、オーラの根源である高級神霊とのむすびが重要であり、霊査の過程でも常に守護神、守護霊のお力をかりておこなわねばなりません。このような認識や神との結縁がない人や守護が充分でない者がおこないますと、憑依霊に振りまわされて収拾がつかなくなることがありますので大変注意すべきことです。
霊査は私がおこないますが、その舞台裏は守護神、守護霊のお力によっておこなっているものです。神々の加護があることによって憑依霊は次々と浮かびあがって参ります。それは可視的な形、五感で認識される姿ででて来ますから、付添の方は客観的に認識できますし、霊査をうけている本人も全部のことが判ります。
霊査に入って憑依霊がでてくると手が震えるとか、瞼が激しく動くとか、体が揺れるなどの動きがでて参ります。浮霊した憑依霊に問いかけると動きや言葉や文字などで応答するものです。初回でも順調に行く場合が多いのですが、初回で不充分の際には重ねて霊査をおこなっていますと次第に明瞭になって参ります。
こういう方法で憑依霊の因縁、つまり本人との関係、憑依している理由、憑依した時期、その他諸々の事柄を調べるのです。これは霊の面からみれば救霊のための診断、検査に当る大変大切な事項であります。同様に、人の面からみれば神霊治療のための診断、検査として重要な手法であります。
霊査によって霊障の因縁霊が先祖霊であるか、水子霊であるか、生霊であるか、落ちた眷族霊ではないか、動物霊ではないか、など様々な観点から究明をおこないます。そして、治療上に必要な情報を予め知ることに努めるとともに、治療の途上においても逐次霊査をおこなって、都度々々必要な情報を得るように努めるのです。霊査はそれ自体が目的ではありません。救霊、治療の前提條件であるにすぎないのです。あなたには何の霊が憑いていますよといわれただけでは何の救いにもならないわけです。
神霊治療にあたって、霊査とあわせて「招霊」することもあります。招霊とは霊媒能力者に霊を呼ぶことです。一般には専門霊媒を用いるわけですが、私の所では専門ではないけれども数多くの霊媒能力をもった方々がおりますので、必要な場合にはこれらの方々にお願いして招霊することがあります。
霊を呼ぶと一言に申しましても、霊には高い神霊(守護神・眷族様)、霊界レベルの人霊(守護霊など)、さらに未浄化な状態にいる憑依霊までありますから、そのいづれの霊を招くかはその時の必要性、霊媒能力者の資質などによって選択します。招霊によってそれぞれの霊から必要な事柄を伺い、救霊、治療のための情報を得るのです。

