昭和55年、年の瀬も押しつまったある日の早朝、未知のご婦人から電話がかかってきました。大変せきこんだ調子で、「もしもし、先生は霊のことをなさる霊能者ですか」とのおたずねでした。「ハイ、少々いたしますけれど……、で、どういうことでしょうか」 「早速ですが、私の妹がおかしいんです。ここ数日、一日中独り言を言っているんです。時々独りでうなずいたりして、何かわからないことをつぶやくようにブツブツ続けているんです。誰かと話をしているようなそぶりなんですが、何か憑きものでもついているのではないでしょうか。実は国立のA病院で診察していただいたところ、強度の精神分裂症状だと言われたんです。このままでは入院しなければならないのです。付き添っていた兄が、これは普通じゃない、きっと憑きものの仕業じゃないかと言うものですから、霊のことができる霊能者の先生を探していたんです。先生どうか調べていただきたいのです」と、早口に申されたのです。
「とりあえず本人をつれてきてみてください。道順はこれこれ」と述べてお越しを待ったのです。
ほどなくして六十路を迎えるくらいのお母さんと電話をしてきたお姉さんに伴われて、うつ向き加減の二十歳余りの娘さんが来訪されました。招じ入れて対座したのですが、当の本人はなかなか顔をあげようとしません。付き添いの気丈そうなお母さんも泣き出さんばかりの沈痛な表情で、「先生、何とか助けてください」と言ったまま絶句しました。
ようやく聞きだしたお母さんの説明によりますと、この娘さんはS市に住む高橋里子さん(仮名・25歳)で、高校を出てから六年余り地元の会社で経理事務を担当してきましたが、特に変わったこともなく真面目に勤めあげてきた由です。ところが三ヶ月くらい前から職場での人間関係に違和感がでてきて、どうしても会社をやめたいと言ってきかないので最近退職させて、只今失職中であるとのことです。また次の職場は近所に当てがあるので近いうちに勤める予定になっていましたが、数日前から突如としてこのような状態になり、終日独り言をつぶやくようになったというのです。なお昨日は特にひどくて家の人とも会話をしないので、ますますおかしいという訴えでした。
そこで今度は本人からの状況聴取に入りました。「気分がわるいようですね」 「ハイ」 「誰かとお話をしているの」 「ハイ」 「相手の誰かの声が本当に聞こえるの」 「ハイ」 「どんな話をしているの」 「いろんなこと」 「相手が誰だか判るの」 「ハイ」 「では誰なの」 「……」 「疲れますか」 「ハイ」 「話をすると楽しいの」 「ハイ」 「相手の人もお話をしたがるの」 「ハイ」 「あなたの方からやめられないの」 「……」という状態です。
話を続けながら娘さんの顔を観察しますと、両頬から側面にかけて黒褐色の大豆大のシミが点々と現われていて、まるで重油を湿布したような感じでした。
暫くして、部屋の空気や私に馴れてきたせいか、やや寛いだ感じになってきました。お母さんやお姉さんも緊張感がほぐれて心にゆとりが感じられるようになりました。こんな雰囲気を感じてか、本人が自主的に語りはじめました。「前の勤めの時に、三ヶ月程前から何となく誰にも煩わされたくない気持ちになりました。人と話をするのがとても重荷になり他人と口をきくことが大変つらくなりました。他人と話をしてもちっとも面白くありません。なぜそんなことになったのかわかりませんでしたけれど……。独りで黙っていたかったのです。そうしているうちに同僚との折り合いもまずくなり、会社へゆくのがいやになったのです。たまらなくいやになってしまったのです。丁度その頃家の近くに知り合いの人から勤めてくれませんかと誘われた就職口がありましたので前の会社を急にやめました。やめてホッとしたんです。ところがやめて気が楽になったと思ったら突然耳の中から話しかける声がしたので応じているうちに、その話しあいが楽しくなってしまったのです」
「日中ずっとお話をしているんですか」 「ハイ、ずっと話をしています」 「夜もお話をしていますか」 「ハイ、疲れて眠っている間以外はたいてい話をしています」 「相手は女の人ですか」 「ハイ、そうです」 「知っている人ですか」 「ハイ、私の一番上の姉と同年の人です」 「他人の方なんですね」 「ハイ、そうです。親切ないい人です」 「何を話しているんですか」 「日常のいろいろなこと、考え方なんか」 「わかりました。ありがとう」
娘さんとの対話を打ち切り、ここから霊査に入ることにしました。里子さんを正座、瞑目、合掌させて霊査に入ります。手かざしすること一分間くらいで里子さんに激しい霊動が、目、手、ついで体全体に現われはじめました。口唇がピクピク動いて発言したいそぶりが感じられます。
「あなたは私とお話をしたいのですか」と尋ねます。突然里子さんの口が開いて、「ハイ、そうです」と明瞭な霊言が返ってきました。
一般には、初日から霊言がでるのはめずらしい方で、こちらが問いかけてもたいていはうなずくとか、目や手を震わせて意志表示の反応を示すことが多いのですが、この御霊様はすぐさま口がきけたのです。充分な浮霊状態になっていたからでしょう。
「あなたは何というお名前ですか」 「私は高田桂子(仮名)という者です」 「あなたはこの里子さんと一体どういうご関係なのですか、何のために憑いているのですか」 「私はこの里子さんと同じ町に生まれて丁度里子さんと同じ年(25歳)に結核を病んで死にました。今から十年前のことです」 「死ぬときも苦しんでいましたが、死んだあとも痛みがとれず苦しんでいました。誰も助けてくれなかったので知ってる里子さんを頼って憑いたのです。この人が大変心のやさしい人だったものですから」 「それでは、里子さんを怨んでいたわけではないのですね」と私。「とんでもありません。この人が良い人だから憑いたのです。頼りにして憑いたのです。憑くと痛みが大変やわらぐのです。でもまだ痛みはあります」(泣く) 「里子さんが病院で精神分裂症の診断をうけたことはご存じですね」と私。「ハイ、知っています。ここで入院させられては大変だと思ったので、昨日は一日中この人に一言も喋らせないようにしました」 「どうしてですか」 「普通の病気ではないということを家の人に知って貰いたかったからです。病院に入れられたら、私を救ってもらう機会がなくなってしまうからです」 「入院させられないで、私の様な霊の痛みを取り除いてくれる霊能者の所へゆけるという見透しはあったのですか」 「いいえ、充分な見透しはありませんでした。でも必死でした」 「私の所へ来るような予感めいたものはなかったのですか」 「そこまで具体的なものは一切ありませんでした」 「それにしても、ここまで来られてよかったですね」 「ハイ、大変よかったと思います。先生よろしくお願いいたします」 「それでは桂子霊さん、あなたの苦痛をやわらげてあげましょう。その代わりあなたの苦痛がとれたら、里子さんとの対話をやめて鎮まってくださいね」 「ハイ、必ずそのようにいたします」 「それではもう一つ伺いますが、里子さんの顔にでているシミを知っていますか」 「ハイ、よく知っています。それも私がさせているのです。私のことを判ってもらいたかったのでそうしたのです」 「では、あなたが楽になれば、里子さんの顔のシミも消してもらえますね」 「ハイ、それも必ずそういたします。ご安心ください」ここで霊査を終わりお祓い浄霊の心霊治療に入りました。
私は里子さんをうつ伏せに寝かせ、まず背面から胸部を約三十分丹念に手かざしのお祓い浄霊治療を行ないました。更に仰臥させて前面から約三十分間お祓い浄霊治療を施しました。里子さんは最初は目の霊動が活潑でしたが、浄めが進行するにつれて次第に鎮静してゆく様子が看取されました。前後一時間のお祓い浄霊治療が終わる頃には、瞼は殆ど静止して安らかな寝息をたてていました。
お祓い浄霊の治療が終わり再び里子さんを正座、瞑目、合掌させて対座し桂子霊と対話します。「御霊さん、痛みはやわらぎましたか」 「ハイ、大変楽になりました。ありがとうございました。本当に助かりました」 「この分なら、里子さんに憑きだして対話しないでも我慢できますね」 「ハイ、大丈夫です。ご迷惑はおかけいたしません」 「まだ多少の痛みはありますか」 「ハイ、充分に我慢できる程度のものですから今までと比べたら何でもありません」
「それではもう一度くらい里子さんの都合のよい時に来て頂いて桂子霊さんと里子さんの共通のお祓い浄霊の治療を致しましょう」 「よろしくお願いいたします。先生のご恩は決して忘れません」とその日里子さん親子は帰られました。
それから一ヶ月程経って里子さんがお母さんと連れだって再訪されました。母娘共晴々しい表情になっていました。私宅の玄関を入るなりお母さんが、「先生、本当にアレッキリ治ってしまいました。全く普通の子になりました。ありがとうございました」と満面に笑みをたたえて大声でそう言われるのでした。里子さんの顔のシミも殆ど消えかかっていて、注意してみないと判らぬ程度になっていました。色白の肌にピンク色の血気がさしていました。
第二回目のお祓い浄霊の治療です。里子さんに正座、瞑目、合掌の姿勢をとらせ、まず桂子霊と対話をします。
「桂子霊さんこんにちは、よくいらっしゃいました。今日は約束の二回目のお祓い浄霊の治療をしましょう。今日はお祓い浄霊治療の仕上げになるでしょう」 「先生よろしくお願いいたします。この一ヶ月間、本当に楽に過ごさせていただきました」 「あなたは約束をよく守ってくれましたね。静かに鎮まっていてくれたので、里子さんもお母さんも大変喜んでおられます。私も心からお礼を申します。では早速お祓い浄霊治療に取りかかりましょう」 前回と同様、丹念なお祓い浄霊治療を行ない、お祓い浄霊治療後の対話を行ないました。桂子霊は丁重なお礼の言葉と最大限の感謝辞を述べて鎮静されました。
それから又一ヶ月後、里子さんのお母さんが独りで来訪されました。里子さんは全く元気になり、予定の会社に勤めているとの由、完全に社会復帰を果たしたとの報告とお礼を兼ねての来訪だったのです。桂子霊はすっかり鎮静したわけです。
心霊治療を扱う霊能者として専門的にみれば、桂子霊はまだ里子さんに憑依していると思われます(あるいは離脱したかも知れません)が、ここまで鎮まっておられれば問題が再発することはまずないと考えられますので、これ以上のお祓い浄霊を勧めることは差し控えました。本件の霊障解除は、ここで静かにピリオドを打ったのです。
かつて私の所でお祓い浄霊の心霊治療で霊障を解消したK市に住む竹中佳代さん(仮名・39歳)が高校二年生の長男・良夫君(仮名・16歳)を伴って再び尋ねてこられたのは、秋の気配も徐々に深まりつつあった土曜日の午後でした。
良夫君は、さきにお母さんのお祓い浄霊の霊障治療の時にもたびたび付き添って来ていたので、私とも顔見知り、というよりもっと親密な間柄になっていました。
その日のお母さんは玄関を入るなり、「先生こんにちわ。前にもいろいろとお世話になって……。今日は倅のことでお願いしたいことがありまして」とおっしゃいます。「まあ、お上がり下さい。どういうことかゆっくりお話を伺いましょう」と二人を部屋に招じ入れました。良夫君はしきりに照れて頭をかいたり身体を動かしたりして、昔とは大分調子が違っていました。
お母さんがまず口を切りました。「いえね先生、前には私の方が余りにも大変だったものですから、この子のことは何も申し上げないでいたんです。けれども身体の具合が前から色々と変だったんです。学校にも行ってはいるんですが休むことも多く、学校にいる時にも時折具合が悪くなって迎えにゆくことがあるんです」
「そうだったんですか、それはちっとも知りませんでした。その辺のことをもっと詳しく聞かせて下さい」
「うちの子は、先生もご存じのように気立てのやさしい子で親の口から言うのも変ですが本当に親思いのいい子なんです。別に悪さもせず真面目にやっているのにどうしてよくない事が降りかかってくるんでしょうね」と痛恨の表情。
