人霊の浄化や動物霊の浄化については、宗教家や霊能者の世界でも取沙汰されています。仏教の主眼は、人間の霊魂の救済におかれていると思われます。先祖供養の特長はこの表現と思われます。世上の霊能者の関心も人霊、動物霊の浄化、救済に照準が当てられているようです。私もこの領域については、救霊の重要な部分と考えている次第です。救霊の第一歩はここから始まると申してよいでしょう。
かように、人霊や動物霊の浄化を対象とする方は多いのですが、こと、神霊の穢れたものの浄化という問題については、宗教家や霊能者の中でも、問題意識すらない人も多く、私がこのように問題提起しても、理解に苦しむ方々があるのではないかと思います。神霊が穢れることな徹頭徹尾あり得ざることと考えている方があるとすれば、それは大変旧い思考様式の方であると申さねばなりません。
一部の秀れた霊能者の中には、穢れた神霊の存在を知り、これを認識できる方々もおられるようです。「あなたに竜神の穢れたものが憑依しています」と指摘する方はかなり高度な霊能者と言えるでしょう。しかし、認識できるということと、浄化、救霊の取次ぎができるかということは別です。浄化、救霊の神力は容易に頂けないものだと思います。
多くの場合、神霊の穢れたものは巧妙な邪智、邪能をもっているので、霊能者の能力で捕捉できない場合が多く、人霊や動物に化けて霊視させることも少なからずあります。武士に化けたり、お姫様になったり、現代の美男美女になったりして、霊能者をたぶらかすことも少なくありません。
神霊の穢れたものはこのように認識も困難であり、その浄化、救霊となりますと、尚更に困難な問題です。このために、神霊の穢れたものの浄化祈願の取次ぎのできる霊能者を知ることは、大変難しいことです。
神霊の穢れたものは強い魔力をもっています。色々なランクがありますが、一般論として、人霊の未浄化なものの約二十倍以上の障害力を持っていると言えるでしょう。百倍、千倍、それ以上の魔力をもつものもあります。これらの浄化、救霊に要するエネルギーは大変なもので、霊能者が自力でできる限界を遥かに超えています。自力でできると考えると大変危険な目に逢います。
私が”霊能開発の旅路”において、人霊、動物霊の浄化能力のお許しを頂いたのは、昭和35年10月10日であります。しかし、神霊の穢れたものの浄化能力のお許しを頂きましたのは、昭和50年10月10日以降のことであります。この第一番目のお許しは、全神界の中で、まず、竜神界における浄化のお許しがでたのでありました。
竜神界と申しますと、素盞鳴大神を頂点とする、大国主神界(男性神)と、住吉神界(女性神)のことであります。水の竜神界のことであります。大国主神界は湖沼、池、井戸、丘などを守護下され、住吉神界は河川、海を守護下されております。幽界、霊界のご守護、人間界の生活、肉体についての守護も絶大なものと伺っております。
この竜神界の構造は、大略、次の様に区分されている由であります。
①眷族(けんぞく)神界(神齢四千歳未満の神霊界)
②臣神(おみがみ)神界の下級(神齢五十万歳未満の神霊界。端数を省略して、一般に上限四十九万歳と
称する
③臣神神界の上級(神齢百万歳未満の神霊界。端数を省略して、一般に上限九十九万歳と称する)
④皇臣神(すめのおみがみ)神界(神齢百万歳以上で、大神のご認定ありし神霊界)百万歳を超える神霊で
あっても大神のご認定なきときは臣神であられます。
⑤皇神(すめがみ)神界(大神の神界)
①と②の神界は、人間界と密接に接触してご守護下されるために、人間界の穢れを直接に受ける虞があります。現実にそのような事実が存在しているのです。その実態については今後徐々に述べるとして、このような竜神界の穢れしもの(いや、穢されしものと申した方が適切です)の浄化について、神界から私にお許しが出ましたのは次の通りです。
まず、①の眷族神界の穢されしものについての神許がありましたのは、昭和50年10月10日であります。この年月日は神界にとっても大きな切換の日である、とのお示しを頂いておりますが、奇しき日に素盞鳴神界、大国主神界、住吉神界から、神霊浄化の第一段階のお許しがあったのでありました。勿論、当日の私にはこの神界のご沙汰がすぐに判ったものではなく、後日になって判ったことです。当時の私の意識はまだ五里霧中にありました。
②の臣神神界の下級神界の浄化の神許がありましたのは、昭和53年10月10日のことと承わっております。①の時から三年後のことであります。