神霊治療の施法

私のおこなっている神霊治療の手法は、本書第三章に述べたところの因縁消滅、霊障解消の方法のうち、統一法、念唱法の個人的因縁解消法を除く他の手法、つまり、祈禱法、浄霊法、説得法、供養法、除霊法、禁厭法などを用いております。
霊障解消に当って、諸々の情況判断によりその時と場合によってこれらの方法を適宜用います。ある場合には全く単独に使い、またある時は二法を併用します。さらにはこれらの方法を複合させて用いております。
霊査を要するまでもない様な軽い治療や、霊査を望まない方々に対する治療には祈禱法、浄霊法、禁厭法をもって施法します。例えばシモヤケにかかったとか、ヤケドをしたとか、寝ちがえをしたとか、肩こりがするなどの単調な症状に対しては、これらの手法を直接に施法しております。これらの方法は神霊治療の中における対症的治療法ともいうべきものであって、憑依霊の救霊昇天までは考慮しない肉体の治療を目的としたものであります。
重い症状の治療については、その霊的な原因を調べることが極めて大切です。医師が治療に際して充分な検査や診断をおこなうのと同様に、あるいはそれ以上の慎重さをもって症状を発している霊的原因を探り、それを正しく把握し認識することが先決です。
このために、本格的な神霊治療に当っては霊査または招霊によって、症状の因縁のもとである因縁霊を探索します。因縁霊は一つであるとは限りません。二つまたそれ以上ということもあります。身体の一ヶ所の症状に数体の因縁霊が憑いていたこともありました。はじめから因縁霊は一つと思いこんでいると大変な見当ちがいをすることになります。治療をする側も受ける側も留意すべきことであります。
私の霊査の手法については先に述べましたように、独断的な名人芸ではなく、神霊の加護のしたに可視的に確認できる方法でおこないますので、おいでになった方々はよく理解されているところです。百聞は一見に如かずです。霊能者と称して自分だけで判っていて、相手にはさっぱり判らない、極端に言うとだまされても判らない様なやり方は私の最も排撃するところです。そのようなやり方は前近代的な霊術というべきでありましょう。誰にでも納得できる霊査方法こそが、大衆に理解され、支持され信頼されることになると思います。チェックできないような霊査方法は大きな危険をはらんでいるともいえます。
さて、霊査または招霊によって因縁霊が把握されましたならば、治療に入ります。治療の方法は祈禱法、浄霊法、説得法、供養法、場合によっては除霊法、禁厭法をおこないます。これらの諸法は単独に用いても奏功しますが併用すると何倍かの力を発揮するものです。これらは法術でありますが単なるテクニックでないことは申すまでもないことです。神霊治療は神霊からの加護によってなされるものですから、人為的なテクニックと考えたら大変なことになります。表面的に軽卒に考えては取り返しのつかないことにもなりかねません。神聖な神技と受けとめねばなりません。
私の神霊治療の眼目が「救霊」にあることを述べましたが、この意味は対症療法的な神霊治療というものはその前段階のもので、自分の痛みが止まれば自分としては治ったことになりますが、霊の側では充分に救われたことにはならないわけです。霊も痛みがやわらいだ限度では一部の満足があるでしょうが、肉体身よりは八倍もの痛みがあるといわれる幽体身では、まだかなりの痛みが残っているわけです。それなのに肉体身の自分が楽になったからといって治療を終了するのは、霊的にみると大変不充分ということになります。
しかし現代の人々の多くは、霊の側のことよりも自分の側のことを重視しがちで、自分が治ったと思うと終りにして霊のことまで考えてあげないのが通例です。ただ、重い霊障の場合は霊の側の救済がないと自分の症状も好転しませんから、否応なしに救霊せざるを得ないという羽目になります。
私の神霊治療では、救霊のための治療を憑依霊の中の一部の因縁霊の救いを止める場合と、全部の憑依霊を救うまでおこなう場合とがあります。大部分の方々の治療は一部の因縁霊の救済に終わることが多いのですが、少数の奇篤なる人々の中には、全部の憑依霊の救済をおこなうことを希望される方もおります。
一部の因縁霊の救済によって大方の症状は消失してしまいます。一体の霊を救ったことによって強い精神病状が已んでしまったケースもいくつかありました。大概は一体から数体の救霊によってすっかり元気を回復するものです。
しかし、因縁のつよい方々の中にはその様な程度では治まらないものもあります。こういう方々にはやれる処までの救霊、全部救霊をおこなうこともあります。けれども、私は私自身の意思で強制することはありません。因縁霊の状況、願望を冷静に判断してお伝えし、その上で本人の判断や意思を伺います。神霊治療を受ける方はご自分の健康の工合、霊の状態、願望、諸々の都合を考慮した上で、どこまで救霊のための治療をなされるかを決断されればよいのです。
全部救霊をなされる場合には、その人に憑いている霊が次々に出て来て、浄化されると離脱、昇天して参ります。最も多いのは申しあげるまでもなく先祖霊でありますが、最近では水子霊も多く、穢れた眷族霊もかなり多いものです。様々な動物霊を背負っている人々も少なくありません。
一人の人間にまつわる憑依霊は実におびただしいもので、完全に浄化することになると人霊でも二十体、三十体の憑霊は普通で、多い人は五十体以上、百体以上という場合もあります。このことは、それだけ多くの先祖霊が浮かばれないままに、子孫の人々に頼っているということの証明になるのです。しかし、これだけ霊を浄化させて成仏させるということは、その人の家系にとっては大変な因縁切り、因縁の大転換になります。救われた先祖霊の喜びようは大変なもので、涙を流して感謝し、子孫への守りを誓いながら昇天してゆくものです。
穢れた眷族霊の霊障は甚大なものですが、よく忍耐してこれを一体浄化して神様におかえし申し上げますと、その功徳は大変大きなものがあります。この浄化については殊更に私の重要な使命(天命)の一つであると自覚しているところです。眷族霊を背負った人々は自分の健康のため、運命の好転のために、霊の浄化に努めて励んで頂きたいものです。
私の神霊治療では、原則として本人が直接にお越し下さることが条件です。私の治療は対面治療が基本です。この方法は直接に問査できますし、状態も観察できて最も確実な形態です。よほど不能な状態でない限り、都合がつく限りは直接の来訪をお願いしております。
病臥中であるとか、入院中であるとか、どうしてもお越しできない人に対しては代理治療の形態で施法します。これは親子、兄弟姉妹などの身内の者によって代理して治療するものです。身内の方に来て頂いて病気の方に憑いている因縁霊を招霊して、霊査し治療をおこなうものです。この方法の効果について100%近い場合もありますが、多くは20%~30%位とみてよいのではないでしょうか。その程度の効果はあると思います。やや似た形として病者本人の着衣等によって浄霊や除霊法をおこなうこともあります。また、本人の写真によって浄化、祈禱法をおこなうこともあります。
私は現在は遠隔治療はおこなっておりません。それは効果の確認が困難であるからという理由で、私自身積極的な関心がないからです。このことは遠隔治療の効果がないと考えているのではありませんから誤解のないように願います。自分の好みや方針によるものです。

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