「うちの子は中学時代からバレーボール選手で活躍し、高校に入ってからも一年生の時には上級生をも凌ぐ活躍をしました。それが今年になってから急に病人になってしまったのです。二月頃から足首が痛みだし好きなバレーボールもできなくなりました。お医者さんにもあちらこちらと診て貰いましたが医学上は何ともないというのです。また今年の四月からは胸、喉が息苦しくなって倒れるような発作が時々起こるのです。一見するとテンカンのようなのですがそうではないといわれます。方々医者めぐりをしたあげく、国立K病院で詳しく調べていただいたところ、若手の優秀な先生がようやく病名をつけてくれました。<過呼吸症候群>という病名だそうです。症状の原因も不明です。治療方法も未だ判らないし直接利く薬もないと言うんです。発作が起こるとただ寝ているだけ。せいぜい鎮静剤ぐらいしか頼れません。発作は暫く休んでいれば次第にやんではきますが、発作時には死ぬんじゃないかと思うくらい七転八倒の苦しみです。こんな発作がいつどこで起こるか判りませんので、本人も親も、たえず不安におびえています。国立病院の先生のお話では、なんでも酸素を吸いすぎる病気で、今のところ治しようがないと言われます。こう言っては何ですが、先生これも何かの霊障ではないでしょうか。若し霊障であれば神様と霊能者の先生のお力をおかりして何とか助けて頂けないものでしょうか。よろしくお願いします。」
私はお母さんの話を食い入るように聞きメモをとります。何ともワケの判らぬ病気があるものだなと頭をひねりました。そしてこれはどうみても霊障だと思わざるを得ませんでした。
良夫君を正座、瞑目、合掌させて霊査に入りました。ものの十五分もたたないうちに、良夫君の身体が左右に動揺を開始。更に観察を続けると首から上は身体と反対側に揺れます。ゆらゆら、ゆらゆらと。この動作を見ていると蛇の蛇行する様相に似ています。ハハァー、長虫さんだなと直感が走りました。「良夫君に憑いている御霊さん、あなたは蛇の姿をしていますね」そう問いかけます。すると私の傍でわが子の顔をじっと覗き込んでいたお母さんの口から、「そうです」という応答がありました。
ここで少し註釈を述べますと、このお母さんは前の神霊治療(心霊治療)による霊障解消の時に、すっかり浄霊ができたために霊能が開発され霊媒の機能ができていたのです。普通のお母さんが余りそうなってはいけないと考え、今まで霊媒として用いないで、むしろ抑制するよう注意を与えておいた次第でした。私の所にはこういう人が現在十余名ほどおります。
さて本筋に戻りますが、図らずも子供さんの憑依霊に問いかけた応答がお母さんの口をかりてとび出したわけです。今回はこの線でゆこうと考え、霊査を続けました。
「御霊さんは何時から良夫君に憑いていましたか」 「子供の頃からずっといました」 「何か怨みでもあるのですか」 「そうです」 「良夫君の足首や呼吸困難の発作を起こしたのはあなたですか」 「わたしがやった。痛めてやった。思い知らせてやった」 「あなたは良夫君から害を加えられたのですか」 「いやこの子からではない」 「では誰にいじめられたのですか」 「前の代だ。いやその前からの関係だ」
これはおかしい。元々からの蛇にしては少しおかしい。私は一瞬考え込みました。
「あなたは元々からの蛇なのですか。それとも人であったものが死後に蛇化したのではないですか。どちらですか」
「私は今は蛇だ。元は人間だ」
それ以後の対話は省略いたします。何故ならばこのあと個人的な怨恨話が延々と続き、その怨念が厳しくもうら悲しい物語に終始したからです。
「さて、あなたは随分長い間、人を怨み続けてきましたね。その思いも解りますが、そのようなことを続けていてはお互いに救われませんね。まずあなたの苦しみを浄めて楽にしてあげましょう。そしてあなたが望むなら良夫君の家であなたの供養をして差し上げましょう。今までのことはお互いに水に流そうではないですか」と語りかけました。
「そうして貰えるなら許しましょう。私を楽にしてください」こうして一時間余りの霊査対話で基本的な話がついたのです。
和解の基本線がでれば効果は早いものです。良夫君を横にして背面、表面と頭から足の先までお祓い浄霊の施術を行ないました。特に憑依巣のある胸と足首は入念にお祓い浄霊治療しました。胸喉部の浄めの際には目のしばたきが激しく、せき込みが生じました。しかしそれも程なく終息し鎮静しました。足首の時には足の指先をしきりに動かして喜びを与えている様相が感じられました。二時間近いお祓い浄霊治療のあと、私は良夫君を起こして休息させました。其の後に天空霊神より神授の秘法「長虫霊障解除」法を施法いたしたのです。蛇霊は用意した御霊代に喜び勇んで入ったことは申すまでもありません。良夫君の身体から手を通して、蛇は徐々に御霊代の中へ蛇行しながら入ってゆきました。この時良夫君の目から、蛇霊の流す二筋の熱涙がほとばしり出ておりました。
「さあさあ 入れよ入れよ あなたのための あなたの御霊代へ 供養は七日 清らかな流れへあなたを送る」私は歌う如く、語る如く、この蛇霊の幸わせを心から祈ったのでした。今はもう敵もなく味方もない。愛憎も怨恨もふり捨ててすべてが和解します。人も蛇も己も彼もない、許しと祈りあいの境地が開けます。この時点で良夫君の一家は、また大きく前進したのでした。
蛇霊の一週間供養も終わり霊能者としての私の役目は完結しました。供養の終わった日、良夫君のお母さんが来訪されて素晴らしい報告をされました。良夫君の生活と健康は二日後から一変した由です。かつて健全であった時よりも早起きになり、五時起床、六時に学校へ出発、駅までの自転車利用をやめて徒歩、学校での態度も立派になり担任の先生から喜びの電話がお宅あてにあった由。足首の痛みは即日に消失し、胸のむかつきも消え去ってしまったとのことでした。心の中にも身体の中にも、そして生活の中にも大きな奇跡が起こったのです。
K市に住む前川知子さん(仮名・27歳)が神通霊能者の私宅へ来訪された時、泣きはらしたのか目のふちが厚ぼったく腫れあがり紅色を呈していました。背をまるめた姿は10歳も老けた感じで淋し気な表情をかくせませんでした。私は、言葉をかわさないうちに反射的に”赤ちゃんのことだな”と感じました。そして次の瞬間”あれ以来どうしたのかな。何か異変があったにちがいない”と思いました。
と申しますのは、知子さんの来訪は初めてではなく、かつて二回ほど来宅されたことがあり、面識のある人であったからです。最初は昭和55年11月頃、実弟とその妻(義妹)の健康上の問題で義妹を案内して来てくれたことがありました。12月に入ってからも義妹の付添役として再度来訪されたことがありました。その時には妊娠しているということで、大きなお腹をかかえるようにしておりました。私の記憶の中には妊婦服を着て義妹の身を案じながら傍でお祓い浄霊による神霊治療の様子をじっと見守っているあの姿が大変印象的でした。その時の話では11月の下旬が出産の予定日であるとのことで大変満足そうな表情をしておられました。そして、”長い間子供が出来ないので大変苦悩しましたが、ようやく子持ちになれるので嬉しい”と話しておりました。同行して来た知子さんのお母さんも本当に良かったと感慨深く話しておられたことを思いだしたのです。そして結婚後丸三年、まだ子宝に恵まれない義弟のことをしきりに案じていた姿が思い出されました。
私は目の前の現実に戻って、小さくなって黙ってうつむいている知子さんに問いかけました。「今日はどんなご用でいらっしゃいましたか」知子さんは私の言葉が終わるや否や大粒の涙を膝の上に落とし、急いで手にしたハンカチで目をぬぐいました。そして私の問いかけにはすぐに応じないで、態度と表情で私に来意を理解して欲しいと訴えているように思えました。
「赤ちゃんのことですね」と私。知子さんは遠慮がちに小さくうなずきました。「赤ちゃんはどうしたの?」知子さんはつまる様な声で、「だめだったんです。妊娠ではなかったんです」 「ええっ、ほんとうに?流産したんじゃないの?」と私。「いいえ、流産はしません。私がよく知っています。妊娠は本当にウソでした」彼女はしゃくりあげるように声をあげて泣きだしたのでした。私はあり得ないような話、あり得るべからざるような話に大きな戸惑いを感じました。どうして、どうしてと自問しながら暫くは判断がつかぬままに黙っていました。
「わかった様な、わからない様なお話ですから、もう少し詳しい様子をお話してください」と私は急きこんでお尋ねしました。
知子さんはK市で、長女として生まれ、22歳の時に現在の夫の所へ嫁ぎました。しかし五年経っても子供ができず大変悩んでおり、自分にはもう子供が授からないと半ばあきらめかけていました。ところが今春以来、正確にあった生理がとまり、お腹が徐々に大きくなり、妊娠としか思えない様な状態が進行してきたということでした。通常ならば医師の診断を受ける筈ですが、喜びのあまり妊娠については何の疑問も抱かず、夫も婚家の両親も実家の親も完全な妊婦として疑うことすらなかったということでした。夫婦で計算した出産予定日は11月下旬ということで、具体的な日取りまで予定して喜びの日を待ち望んできたというのです。自分の同級生達と同じ様に、自分も母親になれるという歓びに胸をふくらませてきたというのです。
お腹は日ましに大きくなる様に思い、事実そのようになってきます。予定日が近づくにつれてお腹は臨月の状態になり歩くことも困難になったというのです。ところが予定日を五日すぎ、十日すぎても生まれない。しかし多少日の遅れはあるものと思ったりして、周囲も「落ち着いた良い子が生まれるさ、お腹もこんなに大きいのだから」と安心していたというのです。しかし、半月、二十日経っても出産しない。お腹の中でどうにかなっているのではないかと不安になりましたが、よもや「「空(から)」であるとは夢想だにもしなかったということです。こうして一ヶ月が過ぎ、年の瀬を迎えることとなりました。不安が益々つのり始めましたが、自分に大丈夫だと言い聞かせるようにして希望を持つよう努力をしました。家族の人達やまわりの人々も待ちあぐねて真剣に心配し始めます。歓びの心は不安と動揺におびやかされる様になり、年の瀬のあわただしさも空事の様に思われ、気持ちと感情は自分のお腹にのみ集中しました。正月を迎えましたがまだ生まれない。ところが、正月11日、膨張したフウセンが空気を抜かれた様に大きかったお腹が突然しぼんでしまったというのです。考えもしなかったこと、自分にとってあってはならないことが自分の身体の上に起ってしまったというのです。流産もなく、肉体的・生理的に何等の変調をみることもなく、お腹だけがペチャンコになってしまったというわけです。それ以後、今日まで生理もストップしたままで五ヶ月も月日が経過したという次第でした。この間知子さんは精神的にも肉体的にも筆舌につくし難い苦悩が続き個人的な苦しみにさいなまれました。絶望感と、家族・親戚・知人に対する気がねから死んでしまおうかと何べんも考えたというのです。婚家にいるのも気づまりとなり、ノイローゼ状態になって実家に戻っていましたが、思い切って私の所で相談したら何らかの答がみつかるのではないかと考え、恥ずかしい気持もしたが意を決して参りました、と言うのです。
「霊的に問題があるかも知れません。調べてみましょう」と私は答えました。今まで彼女がポツポツと語る話の中から私は或る種の予感が浮かんだのです。
「さあ知子さん、正座して、瞑目して、合掌して下さい」私は神前に礼拝して霊査に入りました。坐すこと2~3分。知子さんの身体には次第に霊動があらわれました。まぶたが激しく動き、手が小刻みに震え、身体もゆれ始めます。頃合いをみて私は知子さんに浮霊している憑依霊に審神者として問いかけました。
「知子さんに憑いているご霊様は血縁のお方ですか」 応答はありません。「あなたは知子さんのご先祖様ですか」 知子さんの額には霊の示すためらいの表情が浮かびました。「あなたは知子さんのところと親戚関係にあたる方ですか」 軽いうなずきの動作がみられました。「あなたは女性ですか」 うなずく。「あなたは結婚した経験を持っておられますか」 うなずく。「あなたは子供を産んだことがありますか」 この質問が終わると知子さんの目から涙がこぼれ頬を流れ落ちました。「お子さんを産んだ経験はなかったのですね」と私。霊は知子さんの頭を大きくうなずかせました。そして口唇を大きく震わせて声を出しながら泣きじゃくるのでした。「あなたは亡くなる時に苦しみましたか」 霊は大きくうなずく。「あなたは子供が欲しかったのですか」 うなずく。「知子さんに子供ができなかったのはあなたの憑依と関係がありますか」 大きくうなずく。頭を垂れたままの状態が続きます。「では、もう一つ大切なことを伺います。知子さんの想像妊娠はあなたがなさったことなのですか」私はいささか責める口調で聞き、じっと反応を注視しました。知子さんは大きくうなずいて、うつむいたままの状態。