③の臣神神界の上級神界の浄化の神許がありましたのは、昭和56年10月10日のことと承わっております。②の時から三年後のことであります。この当時は結果的に体験いたしておりましたから、神許のことが確認できました。
なお、神霊浄化のお許しがでました段階における守護神の状況を差し支えない限度で申しあげますと、
①の段階では、竜神界九十九万歳の臣神が、大国主神界で五柱、住吉神界で五柱、顕現下された由であります。
②の段階では、竜神界九十九万歳の臣神が、大国主神界で五万柱、住吉神界で五万柱、おはたらき下された由であります。
③の段階では、竜神界九十九万歳の臣神が、大国主神界で五十万柱、住吉神界で五十万柱、おはたらき下されて居給う由です。なお、この段階で、竜神界皇臣神が直接におはたらき下されることになったのでありました。
私は昭和52年より人生の大転換をして、神霊とかかわる生活に踏み切ったのですが、これは私の計画というよりも、神界の深い仕組みの中で動かされていたということを率直に痛感するのです。
現代は霊障が万開の時代に入ったという説もあります。病気、災難、事故、犯罪、家庭暴力、家族崩壊など様々な現象が多発しています。表面的には生理現象であり、社会現象ですが、その根底には霊的要因が潜在していることが多いものです。この霊的要因の最も強い要素の一つとして、竜神界を穢せし罪による霊障があります。
竜神界を穢したことによる霊障は激しいものが多く見られます。私の体験ではガン、精神病などにかかわるものが多くありました。私の手許には少なからぬ資料が残っています。悲惨のドン底から救われた人々が沢山います。
竜神界の神々は、私の如き者に、何故にこのような浄化、救霊の取次ぎの役目をお許し下されたのか、私にとっては暫くのあいだ疑問の種でした。色々と思案いたしましたが、人間思案で判ることではありませんでした。
しかし、あれこれと考えてゆく中に、”病気治し”のためであれば医師や理学療法の専門家がいるわけであり、何かそれ以上の目的があると考えるようになりました。思案の揚句到達した結論は、神力の発現を通して、神の実在の証(あか)しすること、神の御心を具体的にお取り次ぎするためにお許し下されたものと、考えるに至りました。
そしてまた、このお許しは自らが”有名”になるためのものではなく、世上に見掛けるような、未熟な霊能しか持ちあわせないのに尊大に振る舞う多くの宗教家といわれる人々や、自称霊能者といわれるような人間になるために許されたものではないという、自戒の論理でした。
竜神界の最高神である素盞鳴大神は、限りなく強く、限りなくおやさしい大神であることを、日夜痛感しています。この大神は世上では荒神の一面が強調されて、全貌を理解し難い面がありますが、天が下を悉くしろしめす神として、大変な慈愛の大神様であります。
素盞鳴大神は、私の所には「海渡部(うみわたりべ)の皇(すめ)」とのご神名でお越し下されております。この神にお願い申しあげますとき、救霊、浄化のご神力は誠に絶妙のものであります。取次人である私と、依頼者の心が澄めば澄むほどに、それに即応したご神力の発動がなされるのです。
竜神界の浄化、救霊という大きな壁が、神界の側より開かれて参ったということは、大変有難いことであります。それは、宗教一般、精神世界全般の問題を考える上でも非常に大きな出来事であると考えています。
神霊界の実態をいささかなりとも知る者にとっては、稲荷神界に対する人間の不敬の蓄積、その実像としての神霊界に対する穢し、その結果としての霊障の多発という現象は誠に憂慮すべき問題です。
稲荷神界の臣神や眷族神であって、人間によって穢されてしまったものを、俗に”キツネ”と呼んで、動物霊と混同している人々が少なからずいますが、稲荷神霊は動物霊ではありません。野狐が出世して稲荷になるものではなく、稲荷が下生して野狐に生まれるものでもありません。両者は真に天地の開きをもつ異質のものです。
このような神霊としての尊貴な存在である稲荷神でありましても、人間が神界に対して不敬な行為をいたしますと、人間の罪を吸着し、負担して穢れるという掟があります。例えば、人間が稲荷神界に過大な欲望に充ちた願いをするとか、神祠を廃棄したとか、神璽霊符を捨てたとかの行為がありますと、稲荷神界に百万歳未満(端数を省略して九十九万歳迄のもの)の神霊は、人間の罪を負って、傷つき、倒れてしまうのです。私はこれを、神界における代償システム、と呼んでおります。稲荷神界の臣神、眷族神はこのような宿命を荷っているのです。(他の神界でも同様です)こうなると、本来純白な霊体である白狐姿の稲荷神が、真黒になってゆきます。穢れにより汚染されて、神界から邪神界へ落されてしまうことになるのです。