「よく判りました。正直に答えてくれてありがとう。あなたはまだ口がきけないので誰であるかを告げることができないのですね。知子さんのお母さんにも話して心当たりを探して貰いましょう。その上でまたお伺いします」
こうして第一回目の霊査を終わりました。そのあと知子さんに、お母さんにもこのことをよく話して該当する人霊の推定をしていただくように、またその資料があれば持参してくれるようにと依頼しました。
翌日、早速知子さんとお母さんが一緒に来訪されました。あれこれと考えた末、このご霊さんは知子さんの夫の家の縁者で、知子さんのお母さんとも知り合いの方ではないかと詳しい資料を書いてきました。この日は二回目の霊査で、果たせるかなこのご霊さんはその人であることがハッキリしました。大変悲惨な自殺をした人で、暫くみつからないままになっていました。図らずも知子さんの祖父が発見者となり、自宅に運んで来てねんごろに取り扱ってあげたことから知子さんの家族に頼ったこと、(当時知子さんはまだ生まれていなかったが)そのため知子さんが生まれた時から憑依していたことを告げてくれました。そして自分(霊)が憑依した知子さんを自分の本家筋に当たる夫の家に嫁がせるという奇しき因縁も明らかとなりました。私は知子さんのお母さんにご霊さんを丁重に供養してあげるよう勧告しました。聞けば悲惨な死であったために本来ならばより丁重にすべきところを、いい加減な葬儀で葬ってしまったということもあったとか。この死者は全く孤独のままに幽界でさまよい続けていたのでした。私は、知子さんの体を通してこの霊の幽体に心をこめてお祓い浄霊の神霊治療をいたしました。そして、幽体の痛みと苦しみがやわらいだことを確認したあと般若心経をもって供養し、宗旨にそった題目をあげ心からの慰霊をいたしました。知子さんのお母さんは家に帰ると、すぐさま知子さんの婚家のお母さん、このご霊様の母の嫁ぎ先(里方)のお母さんと相談して、丁重な供養をして霊をとむらったのでした。
その翌日、更にもう一度、知子さんの体を通してこのご霊様の幽体に対するお祓い浄霊の神霊治療を施法しました。知子さんにあらわれた霊の表情には見違えるような明るさが兆してきました。
それから半月ほどして知子さんが来訪されました。私宅の玄関を入るなり知子さんの顔はこぼれる様な表情で、「先生、元通りになりました!治りました」と叫んだのです。「元気になってよかったね。ご霊さんも浮かばれたようだね」と私。彼女が言う「元通りになった」というのは周囲の人間関係、自分の心理状態とともに生理的にも今朝そのしるしがみられたということでした。目の動き、声のはずみ、敏活な動作は半月前の彼女には見られないものでした。
これでこのご霊さんも浮かばれ、知子さんの霊・心・体は霊障から救われたことをハッキリと看取したわけです。思えば彼女にとっては生まれ落ちた時から長い長い霊障の旅路であったわけでした。
彼女は今、私の勧めに従ってある産婦人科の病院に通っております。医師からは機能的にも子供は出来るでしょうと診断され、新しいみごもりの日を夢見ながら希望を持って暮らしております。「次に伺う時は、朗報をもって来ますよ」と。
伊藤友子さん(仮名・29歳)は去年9月の初めに長男隆君(仮名・3歳)の言葉が遅れていることを心配して来訪され、暫くの間お祓い浄霊の神霊治療に通っていたこともあり大変親しい間柄の方でした。
「友子さん、いらっしゃい。今日はどんな用件ですか」 「今日は隆のことと別にぜひお伺いしたいことがあって参りました。隆のことは先日霊示があったとおり徐々によくなっているので安心しています。でもどうしても知りたいことがあるのです」
「一言でいいますと、私のお腹の子が男か女かを知りたいのです。私は次の子はどうしても女の子を欲しいと思っていました。家の者はまた男だといいます。私の祖母だけは女の子だと賛成してくれますがどうなんでしょうか。今日はそのことを調べて貰いたくて伺いました」 友子さんの表情は真剣でした。若い母親にとって、お腹の子が男女いずれであるかということは決定的に重大な関心事であるようです。いや、このことは父親にとっても同じかも知れませんが……。
私は依頼をうけて、その方法を占筮によろうか、霊言で確かめようかと一瞬迷いましたが私は友子さんがかなり良い霊媒素質を持っていたことを思いだしました。先に長男隆君のお祓い浄霊による神霊治療の際、隆君が幼児のために動きがありすぎて直接のお祓い浄霊の治療が困難なことから母親である友子さんを代わりとしてお祓い浄霊治療したこと、その時に良い成績を収めたことを思いだしたのです。
「友子さん、やってみましょう。正座、瞑目、合掌して下さい」 私は招霊にとりかかりました。
私は念じました。そして、おもむろに友子さんに念を送りました。1分たらずのうちにと友子さんの口が切れて霊言が発せられました。
「こんにちは、お世話になります。私は文治郎(仮名)です」 「やあ、久しぶりです。友子さんの曽祖父さんの文治郎さんですね」 「そうです。隆のことでは大変お世話になりました。隆のことは母屋の因縁ですから、友子たちが新家へ越せば次第によくなります。心配ありません」
「実は文治郎さん、今日の主題は友子さんのお腹に居る子が男の子か女の子か知りたいのですが、判りますか。判れば教えて貰いたいのですが」と私。
ここから誠に意外な霊言が始まりました。
「友子のお腹の子は私です!」
「本当ですか」 「本当に私です。私(文治郎霊)は隆の治療の時に先生のお祓い浄霊で上げて貰いました。おかげで痛い所も消え、悩みもなくなりました。多少の心配はありますが大したことはありません。先生にいただいたお経はありがたかったです。私は今度は女の子として生まれて来ます」
「今お話しているのも文治郎さん、友子さんのお腹の子も文治郎さん、こんなことができるのですか」と私。 「できるんですよ。私がやっているんですから。友子のお腹に入っているからあまり話したくないのだけれども、そういうことはできるのです」
「お腹の子は女だとおっしゃいますが間違いありませんか」と私。 「絶対間違いありません。自分なんですから。生まれた時に見ればハッキリするでしょう」 文治郎霊の言葉は厳然としたものでした。
「私は前世は男でしたが今度はどうしても女に生まれたかったのです。私は女の子として生まれて来ます」
「文治郎さん、もう一つお尋ねします。あなたはどうして友子さんの子供として宿られたのですか」
「私は曽孫が沢山居ますが外へ嫁にだしたけれどもこの子が一番気に入っています。だからこの子の子供として生まれたかったのです。それにこの子はしっかり者ですから、この子のお腹に入ってみんなのことを見守りたかったのです」 ここで文治郎霊に挨拶してひとまずお別れしました。
我にかえった友子さんに向かって、「どうでしたか。納得できましたか」と私。「ありがとうございました。私、嬉しいんですが信じていいのかしら……」友子さんはこうつぶやきながらしきりに目をしばたいて居りました。
それから二ヶ月たった4月の初め、かなり目立つお腹をかかえるようにして突然友子さんが訪ねて来ました。「先生、この前の招霊の時のこと、私はとても嬉しいのです。祖母は全部信じてくれました。私も信じているんですが、でも少し心配なんです。家の者は祖母以外はみんな男の子だと言いはっていますので。そこで念のためにもう一度やって頂けませんか。曽祖父さんには叱られるかも知れませんが……」
私は、再度の招霊ということにためらいを持ちましたが、友子さんの執拗な気持ちに動かされて、文治郎さんには聊(いささ)か申し訳なく思いましたが、あえてこの求めに応ずることにしました。
招霊。程なくして友子さんの顔面が動いて霊言がありました。「私は文治郎です。いろいろとお手数をかけます。今、友子が話すのを聞いていました。私は友子の中に居るんですからよく判ります」
「ああ聞いて居られたんですね。再度およびして同じことをお伺いするのは気がひけますが、友子さんの気持ちに免じて許してください。友子さんは曽祖父さんがお腹に入っていること、そして女の子であることを九分通り信じているようですが、少しばかり動揺があるようです。女の子が生まれることを期待する気持ちがつよいだけに、無理もない点もあると思いますので判ってあげて下さい」
「家の者達が男の子だといってはやし立てているのも知っています。倅の嫁(友子さんの祖母のこと)は素直で出来のよい人だから私のことを全部信じてくれます。友子も祖母に似て出来がよい。だから友子の子として生まれかわりたかった。私は今度はどうしても女の子に生まれたかったのです」
「友子の中の子は私です。いくら言っても同じことです。あとは生まれて来た子が男か女かしらべてみてください。それによって判断してください」 文治郎霊の言葉は確信に満ちたもので少しのためらいもないものでした。
こうして二回目の招霊も終わりました。友子さんは文治郎霊さんに念を押しに来たわけですが、念を押された形で自分自身に対する確信をとり戻し、納得して帰ってゆきました。
それから二ヶ月余りたった6月下旬、友子さんから電話がかかってきました。「先生こんにちは、友子です。本当に女の赤ちゃんが生まれました!」 「それはよかったね」 「曽祖父さんの話は本当でした!」 「何時生まれたの?」 「一週間前です」 「電話にでて大丈夫ですか?」 「大丈夫です。一日も早くこのことをお知らせしたかったものですから。とりあえず報告します」 「それはどうもありがとう。あなたの期待どおり女の子が生まれて本当によかったね」
こうして曽祖父霊の言葉どおり、また友子さんが願い続けて来たように現実に女児が誕生したのです。私は乞われるままに友子さんから提示された赤ちゃんの名前について姓名判断を行ないました。そして友子さんの希望したマサミ(仮名)という名前にOKサインを送ったのです。
それから二十日あまりたって友子さんが目を輝かせながらマサミちゃんを抱いて来訪されました。生後一ヶ月足らずの赤ちゃんを、一日も早く見てもらいたいという心情、産後早々につれて来ていただいた次第です。額がきれいで、くりくりした目、ほんのりと赤い頬、ああこれが文治郎霊さんの生まれ代わりのマサミちゃん。「マサミちゃんこんにちわ。いい子に育って下さいよ」 友子さんは私の言葉にあわせるかのように、可愛いわが子マサミちゃん顔を、食い入るように見入っているのでした。
「このたびは本当にすばらしい体験をさせて頂きました。この子を大切に育てます。ご先祖様を大切に供養します。あの世とこの世は本当につながっているんですね。このような貴重な経験をさせて頂いたことは私の考え方の上にたいへん大きなものでした。これからもよろしくお願いします」
友子さんはこう述べてほのぼのとした幸福感にひたりながら、マサミちゃんをかばう様に抱きながら帰ってゆきました。
再生した文治郎霊さんに幸あれ、生まれいでてよりよき人生の旅路の修業に励んでください。前世は男であり、今世は女として、より豊かな経験を積み重ねてください。すべては神仏の御心によるものでありますから。私は心の中で祈り続けたのでした。
風もさわやかになり始めた5月の初め、K市に住む矢沢ハナさん(仮名・85歳)の案内によって、ハナさんの近所に住む宮川ヨネさん(仮名・75歳)が霊能相談で来訪されました。ハナさんとヨネさんは若い頃から大の仲好しで、老境に入った現在でもその友情は少しも変わらないで、面倒を見あったり、お互いのことを心配しあったりしている間柄だということです。
ハナさんは、85歳という高齢にもかかわらず非常にお元気で、明朗な性質の方です。嫁ぎ先のしゅうとめが甚だ厳しい人であった由ですが、良く辛抱してつとめ上げたという苦労性で物分かりのよいおばあさんであります。今でも針仕事ができるといういたって健康な方でもあります。他方、ヨネさんの方は75歳でハナさんより10歳も年下のわけですが、色黒で背をまるくして坐っている感じは置きものの狸の姿そっくりで、ハナさんとあまり年の差を感じさせない様に見えました。
ハナさんは私の所の常連である小川さん(仮名)の親戚で、時折運命相談に来訪されていて、今度はヨネさんを紹介ということで見えたわけです。ハナさんは日頃の親友であるヨネさんが長年の間、手や腰の痛みで困っていることから、霊能者の神霊治療というもので何とかなるのではないかと考えて、まずは調べて貰おうと案内して来たというのです。ヨネさんはハナさんが紹介する間は一言も言わず神妙に控えておりました。大変静かなおとなしい人だなと思っておりました。しかし話を始めると次第に地がでて来て大変面白い人であることが分かりました。まず経過を伺いました。
ヨネさんの語るところによりますと、今から二十余年前、50歳頃から急に両手と腰に痛みが生じて身体が不自由になり家事や仕事(農業)にも差し支えがでて来てしまったというのです。それ以来、今日まで方々の医者にかかったり、ハリ・キュウ・指圧・アンマ・カイロプラクティック・漢方薬・湯治など片っ端しから試みて来たとのことでした。しかしどの療法にもこれといった効果も見られないまま長年痛みをこらえて不自由をかこちながら現在にいたったというのです。今も毎日医院に通って両手に注射を打って貰っているということで、私の前に見せられた両手の甲は一面に黒紫色に変色しており、所々は黒褐色を呈していて、人間の皮膚の色とは思えない異様な感じでした。毎日注射をして貰っても楽になるわけではないが、治療を受けないと不安な気持ちになるので何となく通院治療を受け続けているというのです。この頃ではお医者さんが注射針をさす際に手の甲が固くなっているために注射部位を選ぶのに苦労している状態で、針もうまく入らないのでさしたり抜いたりやり直しをするために大変痛くて、毎日の注射自体も大変苦痛の種になっているということです。
ヨネさんの着物の袖をずり上げると、手首から肘へかけてキュウ跡が黒々と残っていて、人の手というよりも古木の枝という感じです。「大変ですね」と声をかけると、「慢性になっているから平気ですよ。着物をぬぐと身体中キュウの跡で真っ黒けですよ」と答え、更に続けて「これじゃあ身体ごと焼いて灰にしてしまわないと治らないでしょうね」と冗談をたたきます。ハナさんが横から、「色々治療をやったんですが治らないので霊のサワリでもあるんじゃあないかと思ってつれて来たんです。どんなもんか調べて貰いたいんです」と口添えされました。
ヨネさんに正座を指示しましたが腰痛のためによく坐れません。両足を開いた間へ尻を落とすように坐ります。合掌、瞑目して頂きます。
霊査に入って十分程経過しました。ヨネさんの眼球が左右に動いて眼が微動をはじめます。やがて、合掌した手の指先が離れないままの状態で指が内側に曲がりはじめ、指の間が次第に開きはじめます。狸霊の特徴です。
私はおもむろに語りかけました。「ヨネさんに憑いているのは狸の霊さんだね」するとヨネさんの首が前へ大きくうなずいたのです。
「狸さんは長い間ヨネさんに憑いていたのですか」ヨネさんはまたコクリとうなずく。 「あなたはヨネさんが好きなのかね?」更にうなずきます。 「狸さん、あなたは手や腰が痛いのかね?」 ヨネさんの首はまた大きくうなずきました。
「ハハァ。ヨネさんの手や腰の痛いのは元々は狸さんの痛みなんですな。痛いあなたに憑かれているからヨネさんの身体に痛みを滲みだしてくるんだね」 ヨネさんは小さくうなずきました。 「狸さんは若いのかね」首は動かない。 「それでは年寄りですか?」ヨネさんはうなずきます。「あなたは女ですか?」またうなずきます。 「あなたは生前どこに住んでいましたか?K市ですか?」 ヨネさんの表情は目をしばたいたまま不動。「昔はK市ではなかったから、T村ですか?」ヨネさんはうなずきました。
「T村のどこさ」ハナさんが傍から声をかける。 「○○川べり?」 「○○峠?」ヨネさんは動かない。 「○○山?」 まだ動かない。 「それじゃあ○○越?」ヨネさんの首は大きくうなずきました。
ハナさんの注釈によれば○○越というのは、昔から茅(しば)山で家屋が茅葺屋根であった頃は大変貴重な資源供給の山で、秋になると部落の人達が総出で茅刈りにでかけた山であり、ハナさんも二十年くらい前までは毎年行っていたものであること、そこには昔から狸が住んでいたという話があったことなどを物語られたのでした。
「○○越の狸さん、あなたはおばあさんで手や腰が痛いわけだね」と念を押すとヨネさんの首はうなずきます。 「あなたは人に殺されたの?」と聞く。ヨネさんの首は少し左右に動く。人手にかかったのではないらしい。 「人に恨みはあるの?」首は左右に動く。 「あなたは老衰で死んだのかね?」ヨネさんの首は大きくうなずきました。 「それではあなたはヨネさんに頼って、ヨネさんの身体の中に入って痛みをやわらげているのかね?」と私。ヨネさんはうなだれて、うつむいたままです。
ヨネさんと合掌した両手は双方からおにぎりをつかんだ様な恰好のままで、狸の姿に似て何とも言えない滑稽さと哀憫を感じさせます。
「狸のおばあさん、あなたの痛みを早くとってあげましょう」と私は人間に対すると同じ気持で声をかけました。
ヨネさんを臥寝させてお祓い浄霊の心霊治療に入ります。痛みの部位である腰部を後ろから一時間程集中的に心霊治療します。あと仰臥させて前から腰部を十分程お祓い浄霊治療します。お祓い浄霊治療の進行に伴ってヨネさんは不思議に楽になってゆく感じがすると言われました。腰部お祓い浄霊治療のあと、約50分程、両手のお祓い浄霊治療に入り手の甲と手首を浄化します。手の方もお祓い浄霊治療の進行に従って心なしか軽くなってゆくとのことでした。こうして二時間、第一回目のお祓い浄霊による心霊治療を終わりました。
ヨネさんは翌日再来して第二回目のお祓い浄霊治療を受けました。腰の痛みは第一回目のお祓い浄霊治療で消失してしまい、今日は何ともないということでした。自分でも妙なくらい痛みがないので不思議だというのです。「狸が先生にバカされてしまったのかな」といってカラカラと笑うのです。また一緒に見えたハナさんも、「狸もヨネさんも一度に治っちまったんだ」と言って、身体をよじりながら楽しそうに笑いこけるのでした。
難病の腰痛が一回の神霊治療(心霊治療)の施療で治ったというヨネさんの喜びと、紹介の労をとったハナさんの心配甲斐があったという喜びと、狸という誠に奇妙な霊の介在によってなされていたという筋書がたまらなくおかしいものに思えたのでしょう。
「今日は手だけお願いします」というヨネさんの言葉に促されて、坐ったままの形で手首・手の甲・指の一本一本を丹念にお祓い浄霊治療します。ヨネさんは時折手のひらを握ったり開いたりして自分の感覚を確かめています。固く凝って聊(いささ)か曲がり気味だった指が次第に柔かくなり、真っ直ぐに伸ばせる様になり、しこりが次第にとれてゆきます。手の甲の脇も張りがとれて弾力性を増してゆくのがわかります。二時間のお祓い浄霊治療が終わる頃にはコリコリになっていたヨネさんの手は、柔軟な弾力性をとり戻して指の運動も伸縮自在となりました。 「不思議なこともあるもんだ」とつぶやくヨネさんに私は、「もう一度くらいやればよいでしょう」と言って帰しました。
翌日、ヨネさんは独りで来訪されました。 「さあ、ヨネさん今日は仕上げをしましょう」と私は声をかけます。ところが、ヨネさんの対応は、「今日は先生神霊治療はいらないですよ。お礼に上がったんです」というのです。「手の方も本当に何ともなくなってしまったんです。これこのとおりです」と言いながら両手を上に伸ばして指を伸縮させながら笑うのです。「二十何年も痛かったのに、どうして治っちまったんでしょう」ヨネさん本人も現実に治ってしまったことと、自分の観念のギャップに半信半疑の気持ちですと言うのでした。
暫く経って来訪したハナさんの話によれば、ハナさんやヨネさん達で組織している部落のお念仏会のお婆さん仲間のあつまりでいつもヨネさんにまつわる「狸物語り」が話題の中心になっているということでした。K市のH地域にもう一つの名物語ができたというのです。
K市に住む三浦由美さん(仮名・20歳)の場合、事態はとても深刻でした。
由美さんのお兄さんの聡さんとは運勢相談のことで何度となくお目にかかっており、かなり親しい間柄になっていました。妹さんがいるということは知っていましたが、霊能者として私がお会いするのはその日が初めてでした。
以前伺っていたことによると、由美さんは高校一年生から三年生までずっと学年一位の成績で通したという秀才だそうです。
毎晩遅くまで勉強していて、家族の者も本人が何時に寝て何時に起床したかわからない程の努力家だったそうです。
由美さんは父母と兄との四人家族の資産家で、裕福な家庭のお嬢さんという身分です。家庭的には問題のない恵まれた条件の下に育てられてきました。
初対面の由美さんは色白で眼鼻立ちのハッキリした利発そうな顔をしており、一見して賢い感じの娘さんでした。話してみると言葉も明確で話の筋も中々論理的で、女の子にしては大変めずらしい子だなという印象を受けました。
初めに兄の聡さんから、そのあと、由美さんから直接、具体的なお話を伺いました。その内容は誠に不可解で、甚だ可哀相な状態、危険な状況におかれているということがわかりました。
兄の聡さんの語るところによりますと、由美さんは中学時代には体重が60キロもあって大変よい体格をしていました。勉強もスポーツも共に大変よくできました。
高校に入ってからも一年生の時はずっと体重もあり、学業と同様に運動もよくしたというのです。ところが高校二年生の秋頃から次第に食欲が減退して、食事量をあまりとらなくなってしまいました。たとえば朝夕の食事も、軽く茶碗一杯のご飯をもてあますようになり、湯茶などの水分もほんの少ししかとらないようになってしまったというのです。食事時になると、家族の者が心配していろいろ注意をするのですが、本人は一向に聞き入れず、却って拒否反応がでるというのです。
学業面では非常に優秀で、テストはいつも抜群の出来です。身体の方は次第に痩せてゆきながらも勉強時間は十分にとり、睡眠時間は極度に制限してきたというのです。これでは生命が危ないということで家族の者は心配し続けてきたということです。
高三になる頃から体重が激減して40キロくらいになり身体はがりがりに痩せてしまいました。しかし普段はおとなしい由美さんが食事に関してだけはどうしても頑として聞き入れようとしないということです。
高校三年卒業時は首席で、すばらしい成績を飾り、例年にない特別賞まで受けるという栄誉を得ました。進学も希望の短大に推薦入学となりました。ここまで身体の健康がよく保ち得たと家族一同ほっとしたとのこと。短大に入ってから、食事量はますます減り、食事時にはハシを持っても殆ど食べない状態になり、遂には体力も著しく衰えはじめて、折角入学した短大もわずか二ヶ月で通学不能になってしまい、やむなく退学しました。
家族の者は学業の中途挫折のことも大変残念がりましたが、今はもう生命のことを心配する段階となりましたので、医師に診てもらうよう本人に勧めました。これについても頑として聞き入れようとしないので困り果てているということでした。
由美さんの話によりますと、高二の頃、太りすぎが気になり始めたので多少の減食を試みようとしたところ、次第に食欲が減退してきて、遂には食事が負担になってきたというのです。今では食事時に食べねばならないと思うだけで耐え難い精神状態になるとのことです。
身長160センチくらいの身体で体重40キロというのは大変な痩せ方です。このまま病院へ行けば重患になると思うので長期入院―死となるのが恐ろしくて病院に行く気にもなれないのです、という訴えでした。このような経過・症状からみて、聡さんは妹の由美さんに何か霊的原因があるのではないかと考え私のところへ頼ってきたというのです。
本例については、霊査とお祓い浄霊の神霊治療を繰り返して合計18回にわたり施術しました。最初から憑依霊が何者であるかということは判明しないために、施術の都度、霊査―お祓い浄霊治療を行なったわけです。こうしたやり方を積み上げていった結果、憑依霊が白狐であったことが判りました。この経過を、資料により記録式に述べることにします。
第一回目の霊査の際に、正座、瞑目している由美さんの目にいち早く強烈な霊動が現われました。そして大粒の涙が流れ落ちました。由美さんの表情は極めて暗く、由美さんの感覚では胃が締めつけられるように苦しく背中が非常に冷たい感じであったということです。強い慿霊を受けていたわけです。身体を腹背から十分にお祓い浄霊の神霊治療をしました。
第二回目の霊査時は目の霊動と落涙は前回同様。少し霊声がでました。由美さんの感覚でも口を開こうとする感じがあった由。表情は淋し気。あと、十分にお祓い浄霊治療。(この日の夕食は一年半振りに大人一人前の食事を平らげたということです)