九十九万歳レベルの神霊までは、人間界の罪の反映として穢れを受けます。神霊自体の中には、穢れて落ちる要因はないようです。ただ、既に穢れている強力な邪神によって、正神界の下級の眷族神が汚染を受けることはあり得るようです。しかし、このようなケースは甚だ少ないもので、殆どの神霊の穢れは人間の悪い想念と悪い行為の反射として生ずるものです。
正神の稲荷神に対する正しい認識を欠き、穢されて悪さをして邪神化している稲荷を過大に見るという、大きな偏見を持っている人々を、時々見掛けるのですが、このように穢れた稲荷が発生した根源を探るならば、原犯人が人間自体であったことを、私共は知るのです。落ちて悪さをしている穢れた稲荷を責める前に、人間自身のお詫びが先行すべきだと思います。
稲荷神は、五大神界の一つである稲荷神界の神霊として、大変重要なお役目をもつもので、人間界とは直接に深い関係を持っています。現実界のご守護が中心の神霊で、人間の衣・食・住の全般にわたって、直接的に関与されております。私達人間が知ると否とにかかわらず、生まれてから死ぬまでの現世の生活を守護され善導されます。稲荷神を特異なものと考えて、「キツネ」として偶像化してはなりません。それは活々とした神霊そのものです。稲荷神は田畑にも、野原にも、職場にも、家庭にも在って、人々の生活の守り神としておはたらき下されておられます。
このように有難い稲荷神を穢してしまい、その結果として大きな霊障を受けている人間界の苦悩は、とりもなおさず稲荷神界の苦難でもあります。穢れた稲荷神は邪神と化して人間に憑依し、憑依された人間は稲荷神の苦痛を幽体、肉体の上に刻まれてゆくのです。
このような実態を解消し、救済してゆくために、稲荷神界から私に浄化、救霊のお許しがありましたのは、次のような神界スケジュールによるものでした。
まず、①の眷族神界の穢されしものについての神許がありましたのは、昭和50年10月10日であったとの由でありました。この時点は竜神界の眷族神の神許と同日のことであります。このことは後日のお祓いで判明したことで、当時明瞭に示されたものではありませんでした。稲荷神界では眷族神は一千歳未満の神齢のものと伺っております。
②の臣神神界の下級神界の浄化の神許がありましたのは、昭和55年10月10日のことと承わっております。①の段階より五年後のことであります。
③の臣神神界の上級神界の浄化の神許がありましたのは、昭和57年10月10日のことであります。②の段階より二年後のことであります。
このような浄化の神力をお与え下さるに当たっては、徐々に守護神様の数をご神慮によって増やして頂いたとのことでした。ご参考までに、稲荷神界許容の範囲で申し添えますと、守護神の神齢と数は次の通りであります。
①の眷族神界浄化の段階では、稲荷神界九十九万歳の臣神が、佐田彦神界で五柱、天宇受売(あめのうづめ)神界で五柱、おはたらき下されたとのことであります。
②の臣神神界の下級神界の浄化の段階では、稲荷神界九十九万歳の臣神が、佐田彦神界で五万柱、天宇受売神界で五万柱、おはたらき下されたとのことであります。
③の臣神神界の上級神界の浄化の段階では、稲荷神界九十九万歳の臣神が、佐田彦神界で五十万柱、天宇受売神界で五十万柱、活動下されたとの由であります。この段階では稲荷神界の皇臣神が顕現下されたのでありました。
このご神慮は佐田彦大神のご宣命によるものと拝し、感激おくあたわざるものでした。
私はご神示を頂く前は、神霊能力の開発は己自身の能力によるものと考えていた時期がありました。神祀りの功徳によって、己自身の努力によって開発された人間の能力であると考えていたのです。
しかし、考えてみますに、果たして私がどれだけの努力精進をしたか、どれほどの陰徳を積んだか、問題です。格別の修業をした記憶もなく、殊更に陰徳を積んだわけでもありません。己の努力によって獲得したものと考えるには過分のことであり、相応のことではないと気づいたのです。
私がなしたことは、神への全託、神への信頼、神に対する信仰ということでした。そして日々心から神名を奉唱し続けたこと、日々心から神仕えの行動をなしたことです。このような実践の中で佐田彦大神は、私の意識に先行して神霊浄化のお許しを下さっていたのであります。
佐田彦大神は、私の神床には「椿(つばき)の皇(すめ)」のご神名でお越し下されておわします。誠に恐懼感激おくあたわざるものであります。