第三回目の際はお祓い浄霊治療に専念しました。第四回目もお祓い浄霊治療に専念。(手に浮き出ていた血管の青さが見えなくなりました)
第五回目のお祓い浄霊では霊査中に由美さんの身体が次第に前倒しになり、深々と私の方に一礼して感謝の表情を示しました。(自分で体の復元ができず、起こしてあげました)
第六回目、第七回目の時も体を前に曲げて深々と礼をしました。口からは長いヨダレを垂らして、顔は苦悶の表情にみちていました。(体の復元はまだ不能、助勢)
第八回目はお祓い浄霊治療に専念しました。由美さんのお腹が大きな音をたててゴロゴロと鳴りました。
第九回目はお祓い浄霊治療のあと般若心経を読経してあげたところ合掌の手を組み手にし、次に両手を膝に置いて丁寧に一礼し自分で体を起こしました。「あなたは由美さんのご先祖様ですか」との問いに、首を横に振る動作を見せました。余分には語りかけないことにしました。
第十回目は由美さんが胸部に圧迫感があるとの訴えで、「霊の病か」と尋ねたところ、うなずきました。読経供養したところ今回も丁重な一礼があり、自分で楽に姿勢を復元できました。
第十一回目は由美さんが便秘で苦しいとの訴えにより、「霊の苦痛か」と尋ねたところ胃腸疾患であること、別に気管と胸部にも疾患があるとのことでした。度重ねてのお祓い浄霊治療により徐々に楽になってきているとの由でした。
第十二回目は今一番痛んでいるところを示すように言ったところ、胃部に手をあてました。重点的にお祓い浄霊治療しました。
第十三回目は今日も最も痛いところを聞いたところ、下腹に手をあてました。二、三質問したところ、腸ガンを患っていたということでした。腸を重点的にお祓い浄霊治療しました。
第十四回目は腸と口に痛みが残っていると言うことで、その部分を重点的にお祓い浄霊治療しました。お祓い浄霊治療しながら想念の切り替えの大切さを説き、読経をしたところ由美さんを通して口が動くようになりました。
第十五回目は霊査の時に初めて霊の発声があり、口が切れたのです。それから一時間余り霊は色々なことを話し始めました。名前を聞いたところ、「ノリコ」と答えました。そして今回まで丹念にお祓い浄霊治療してもらったために身体中の痛みがとれたことに感謝の言葉を述べ、ついには立ち上がって体操をはじめるなどしました。十五回のお祓い浄霊治療で霊の痛みは消失してしまったというのです。
第十七回目はもっぱら私との間で対話となり、名前を正確に示すように言ったところ、「神・開真典子」と畳の上に書いたのです。「加者間典子」とも書きました。「カスァマノリコ」、「カサマノリコ」と私は読みあげ、ここで私には白狐霊であることが感知されました。
第十八回目は由美さんに長い間迷惑をかけたことを詫び、救って頂いたお礼を述べ、聡さん、お母さんにも丁重な詫びとお礼を述べ、離脱してゆきました。
由美さん一家は大変安堵しました。お祓い浄霊の神霊治療中の約半月の間、曲折はありましたが食欲は徐々に回復の兆しが出はじめておりました。絶食状態で死ぬのではないかと真剣に考え、覚悟を決めていた家族の人々にとって、それは大変な光明であったのです。
白狐霊が離脱するとともに食欲はよりハッキリした形でよみがえり、三回の食事をまがりなりにもとれるようになったのでした。そして食事の用意も自分で全部するようになったのです。
長い間食事量が少ないために慢性的な便秘状態でしたが、食事がすすむに伴い便通も次第に回復してきました。青白かった顔にも赤味がさして、見るからに生気が戻ってきた様子です。
睡眠時間も慿霊中は一日に三時間から五時間程度ということでしたが、六・七時間程に回復してきたということです。
顔立ちも俗にいう狐顔でしたが由美さんの幽体から白狐霊が分離したことによって、次第に肉付きがでて、人間らしい表情に戻ってきました。
言葉使いも論理的で厳しい角ばったところがとれて、やさしい温かみのある話し方に変わってきました。由美さん本来の人格が帰ってきたわけです。
お正月の気分がまだ残っている1月中旬のこと、M市に住む坂井道夫さん(仮名・39歳)がお母さんに伴われて霊能者として活動している私宅へ来訪されました。
このお母さん(75歳)は前年の暮れに長男夫婦と一緒に別件の相談ごとでみえられたことがあり、再度の来訪でした。前回のときに相談の応答が終わったあと、たまたま話が次男(道夫さん)のことに及び、年が39歳にもなるのに身体の調子が悪く、未だ独身のままであるということ、仕事にも身が入らずブラブラしていることが多い状態であることを話され、何か霊的な原因があるのではないかと思うので霊能者の先生に調べて欲しいと頼まれていたのでした。正月すぎにやりましょうという約束で今日いらっしゃったというわけです。
道夫さんは一見して、やや精気がない感じ、気持ちが滅入った状態が感じられました。一般的に憑依されている人々の特徴的な表情が顔にあらわれていました。しかし対面しての態度や挨拶の言葉はかなりハッキリしていますし、話の内容もしっかりしていましたので日常生活が異常であるとはちょっと考えられないくらいでした。身体はやや痩せ型ですが身長は170センチくらいあり、標準的体格で特に虚弱という感じはありません。ただ長兄が体格の良い人ですから対比してみると多少弱く見える感じはありましたが、さきに伺っていたような弱々しさは特に認められませんでした。
詳しい経過や症状を伺いましょうということで、道夫さんとお母さんから様子を改めて聴くことにしました。まずお母さんから全般的な経過状況が語られました。そのあと重複するように道夫さんから同じことをやや捕捉するような形で語ってもらいました。その内容は、次のようなものでした。
道夫さんは小学校の頃は他の子供と別に変わったところもなく、成績はいつも中くらいで、運動の方は非常に活潑にやっていたということです。
中学の頃はやや内向的な感じはありましたが、別に問題になったこともなく平凡に過ごしたということです。成績も中くらいの線は維持できた由です。
高校に入ってから内向性は強くなりましたけれども温順な子という印象で、ことさらに病的な感じはなく、お母さんも特におかしいと思ったことはないとのことでした。学業は普通、運動は控え目になったくらいに思ったということです
しかし高校を出て、家を離れて就職し会社の寮に住むようになった時から突然に憂欝な気分になりはじめ、日常生活の中で耐え難い苦痛を感ずるようになったというのです。そこでの勤めは長続きせず、半年くらいで退職しました。それ以来二十年あまり何回就職しても一年以上勤続したことがなく、職種の適否をしらべてもらって、やってみても駄目だったというのです。健康上の問題があるのではないかということで病院にも長いことかかってきましたが、ノイローゼということで服薬を続けてみても効果がなく、本人も通院しなくなってしまったということでした。
今では長兄の仕事(食堂)を手伝わせるということで調理を担当させられているのですが、それも実際にはできない状態であるというのです。長兄が朝道夫さんを現場へつれて行っても(通勤に一時間以上かかる)、昼頃には職場から消えてしまうというのです。そして自分の独り住まいのアパートへ帰って寝込んでしまって、二、三日はそのまま休む。また兄がつれに来て現場へゆく。昼頃には帰ってしまう。休む。こういう状態を何度も繰り返しているというのです。
道夫さんの話では、朝、兄につれられて職場に行っても昼頃には何となく息苦しくなって、そのまま仕事を続けているのが辛くなり飛び出したい気分になるというのです。そうなると矢も楯もたまらなくなってしまい、自分のアパートへ帰りたくなって、一目散に帰宅して寝込んでしまうというのです。兄につれられて出かける時は、今日こそはそうしないようにしようと思うこともあるのですが、いざ出かけて働きはじめると、いつもと同じようになり同じことを繰り返してしまうというわけです。自分ではどうしようもない、どんなに力んでみても止められない、何か判らない力にひきずられている感じであるというのです。
以上の話を聴いて、霊障の可能性が極めて大きいと判断しました。早速、道夫さんの霊査に入ることにしました。その内容は次のとおりです。
道夫さんを正座させて霊査に入りました。開始後すぐに道夫さんの瞼は急速な震動をはじめました。暫くそのままの状態が続きましたが、やがて顔面に苦悶の表情があらわれ、身体も揺れだしました。大きな霊動が生じて止らない状態に陥りました。私は審神者として霊を制して動きを小さくした上で憑依している霊に問いかけました。
「道夫さんにでているご霊さん、あなたはどなたですか?お身内の方ですか?」道夫さんの顔には泣きださんばかりの悲しげな表情が生まれ、首を打ち震わせながらうなずくのでした。
「あなたは、道夫さんの父方の方ですか?」霊動しつつも肯定の意志表示はない。「あなたは道夫さんの母方のご霊さんですか?」と重ねて尋ねます。霊動はまた波打つように激しくなり目から大粒の涙が溢れでます。
「あなたは病死したのですか?」と尋ねます。霊の反応はありません。「あなたは事故死でしたか?」道夫さんの口から嗚咽の声がもれ身体をよじるように苦痛の様子を示します。
私は傍の道夫さんのお母さんに、「お母さん、あなたの身近な人で事故死した方はありますか?」と聴きました。お母さんは「私の兄が事故死したと聞いています。私が九歳の時に亡くなりました」と反射的に答えました。
このお母さんの声を聞いていた霊は身震いしながら、私が尋ねるいとまもおかずしきりに首を縦にふり続け、霊動し続けるのでした。
道夫さんのお母さんはこの様な霊の動作を見ながら興奮した声で口早に、幼い頃のかすかな兄の思い出を私に語りました。ただ死因については事故死というだけで具体的には当時の大人からも何も教えてもらえなかったと述べました。
私は、道夫さんにあらわれている霊に、「ご霊さんは事故死ということですが自殺したのではありませんか?」と尋ねます。霊は大きくうなずき、苦し気にうめきました。道夫さんのお母さんはここで、「鉄道で亡くなったとか言ってた人がありましたが……」と言います。私は「霊さんは鉄道自殺をされたのですか?」と尋ねました。霊動はまた激しさを加え幾度も幾度もうなずくのでした。
「あなたは今も死んだ時の苦しみが続いていますか?」霊はこらえるような表情で再び溢れるように涙を流したのです。
道夫さんに憑依していたのは母の兄、つまり道夫さんの伯父の霊でありました。陸軍の下士官でありましたが、在官中に外出して帰営時間が遅れたために上司から大変責められて、そのことを苦にして自殺したことも判明しました。二十代の若さで、六十六年前に亡くなったのです。(道夫さんへの憑依は出産時)
この心霊治療には暫くの期間を要する旨を道夫さんに告げて、私は早速、お祓い浄霊治療にとりかかりました。道夫さんを伏せさせて、あらかじめ霊査時に聞いた痛みの個所である首・肩・腹・腰の部位を重点にしながらお祓い浄霊治療しました。あと仰臥させて同じ部位を丹念に前後二時間程お祓い浄霊治療しました。お祓い浄霊の治療後、再び浮霊させて問答したところ、身体の痛みが大分とれて楽になったとのことでした。
第二回目のお祓い浄霊治療は三日後に行ないました。第一回目のお祓い浄霊と同じようなお祓い浄霊の治療を施しましたが治療時間が一時間あまり経った頃、道夫さんは仰臥の姿勢から突然に上体を起こして腕を上・下・左・右・前に伸ばしたり縮めたり、首を曲げたりまわしたり、力のこもった体操をはじめたのです。兵隊がやったような活潑な運動をはじめたのです。私は一瞬たじろぎましたが、回復してきたことを示すものと判断して、暫くそのままにまかせておきました。ものの三分ほどそのような光景が続きました。やがてこれを制してお祓い浄霊治療を終わりました。あとの霊への問に対して霊は大変楽になったと答えました。
第三回目のお祓い浄霊の治療は次の日に行ないました。お祓い浄霊の心霊治療一時間で、またもや昨日のような活潑な体操がはじまりました。この時は上体を起こした姿勢から立ち上がっての体操となりました。船漕ぎの体操を掛声まじりにはじめたのには私も驚きました。また腕立て伏せを二十回あまり連続して激しく行ないました。あとで道夫さんに質ねたところ、道夫さん本人自身では、腕立て伏せの体操はせいぜい五回くらいしかできないとのことでした。
第四回目のお祓い浄霊の治療は引き続いて次の日に行ないました。既に完全回復も間近いことを予期して全体的な浄めを行ないました。心霊治療半ばで霊との問答をしたところ、最も痛みの残っていた内臓も苦痛がとれたとの由で昇天―離脱が可能と思われるとの返事でした。道夫さんを正座・合掌・瞑目させ、神仏に祈念して題目を念唱しました。道夫さんの合掌の手が徐々に上がり、頭上高くあがり、霊は昇天、離脱されました。
霊昇天―離脱後、道夫さんの顔には急に赤味がさし、頭や肩、身体全体が非常に軽くなったと言います。身体中が伸々として爽やかな感じで、今まで味わえなかった気分を覚えるというのです。
私は一応心霊治療の終了を告げ、あと一ヶ月程度経過をみることと、その間霊の供養を十分にするようにとの助言をしました。
翌日道夫さんのお母さんから電話があり、道夫さんが見違えるように元気になったとのことでした。一ヶ月後、道夫さんのお母さんが独りで来訪されました。お祓い浄霊の心霊治療終了の翌日から仕事の状態、生活の状態が急遽一変して、お兄さんが現在経営している二軒の店を掛け持ちで手伝っているという話でした。
昼はお兄さんの住居兼店舗のそば屋の調理場に入り、それが終わると新宿のレストランへゆき、夜遅くまで調理の仕事をキチンと続けているということです。学校を卒業してから二十年余り、仕事に対してこんなに充実した頑張りをみせたことはなかったし、張りのある持続性を見せたのも初めてだということです。道夫さんのお母さんは、「あの子がよくなる事を願っていましたが、こんなに早く、こんなに素晴らしく治ったのは夢の様です」そして、「霊って本当にあるもんですね。この年になってよく判りました」と話されました。
それから八ヶ月程経過した十月の下旬、お母さんと道夫さんが連れだって私宅へ来訪されました。霊に対し坂井家として最後の供養、挨拶の祈念をしたいので霊能者の私に読経をお願いしたいとの要望でした。
私は紙にかかれた霊の仮位牌に対し、真心をこめて読経をささげました。そして霊の冥福を祈って仮位牌から霊の解除を行ないました。
道夫さんは前より肥り活々とした目になっており、充実した生活状態を示していました。お母さんの「先生ありがとうございました」の言葉が心に響きました。
私宅から徒歩で4~5分程の所に住んでおられる大沢文さん(仮名・65歳)が娘さんと一緒に久し振りにいらっしゃいました。昭和55年9月下旬のことです。
文さんはかねてから運命相談のことで度々おみえになっている常連のお一人です。
文さんの家は町の商店街の中程にあって、玩具や文具などの小商いを営んでおり、子供の店として人気を呼んでいます。老夫婦と娘夫婦、孫娘の五人暮しで、娘ムコは外へ勤めにでており、家業は娘さんが中心になって母の分さんが手伝っているのです。
「文さん、久しぶりですね。暫くごぶさたしていましたが、今日は何のご用でしょう?」文さんが座敷に坐るや否や私は率直に声をかけました。
文さんは小柄で猫背で腰が曲がっている童顔の老女ですが、今日の顔は大変ヤツレが現われていて、いつも丹念にとかされている髪もやや乱れ気味です。
文さんはためらいがちに口を開いて、「実は私は死にそうになったんですよ。二ヶ月程身体の工合が悪くて寝込んでしまい、今度は駄目かと思いました。遺言でも書こうかと思った位です」と語り始めました。
「それは大変でした。私はちっとも知らなかったものですから、大変失礼しました。本当にいけませんでしたね」と私は見舞の言葉を述べました。
「それでは今日の用件は病気に関係したことですね」と私は念を押し文さんの言葉を待ちました。
「そうなんです。何故こんなひどい病気になったのか、身体中、頭から足の先までおかしくなってしまいました。近所のお医者さんにも往診して頂いたんですが、原因が一向に判らないんです。それで先生にみて頂きたいんです」
私は文さんの様子を観察しながら、引き続き語られることに静かに聴き入りました。
「二ヶ月程前に急に身体が利かなくなって倒れてしまい、頭が割れるように痛み、特に後頭部から首、両肩にかけて重みがかかってズキズキ痛みました。心臓も動悸が激しくなって息苦しく、腹から腰・背中・腿・膝・足・腕まで痛みと重みがあり、どうにもならない苦しい状態になりました。かかりつけのお医者さんに往診して頂いても何が原因でこんな病気になっているのか見当がつかず、治すにも治しようがないというのです。でも心臓が苦しいので心臓の薬をいただいて飲んでいました。親しい薬剤師でハリもできる先生に来て頂いてその方の治療もしていましたが今度ばかりは効き目もなく、ほとほと困ってしまいました。二ヶ月の間そうしているうちにここ2~3日、少しよくなって起きられるようになりましたので霊のことでもあるのではないかと思い、早々につれて来てもらいました」というのです。
また、「病気で臥していると胸さわぎがして不安な気持ちになり、時々頭の中に十歳の時に亡くした長男のことが浮かぶんです。長男の勝(仮名)は交通事故で亡くなりました。今でも勝が苦しんでいるのではないでしょうか」と目を伏せます。文さんは自分の言葉をかみしめるように続けます。
「勝は私にとってかけがえのない子でした。今いる二人の娘の間の子で一人っきりの男の子でした。気立てのよい子で思いやりがあって小さい時から親孝行な子でした。この子のことは今でも片時も忘れられないのです」
「今でも勝君の夢をみるようなことがありますか?」
「はい、時々夢をみます。交通事故の時のことや私の頼んだ用事を気軽にやってくれていることなど、色々な場面をみます。自転車が大好きな子で、走りまわっている姿がハッキリと見えるのです。勝は好きな自転車に乗って家の近くのT字路を左折しようとした時、反対側からきた大型トラックの死角に入ってハネられ後輪で軋かれて死んだのです」文さんは目に涙を浮かべながら、亡き勝君の姿を偲ぶように語るのでした。
私は文さんの話に聴き入りながら、勝君のことと文さんの病気症状に何らかの関連があるのではないかと思い、事前の参考として聞きとめたのでした。勝君の交通事故と母親文さんの全身痛との関連。あり得べき関係です。
文さんから経過、症状を伺ったあと霊査に入りました。型の如く文さんに正座、瞑目、合掌して頂き、神に祈念して文さんに手をかざし念を送ります。ものの二・三分を経過した頃文さんの額のしわがゆがんで苦悶の表情が浮かび、目と手に激しい霊動が現われたのでした。心中で勝君かなと思いつつも、軽卒な予断をもつことを心に戒め、暫く様子を見守ることにしました。
日頃から童顔の文さんですが、見つめていると十歳位の子供の顔に見えてきます。そして継続観察していると、左腕を前につきだす様な恰好で身体が次第にゆがんでゆくのです。肩のあたりが痛んでいるような感じに見えます。私はピンとくるものを感じました。
「文さんにあらわれているのは勝君のご霊さんですか?」私はやさしく尋ねました。すると文さんの顔が緊張気味にふるえ、口許をけいれんさせながら、目から涙が吹きだしました。そして流れるようにしたたり落ちました。
私の傍にいた娘さんも興奮して、とっさに、「勝っちゃんなの?」と叫びました。文さんに現われた霊動は益々激しくなり、身体を震わせながら嗚咽を続けるのでした。
私は霊に対して暫く鎮静するように話しました。霊の動きがやや鎮まるのを待って、改めて確認の問いかけをしました。「あなたは文さんの子供の勝君ですか?」霊は多少霊動しながらも心もち首を前へ曲げる動作をして意思表示をしたのでした。
「お母さんの身体の工合が悪かったのは勝君のせいだったのですか?」私は率直に問いました。文さんの首は前へうなずきました。
「勝君、あなたは今も身体中痛い思いをしておりますか?」この問に対しても、苦悶の表情を浮かべながら口もとを動かしながらうなずいたのでした。「わかりました」私はほっとした思いでそう答えたのです。
文さんのお祓い浄霊の心霊治療には長時間かかりました。勝君が交通事故によっていったんハネとばされた上に、更にトラックの後輪で胴から足にかけて軋かれたという大変な苦痛を持ったままで文さんに完全に憑依していたからです。
文さんはお祓い浄霊の心霊治療のために連日通って来られました。治療は毎日二時間ずつ全身のお祓い浄霊の治療を続けました。終わるまでには二十五回かかりましたが、一回一回のお祓い浄霊の治療効果は日々感覚できるほどに上ってゆき、次第に軽快な状態になりました。
当初の全身痛も三回のお祓い浄霊治療で痛みの部分が島の様に浮かび上がってきました。まず意識されたのは腹部・腰・腿の部分でした。それは文さんの記憶では車に軋かれた部位に当たるということでした。この部分のお祓い浄霊の治療に八日間を要しました。
次に浮かびあがってきた痛みは後頭部・首・足首の部分でした。これらの痛みが消えるまでには十六日間を要しました。ここは車に最初にハネられた時、打ちつけられた所、ハネられた時に折れた足首の痛みであろうと思われました。
お祓い浄霊治療をしていると痛みの部分の自覚と、回復の順序が事故に遭った時の状況推移を逆転させてゆく順序で現われ、消えてゆくことが判りました。文さんは、十日間位お祓い浄霊治療した時点では顔色もよくなり、笑顔がみられるようになりました。そして十一日目からは独りで来られるようになりました。二十日を経過した頃は60度位曲がっていた腰がまっすぐに伸びるという奇しき体験を味わいました。
二十五日目、痛みを消去して悟りを得た勝君の霊は文さんの身体から、私のあげるお題目にあわせて徐々に手をあげてゆき、軽々と離脱していったのです。
文さんの身体はすっかり体調をとり戻しました。一ヶ月程前に私宅に来訪した時のヤツレ気味の顔は消え、身体は軽くなり、痛みはすっかり忘れられました。
勝君離脱後、文さんが三歳の孫娘を背負って歩いている姿をみた近所の人が、「あんなにひどい病気だったのに、どうしたんでしょう」とびっくりしたと文さんが笑って話されました。また家庭医の先生も往診の途中立ちよってくださったのですが、文さんの元気になった様子をみて、「よかったですね」と驚いた風であったというのです。
文さんは、事後のケアーも大切にして、その後も週一度位ずつ数回来所され心霊治療の浄化施術をうけました。これによって文さんに憑いていた実兄の霊と実弟の霊をも浄化して昇霊せしめました。
文さんは前々から身体の調子が時々悪くなるのは自分の体質の弱さと持病のためと思って来たとのことでしたが、このお祓い浄霊の体験を通して慿霊によるものであったことを充分に悟りました。このことによって健康に対する考え方が大きく変わったと述懐されていました。
今も文さんは、老いても血色のよい顔で、元気な子供達の顧客に対して、毎日愛想よく応対しておられます。また文さんは自分が体験した「心霊的事実」を親しい人々に積極的に語り伝えて、霊の実在を確信にみちた言葉で話しておられます。そして、霊供養の大切さを切々と素朴な言葉で語っておられるのです。
ある日、初めてのご婦人から「先生は運命学のほうが専門の様ですが、霊のことも判る霊能者でしょうか?」というお電話がかかってきました。
「判りますが、どのようなことでしょうか?」と尋ねますと、「石に蛇の姿が浮きだして来ましたので大変気味がわるくてどうしたらよいかと思いまして……」ということです。
私は突嗟のことゆえ即答をいたしかね、また一度現物をよく見なければ如何とも判断し難いので、持ち運び出来ないようなものであればこちらからお伺いするから、持参可能ならば持って来て見せて頂こうと思い、その石の大きさを尋ねました。「小さなものですから持参できます」とのお返事です。私の方の都合がよければ明日早速来訪したいとのことでした。何か大変に心配そうな様子がお話の節々に感じられます。私の方も、翌日の予定は丁度常連の方の二件の予約しかありませんでした。
翌日の午後、そのご婦人がご主人とつれだって来訪されました。大変しとやかな奥様でした。同伴のご主人も紳士的な感じの落ちついた知性的な印象の方です。
私の相談室に招じ入れて対話をはじめました。「どちらからお越しでございますか?」と伺いますと、T市にお住まいであること、ご主人は三宅正司(仮名)さんで、奥様は千代子さん(仮名・56歳)であると自己紹介なさいました。
ご主人は大手筋の会社に長年勤めておられ、今はかなり重責の立場にある方の様でした。話も論理的で、この石にまつわる説明も常識的で誠に自然な語り口でした