私が昭和57年の春から秋にかけて、九十九万歳レベルの穢れた稲荷神(邪神)を相手にして、その浄化に悪戦苦闘し、昼夜兼行で死力をつくしていたとき、ギリギリの所で、佐田彦大神は助けの手をさしのべて下されたのでした。この時は私も肉体的に限界を感じ、神霊の浄化という問題に絶望しかけた時でもありました。心身の極限状況に達した時の救いは誠に忘れ得ないものです。この大神の厳しさと慈愛をひしひしと感ぜしめられたのであります。
神霊浄化という領域は大変厳しい道程であります。この道を歩む者は現世の名誉、地位、幸福にこだわり、毀誉褒貶(きよほうへん)に一喜一憂してはなりません。神の一点を見つめ、信じ、一筋に進むことが大切であると考えます。正神は常にご守護下されておわし給うのです。
山神界の男神界は佐田彦大神が主宰なされ、女神界は木花咲爺姫大神が主宰なされ給うと承わっております。少名彦那大神も山神と拝察いたしますが、この神は山神界と竜神界の中間にいまして、双方の神界に関与なされ給う由です。私が山神界の大神様から、山神界の穢されし神霊を浄化する役目のお許しを頂きました過程は次の通りであります。
①眷族神界の穢されし神霊の浄化の神許がありましたのは、昭和50年10月10日のことであります。
②臣神神界の下級神界(五十万歳未満の神界)の穢されし神霊の浄化の神許がありましたのは、昭和54年
10月10日のことであります。
③臣神神界の上級神界(五十万歳を越える神界)の穢されし神霊の浄化の神許がありましたのは、昭和56年10月10日のことであります。
山神界の神々は稲荷神界の神々と並んで現界守護の神々であられ、人間界に対して現世生活の厚いご守護を下されております。衣・食・住・物質界の万般のご面倒を見て下さる神霊でございます。
山神界の男神界は天狗神界ともよばれ、山で働く人々、木材、建築物に関する人々のご守護が特に甚大であります。この神界は威厳に満ち、人間の意志力に強いご守護を下されております。佐田彦大神のご神徳の顕現の神界と存じます。
山神界の女神界は木や草や花のご守護を下され、美に関する仕事、芸術全般、衣裳デザイン等の仕事にたずさわる人々に特に大きなご守護を下されます。
山神界は人間の身体に関しては男神界、女神界共に両腕、両手のご守護を下さる神界といわれます。山神界を穢した罪は手に痛みとしてでることが多いことを体験しております。人霊の霊障の奥に神界からの霊障が重なって伏在していることが多いものです。
さて、③の山神界の臣神神界の上級神界の穢されし神霊の浄化の神許がありました時点で、男神界、女神界共に百五十万歳の皇臣神が顕現下された由であります。恐れ多きことであります。
星神界の男神界は鈴江大屋根大神(すずえおおあねのおおかみ)が主宰なされ、女神界は菊理姫大神が主宰なされ給うと承わっております。星神界の男神界の大神のご神名を存じ上げないため、直接お伺い申し上げましたところ、「鈴江大屋根大神」とのお示しを頂いた次第でありました。
鈴江大屋根大神は銀河全体の主宰神であられます由で、地上では古来ピラミッドの山や建造物でお祀り申し上げた由であります。
菊理姫大神は北斗七星の神界の神と申されます。この神は白山神界の神と知られております。自由の女神像、スフィンクスの神像はこの神の化身と承わります。
私が星神界の大神様から、星神界の穢されし神霊を浄化する役目のお許しを頂きましたのは次の通りであります。
①眷族神界の穢されし神霊の浄化の神許がありましたのは、昭和53年10月10日のことであります。
②臣神神界の下級神界(五十万歳未満の神界)の穢されし神霊の浄化の神許がありましたのは、昭和56年
10月10日のことであります。
③臣神神界の上級神霊(五十万歳を越える神界)の穢されし神霊の浄化の神許がありましたのは、昭和57年10月10日のことであります。
星神界の男神界は宇宙、空中のご守護を下さいます。人体では胸部、腹部に主要なご守護を下さると承わります。宇宙産業、航空産業の人々は特に崇敬すべき神界でございます。
星神界の女神界は白山神界とも申され、神界しめくくりのお役に当たられ、人間界にもけじめのご守護を下されます。男神様と共に宇宙のご守護を下されます。
星神界の臣神神界上級神界の穢されし神霊の浄化の神許がありました時点で、百十五万歳の皇臣神が、男神界、女神界共に発現くだされたのでありました。
火竜神界の男神界は月読大神が主宰なされ、女神神は天照大神が主宰なされ給うと承わります。天照大神は宇宙のすべてをご統治なされ給う主神であられます。火竜神界は五つの神界の最奥にあって、中心となる神界であると承わっております。