千代子さんが大切そう抱えて来た風呂敷包みを開きました。「先生、実はこれなんですが……」と見せられたのが、蛇姿が現われているという件の石です。見れば、少年の手位の大きさの楕円型で、水成岩ではないかと思われる石でした。
私は、早速手にとって石の表面を観察しました。なるほど石の表面の右寄りの一ヵ所に凹部があり、その凹部の中に凸部があって、その輪郭の中が蛇の顔にそっくりなのです。顔の中の二つの眼はこちらをじっとにらみ据えているようでもあり、その下には横に裂けた大きな口を開けているというすさまじい形相なのです。そして顔に続いて頭部、尾部が石の縁に添ってこんもりと盛り上がっており、尾部は石の丸みに添いながら下へ垂れているのです。頭部から始まる身体全体は石の他の部分よりも白っぽくしかもザラザラしていて、それはまるで蛇のウロコの様です。この石全体と蛇姿の現われている部分とは同じ成分でできている同質の石であるとはとても思えません。
「なるほど、蛇のようですね」と私は言いました。千代子さんは、「先生にもやはりそう見えますか」と共感をさそうように合槌を打たれました。ここから三宅さんご夫婦のこの石に関する聊(いささ)か因縁めいた説明が始まったのです。
お話の概要を記しますと、この石は三宅さんご夫婦の家の植木鉢の根元に置き石として敷かれていたもので、以前に知人からこの鉢を贈られたとき既に置石として置かれていたとのことです。
三宅さんご夫妻は植木が大変好きとのことですが、この鉢は特にお気に入りで、お天気の良い日には必ず陽に当てたり水をあげたりして可愛がっていたとのことでした。鉢の管理は日頃家にいる千代子さんのつとめで、必ず毎日庭先に出てあげることが日課になっていたということです。従って、植木鉢の状態は毎日毎日注意深く観察していたというのです。鉢を毎日扱っていれば、当然のことながら、その根元にあるこの石の状態も日々見えるわけです。最初はただの丸い一連の変哲もない石だったものが、いつとはなしに次第に凹凸が生じて来たとのことです。「何かな」と思いながらも当初はさして気にも止めませんでしたが、日がたつにつれて蛇の姿らしいものが徐々に現れ始め、次第にくっきりと浮き彫りにされて来たというのです。
ここでお話の場面を一転しますが、三宅家では数年前に現地へ新築の家を建てて引越してこられました。家は新興住宅地の団地街の中にあります。いわゆる高級住宅地で環境の良い所にあり大手筋の社員が多いという恵まれた土地ということでした。人望のある三宅家のご主人は住民からも推されて自治会のお世話をしたり近隣の人々のために尽力されたりしているという奇特な人です。そういう関係で日頃近隣に住む人々の幸福な生活を守るという問題について関心を持って見守っていました。ところがこの団地街のうち、特に三宅家の周辺を含めて、ある方向に斜線を引いた帯状の土地の区域内の家々に火災が極めて多く頻発したり、事故・災難・」病難が多発しているということが判ったというのです。ここ一年間に、近所の家数軒から失火と思われる原因で火がでているということで、どんなに厳重に注意しあってもまた次にでてしまうというのです。三宅さんの家のまわり、東・西・南・北と二隅を合わせた六軒のとなりの家々にも、ここ一~二年の間に大きな変動、災厄が次々と発生しており、ご主人の死、奥さんの死、離婚、大病、事故など家庭に対する大変大きな打撃、経済的受難を被っているというのです。
物事を深く考える三宅さんご夫婦は隣接する家々の中で自分の所だけは当面無事平穏にすごしているけれど周辺の家の状況をみるにつけ若干の不安感を持っていたところ石に蛇姿が浮かびでてきたことから、これはこの土地に何かの因縁があるのではなかろうかと考え、この石の現象は何かを告げているのではないかと思いめぐらしたということです。そして自分の家であれ、近所の家々のことであれ、大変気懸りになったので、私の所へ因果解きの答案を求めてこられたというお話でした。もしもこの蛇姿の現出が何等かの意味を持っているならば、その原因をつきとめ、然るべく措置して、自分の家にせよ周囲の方々の家にせよ、厄難を解いてもらいたいとの内意をもって来訪されたというのです。そしてこの究明や処置がみつからない場合には、この土地に住んでいることが大変不安であるから奥さんの千代子さんは他へ引越したいということをしきりにご主人に訴えているということでした。
私は、以上の様なお話を承わりながら、昨日千代子さんから電話を頂いたあと予め易占によって鑑ておいた占卦を思いだしながら、心中に答案を求めていたのでした。
私は昨日千代子さんから電話を頂いた直後、「石に蛇姿が浮きだしたことに関する占断」を行ないご神意をあらかじめお伺いしておきました。
得卦は「水電屯の五爻変」でした。象は蛇が少しく姿を現した形で、難にあいやすいことを予告しております。霊的には蛇を殺したために発生した霊障の知らせであり、被害をうけた蛇の怨念のあらわれと読みとれます。これから判断しますと、新興住宅地を造成するために、かつて丘であった土地を削り取って低地に移動し、平坦にする際に、その丘に住んでいた沢山の蛇を殺したことから(事実そのようなことがあったという)、その土地に住んだ人々に怨念として憑依し、数々の災厄を惹き起こしていると判断されるのです。そしてこの丘であった部分の土地に住む人々のうち頼りになる三宅さんの鉢の置石に姿を現わして、その意味を告知したものと考えられます。
私はこの自分の判断を三宅さん夫婦に率直に告げました。三宅さんご夫婦は、「やはりそうでしたか」と顔を見合わせて納得されました。そして三宅さんご夫婦は、「それではこれからどのようにしたらよいのでしょうか?」と尋ねられました。私は得卦からみて、この卦が地雷復になることから、「これは供養を求めています。放っておいてはいけません。まずこれからこの石にでている蛇霊の浄めをしましょう。そのあと更に供養しましょう」と答えました。そして早速蛇石のお祓い浄霊の浄めにかかりました。
私は神拝して、蛇石を左手にのせ、右手でお祓い浄霊をしました。この石に現われた蛇姿はこの地の主と呼ばれる蛇霊に相違ないという直感を得ました。そして一面では愛憐の気持ち、他面では人々が自らの自由の拡張のために加害したことを心に詫びながら土地の司配神に人々の罪を許し給えと祈念しつつお祓い浄霊に努めたのです。
蛇霊のある者はブルトーザーに引きちぎられて死んだであろう。ある者は押しつぶされて死んだであろう。ともかく多くの蛇達の怨念が知らずとはいえ、我がもの顔で振る舞っている侵入者に対してどの様な恨みを抱いたであろうか。人間を中心にみればこの様な蛇霊達を悪くいうかも知れない。しかし時間的経過からみれば土地の蛇達は先住者であり、後発の人間が開発という名で入りこんで来て縄張りを荒らし自分達を殺してしまったわけである。怨恨はつきせぬものがあったであろう。許せ。許せ。地主の神よ彼らを救い給え。私はひたすらに心中に念じ続けたのでした。
蛇石を浄め終わったあと、鉢と石の世話をされた千代子さんにも蛇霊の憑依があるのではないかという予感がありましたので引続いて千代子さんの霊査を行ないました。
霊査に入って十分程経過した時、千代子さんの眼からスーッと二筋の涙が流れ落ちました。私が、「あなたは蛇のご霊様ですか?」と尋ねますと、千代子さんの眼に霊動が強く出て肯定の意思表示と受けとれました。そして涙は更に多く流れ落ちました。
「蛇のご霊様、判りました。これから千代子さんに憑いているあなたをお祓い浄霊してあげましょう。あなたの浄化をお助けしましょう。あなたの意向は占示によって神示を頂いて判っております。供養もして差し上げましょう。だから、どうか今住んでいる人々にこれ以上の災厄を惹き起こさないようにして下さい」私はこのような要旨を語りかけながら、暫くお祓い浄霊に努めたのでした。
そしてお祓い浄霊が終わりました。私は蛇霊に対して天空霊神様より御神授の作法による蛇供養をして差し上げる旨を告げて、一旦鎮まって頂きました。ここで暫く休憩をとり、その間に準備をいたしました。
準備も出来、供養の儀式にかかりました。千代子さんに静座、瞑目、合掌して頂き、私はおもむろに蛇霊に声をかけました。「さあ、蛇のご霊様、準備ができましたよ。あなたの御霊代をつくりました。どうぞこの中へお入り下さい。お入り頂いたあとは三宅家で一週間丁重に供養して頂けますよ。さあさあ、お入り下さい」すると、千代子さんの手が少し動き、千代子さんの体内にいた蛇霊が手を通して御霊代の袋の中に入って行きました。頃合いをみて終了を予告し十の数を数えて封入を終わったのです。そのあと三宅さんご夫妻に供養の仕方を説明し、家で丁重に実施して下さるようお願いしました。
一週間後、三宅さんから電話がかかってきました。供養は指示通りに済ませ、そのあと蛇霊の御霊代と例の蛇石とを清らかな川に流し終えたとの連絡でした。
そして奥さんの千代子さんの身体に大きな効験が現れたという大きな喜びの報せをもたらして頂きました。千代子さんが長年苦しんで来た手の痛みが全く奇跡的に消えてしまったというのです。寒い時、季節の変わり目には大変な痛みが走り一年中辛かった手が不思議に治ってしまったというのです。私はこのお話に応えて、「蛇霊が救ってくれたお礼をしてくれたんでしょう」と申し上げたのでした。
その後三宅さんの奥様千代子さんの妹さんから様子を伺いましたところ千代子さんは益々元気になり、手の心霊治療には心から喜んでおられるということでした。
三宅家の人々は、このことによって霊障の予告を未然に防ぐことができ、災厄の危険から脱したのでした。そして、千代子さんにみるように、過去の痛みからも解放されてしまったのです。
それから半年を経た12月の始め、千代子さんから一葉の葉書をいただきました。あれ以来手の痛みは治ってしまい、冬の寒さが訪れて来たのにまだ痛みは感ぜず、ベランダにおふとんを乾す楽しみが嬉しいとの文面でした。そして心ばかりの感謝の贈りものを送りましたとの由でした。
私は、千代子さんが受けた如く、その他の人々の上にも、プラスの救いが及ぶことを祈念せずに居られませんでした。
肌寒いある日の早朝、私宅の電話が鳴りました。電話機をとりあげると五十代と思われる落ち着いた男性の声で、「こんにちは、早速ですが午前九時頃にお伺いして色々と鑑てもらいたいことがありますが、ご都合は如何でしょうか」ということでした。かなり急いでいる感じでした。
この方がA市に住む大沢三男さん(仮名・58歳)で、私の住む市と隣接していて距離的には比較的近くに住んでいるとのことで私宅のことも予めご存じでした。
大沢さんは健康上の問題で運勢の面から鑑てほしいということでいらっしゃったのですが、ご相談の内容は霊能者にみてほしいというものでした。「具体的にはどういうことでしょう?」と尋ねますと、「実は眼と足が悪くなって医師の治療をうけていますが少しも治らないのです。いや段々と工合が悪くなってくるのです。医師を信頼していますが、どうも変ですから先生にも鑑てもらいたいと思って伺いました」との由でした。
大沢さんの来意は「病占」を求めてのお越しでありましたが、私は「易占」によってのみの判断だけでなく、この場合は「霊障」の面からも疑ってみるべきではないかと思い易占と心霊の二面からの究明をしようと考えました。そこで易占でいう「筮前の審事」心霊的には事前の「事情聴取」のために前後の事情・経過・症状を伺いました。大沢さんが語られた眼と足の痛みに関する内容は次のようなものでした。
大沢さんは元来丈夫な方で、つい二年前までは病気で寝たことが一度もない位健康に恵まれて来たということです。仕事は昼夜交替制などがあってかなりきつい職場ですが、たまに風邪をひく程度のことで医者知らずで通して来たとおっしゃられるのです。ところがちょうど二年位前から急に健康状態が悪くなってしまい、以来二年間は継続的に診療所通いの身となり注射や薬の厄介になっているというのです。
その一つが「眼の病気」です。二年前に突然に両目が真赤に充血してしまったので、何でそうなったか心配で眼科医の診察をうけました。この時は治療後二~三日で充血は治りました。これで完治したと思っていますと、約一ヶ月後、又同じように両眼が真赤に充血して目がかすんで来たというのです。再び眼科医の治療を受けますと、また二~三日で充血は引いてしまいます。妙なことだと思いながらも治り切っていなかったのだろうと思い、再度治療でもう大丈夫だと考えていたということでした。ところが翌日もまた同じように両眼充血現象が起こってしまったというわけです。これまた二~三日で充血は引いてしまう……。こうなると、また次の月も来るのではないかと気味悪くなりましたが、果たして招かれざる両眼充血は翌月もまたおそって来たというのです。以後は、両眼赤化の感覚が徐々に縮まり、半月に一回、十日に一回、一週間に一回というようになって、現在は週に一回間隔で両眼の充血が現れるということです。