私が火竜神界の大神様から、火竜神界の穢されし神霊を浄化する役目のお許しを頂きましたのは次の次第であります。
①眷族神界の穢されし神霊の浄化の神許がありましたのは、昭和53年10月10日のことであります。
②臣神神界の下級神界(五十万歳未満の神界)の穢されし神霊の浄化の神許がありましたのは、昭和56年
10月10日のことであります。
③臣神神界の上級神界(五十万歳を越える神界)の穢されし神界の浄化の神許がありましたのは、昭和57年10月10日のことであります。
この神界のご神許は星神界のご神許と同時でありました。そこで五大神界のすべてにわたる穢されし神霊浄化のお許しを頂戴したのでありました。
火竜神界の臣神上級神界の穢されし神霊浄化のお許しがありました昭和57年10月10日、火竜神界の男神界・女神界双方の皇臣神、百十五万歳の神霊が顕現下されたのでありました。
(中略)
霊の浄化と申しますと、従来は一般的に宗教界の問題と考えられて来たと思います。救霊ということは宗教家の専管事項とされて参ったようです。
しかし、現代のように、未浄化霊の存在が霊障を惹き起こすという因果関係が明瞭になってきますと、このような救霊、浄霊にまつわる問題は一部の宗教家にのみ委せておくことができなくなってきます。霊障現象が肉体の健康、精神の健康面にも多発してきていますが、このような現象に対応するためには、新しい医学、心理学、社会科学の智慧が必要になります。
霊障の解消には救霊策、浄霊が最も大切です。そのためには宗教は、霊能者が最も最前線において研究努力をすべきですが、医師、心理学者、社会科学者の協力も極めて大切です。しかし、それにも増して、霊障を受けている人々、その家族の人々の協力が必要です。
浄化すべき慿霊の問題について私の区分によって説明申しあげますと―。
第一に、「今世における憑依霊の浄化」という問題があります。これは人間が個人として誕生した以後に憑依された未浄化霊、不浄化霊の浄化の問題です。人間が生まれますとその家系の先祖霊等が一週間以内にほとんど憑依します。私の研究からみますと、平均百五十体の人霊憑依がみられます。多いケースでは四百体を越えるものも若干ありました。その他、先祖が穢した神霊、先祖が関係した動物霊も数多く憑依します。人間が誕生した時は憑依のラッシュの時でもあるのです。胎児の時に憑依するものもあります。このような今世誕生後の憑依霊の浄化ということが第一段階の課題です。
第二には「本人自身の前世、以前世における憑依霊の浄化」という問題があります。現在この世に生をうけている人々は、多い人で五千回余り、一般には三千回から四千回台の生まれかわりを経験していると承わっています。このような前世、以前世で積んだケガレとしての憑依霊が沢山あります。私の研究では古いもので六百代前世の憑依霊をもっている人もいました。このような前世、以前世の憑依霊の浄化が第二段階の課題です。
第三には、本人の前世、以前世の憑依霊の更に奥にある、「一奥(いちおく)、二奥(におく)、三奥(さんおく)の憑依霊の浄化」という問題があります。人間の魂の奥底には根深い憑依霊がひそんでいるものです。その第二と第三の段階を私は「自霊浄化の領域」と呼び、本人自身の霊魂浄化の範疇にあるものとし、今世における憑依霊の浄化段階と区別しています。
霊障の解消のために、これらの段階を次々に浄化して参りますと、霊障の病根は次第に消失してきます。あとは本人の想念の改善の問題と生理的、病理的後遺症の問題が若干残ることがあります。これにはその筋の専門家の力をかりることが必要です。以上のような経過を経ることが、霊の浄化、霊障の解浄に必要な手順だと考えます。
私の人生で味わったところの神仏とのかかわりを思い出すままに記して参りました。この「霊能開発の旅路」の中で、「私」という主語を数多く用いて、自身のことを物語ってきました。そのことは、私が自己顕示のためにいたしたことではなく、一個人の霊的体験を限定的に語りたかったからです。十人いれば十人の私があり、千人の人がいれば千人の私があります。一人の人間にも得難い数々の体験があるものです。私はそのような意味の一人として、”私”の体験を述べさせて頂きました。
私の神仏とのかかわりについては、まだまだ語りつくせぬことや、時には語ってはならないことなどもあります。しかし、余りに長くなりますと冗長に流れることもありますので、これで第一部「霊能開発の旅路」を終わりたいと存じます。