大沢さんは眼鏡をはずして私の前に顔を突きだし、両眼を大きく開いてみせました。今は赤化が消失しつつある状態だということで両眼の白眼の部分に真赤な島が小豆大に残留していました。
「お医者さんはどう診ておられますか?」と尋ねました。「いや、お医者さんはお手あげです。原因は不明だと言って頭をかしげております。週に二回注射をして薬はずっともらって飲んでいるのですが、一向に効きません。私が今月もまたでましたという度に、この頃ではお医者さんの方が申し訳なさそうにしています」との答でした。
もう一つの症状は右足の膝が慢性的に痛んで、これまた別の診療所で治療を受けておりますが痛みは一向に治らず、こちらの先生も原因不明ということでサジを投げている恰好であるというのです。
「神経痛とか、リウマチとか、病名があるのではありませんか?」 「いや、そういう反応がハッキリしないというのです。医学的にみれば特にどういったということではないと言われます。ただ痛むのは私ですから確かに痛いんです。仕事にも大変支障があります」と大沢さん。見れば、大沢さんが座っている姿勢も右足を投げだすような恰好でした。
私はここまで大沢さんのお話を伺って、いよいよ霊障の疑いが濃厚と考えながらも予断は軽卒にすべからずと自分に言い聞かせながら筮をとったのでした。
得卦は「火天大有の二爻変」眼症のほか数病併発の卦であり、軽症とあなどっていると薬効あらわれず、治療は困難で病勢も次第に昂進して手遅れになる可能性をもつという大変危険なものでした。
霊的な側面からこの卦をみても死霊の憑依を示しており、放ってはおけない状態と判断しました。霊の活動は益々盛んになることを示していますので、現在の治療だけでは次第に抜き難い難症に陥るばかりであると判断しました。
ここで私は、大沢さんの身内、先祖様の関係についての質問を重ねました。祖父母、父母などが亡くなった時の病気、年齢など、特に眼症があった人、膝の痛みがあった人を中心に色々と尋ねました。
その全部の内容は省略しますが、大沢さんが幼児の頃に亡くなったおばあさんが、死因は老衰だったと聞いているが、たしかに眼の性があまり良くなかったと聞き伝えているということでした。その他には眼の悪かった者は心当たりがないということです。膝に痛みについては知らないということです。以上のことを伺って、次の霊査に入りました。
大沢さんに正座、瞑目、合掌して頂き霊査を始めました。間もなく大沢さんの瞼は霊動を始めました。手の先もブルブルと微動を続けています。
私は頃合いをみて大沢さんに浮霊しはじめている霊に向かって質問を発しました。「ご霊さん、私の声が聞こえますか?」 反応を静かに見守りました。しかし大沢さんの動きは同じレベルの状態を続けるだけで殊更な反応を現しません。
「ご霊さん、あなたは大沢さんのご先祖さまですか?」と私は次の質問をなげてみました。しかし、反応は今まで通りで特別な変化はみられません。
思い切って、「ご霊さん、あなたは大沢さんのおばあさんではありませんか?」と聞く。しかし大沢さんにはこれでも反応は現われない。”かなり痛んでいるな、老衰のせいかな?”と私は独り考えをめぐらしました。そしてこの状態では浮霊が充分ではないので、霊査が困難であることを悟りお祓い浄霊の心霊治療を先行させることにしました。
大沢さんを伏臥させて、まず背面全面を浄めます。特に痛みのある右膝の後部を重点部位とし後頭部をも充分に浄めます。あと体を仰臥して頂き前面から体の表側全般を浄めた上、肝心の眼を集中的に神霊治療(心霊治療)をしました。お祓い浄霊の治療中は殊更に変ったこともなく、90分ほどのお祓い浄霊治療を終わりました。ここで大沢さんは出勤途上のために次回の治療日を約束して帰られたのです。
それから一週間後、大沢さんが第二回目のお祓い浄霊治療に来訪されました。部屋に通り私と対座するなり、
「先生、あれから眼の赤化部分が大分小さくなりました」と切りだされたのです。「これ、今日はもう消えてしまっています」と言われます。
早速霊査を行なってみました。大沢さんが座すること数分、目と手にかなり大きなバイブレーションが生じて来ました。口許もヒクヒク動き、かなり浮霊して来ている状況が看取されました。
頃合いを見計らって大沢さんに出現して来た霊に向かって私は尋ねました。「大沢さんに憑いているご霊さん、あなたはこの方のご先祖様ですか?」すると大沢さんの瞼は急激に動き、恰かもこの問に応じて肯定の意思を表示しているかのように見えました。
「ご霊さんは目で返事をされましたね」と言うと、また同様に瞼を急激に動かしました。そこで、「あなたは眼の病気で辛いのですか?」と尋ねると、またYESという返答があったのでした。瞼の動きと共に手の振動も一緒に起こり、首も少しばかり前へ肯く様に感じられました。
「ご霊さん、あなたはこの大沢さんのおばあさんではありませんか?」と次の質問を発しました。大沢さんに出現している霊は、瞼は勿論、手、体まで震わせて大きく肯定の応答を示したのでした。
「大沢さんのおばあさん、大沢さんの眼が悪かったのはあなたの持っていた痛みが現われていたんですね」と言いますと霊動は益々強くなりました。
「ところでおばあさん、前回初めて神様からお祓い浄霊を頂いて幾分楽になりましたか?」と尋ねます。霊動による反応は著しくありました。「おばあさん、この浄めを頂くとあなたの眼は次第に治って来ますよ。そうなると大沢さんの眼も一緒に治りますが、あなたは大沢さんの眼に自分は眼が痛いんだという知らせをだし続けていたんですか?」と尋ねました。これに対しても霊動は激しく、大沢さんの目に涙が浮かんで来ました。
「おばあさん、あなたは早く楽になって天国へゆきたいと思いますか?」大沢さんの目からは二筋の涙の軌跡がほほをつたわって流れ落ちるのでした。
「おばあさん、大沢さんの膝が痛んでいますが、これも祖母さんの痛みでしょうか?」と尋ねます。大沢さんの目・手・体は強く動き、これまたおばあさんの痛みであることが確認されたのです。
ここまで判明すればあとの措置は大変容易です。私はいったんおばあさんの霊を鎮静させて、早速二回目のお祓い浄霊の神霊治療(心霊治療)に取り掛かりました。そして眼の部分を集中的にお祓い浄霊治療しました。一時間半ばかり施療してお祓い浄霊の神霊治療(心霊治療)を終わりました。
第三回目のお祓い浄霊治療は、それから九日後に行ないました。大沢さんから伺った報告によれば、第二回目のお祓い浄霊治療以後今日までの間に従来ならば当然生ずべき眼の変化が発生しなかったということでした。一週間毎のサイクルになっていた眼の充血がなかったというのです。第三回目のお祓い浄霊治療に至るまでの間に、眼の方は治ってしまったかに見えます。しかし念のため、今回も眼のお祓い浄霊治療を40分程おこない、あと50分ほど右膝を集中的にお祓い浄霊治療しました。
その後二週間ほどの間隔をおいて第四回目のお祓い浄霊治療を行ないました。それ以後の状況を伺いましたところ、その後の眼の赤化は起こらず、治ってしまったと思われるということでした。膝の方も大分楽になり、坐ったり立ったりする動作がスムースにゆくようになったとのことでした。そこで今日は膝の方だけを集中的にお願いしたいとのことでした。
祖母霊の感じを聞いてみようということで、大沢さんに正座姿勢をとって頂きました。今日の大沢さんの坐り方は大変楽になっている素振りでした。「おばあさん、眼の工合は如何ですか、楽になりましたか?」大沢さんの口許が動き、首がうなずきの動作を示しました。「それはよかったですね。ではもう眼のお祓い浄霊治療はしなくても大丈夫ですか?」と重ねて聞きます。大沢さんの首は大きく頷いたのでした。「わかりました。それでは今日は膝の方を充分に治療しましょう」こう言って私はお祓い浄霊治療に取り掛かりました。
大沢さんを伏臥させ膝の裏を一時間集中的に浄めました。更に仰臥させて前部より膝頭とそのまわりを30分ほど集中的にお祓い浄霊治療しました。こうして第四回目のお祓い浄霊治療を終わりました。
それから一ヶ月以上経って大沢さんが来訪されました。暫く猶予期間をおいてその後の経過を自分自身で検証したかったということでした。
「検証の結果は如何でしたか?」と尋ねますと、「いや、全く驚きました。あんなに苦しんだことが全く嘘のように思えます。すっかり楽になり、前々の何でもなかった頃と同じですよ。老境に入ってこんなに健康を取り戻せるなんて全く夢のようです」と感じ入ったように答えられました。
「では眼も足の方も大丈夫ですか?」と念を押します。大沢さんは、「大丈夫ですよ」と言いながら坐ったままで足を伸ばし、上方に上げたままの姿勢で素早く曲折を繰り返して見せました。
「今日はお祓い浄霊の治療はいらない位ですが、折角お伺いしたのですからざっとやって下さい。軽くやって下されば結構です」と言いながら笑顔をみせられました。こうして五度目、最後の仕上げをしました。五度目の来訪は完治の報告とお礼が主題でした。
こうして大沢さんは、気懸りな霊障を克服したのでした。
Ⅰ市に住む知人の田中さん(仮名)から、姪の内藤澄子さん(仮名・22才)のことで相談を受けました。澄子さんがノイローゼにかかっているというのです。
依頼に応じて、田中さんのお宅で澄子さんとお会いすることにしました。
招じ入れられるままに座敷でお茶を頂いておりますと、間もなく、丸顔で色白の娘さんが入ってこられました。
私が視線を向けるとにっこり笑い、「初めまして、澄子でございます。今日は大変お世話になります」と大変丁重な挨拶をされました。この人が本日の主人公の澄子さんです。
田中さんから、澄子さんがノイローゼであると伺ってその霊査、治療にお伺いしたのに、見かけ上の澄子さんは普通の人の常態と変わりなく、一瞬本当かしらと思ってしまいました。
私は、「こんにちは、初めまして、こちらこそよろしくお願いしますよ」と応じ、「感じのよいお嬢さんですね」と傍らの田中さんと奥さんに話しかけました。
「そうなんです。この子は気立てがよくてやさしい子で、うちの娘と思って可愛がっているんです。うちの子は男二人で女の子がいませんので、私も主人もうちの子以上に可愛がっています」と奥さんが話されました。
次は田中さんが口を切りました。「この子は私の郷里の○県に住んでいます。今年22歳になりましたけれども、未だに家に居たきりで外の勤めにでたこともありません。友達は就職とか結婚とか色々と進んでいるようですがノイローゼ症状のために社会に踏みだすことができないのです。今日はその真因を霊能者の先生に調べて頂きたいと思いお願いした次第です。もし心霊的にこれが治るものならばよろしくお願いしたいのです」ということです。
「それでは澄子さんご自身、田中さん、奥さんからもっと詳しい話を聞かせてください」と私は述べ、状況聴取に取り掛かりました。
お話の概略を述べますと、澄子さんは郷里の小学校、中学校、高校と順調にすすみ、子供の頃は健康そのもので別に変わったところもなく過ごして来たということでした。これは澄子さんの自覚からいっても、家族や親戚の者からみてもそのようであったということです。
高校を卒えてから本人の希望もあって東京のさる短大へ入学しました。住居は田舎から出て来た者にとっては学校の寮が安心であるという両親の意見もあって学校の寮に入りました。入学してから暫くの間は学校生活、寮生活とも大変楽しくて、環境の変化にも順応してゆき、別段変わったこともなく青春を満喫して過ごしていたというのです。ところが一年ほど経過した頃から何となく気分がすぐれないようになって、学校生活や寮生活も希望や面白味もなくなってきたというのです。そしてわけもなくふさぎ込むようになってきたということです。これといって特別な原因や具体的な理由は何もないのに、何となく憂鬱な気分に陥り、どうしても明るい気持ちを持つことができなくなってしまったということでした。友達も色々と心配してくれ親切につくしてくれましたけれども、自分の方から口をきかなくなり、口をきくこと自体が億劫になってしまったということでした。こんな状態が続いたある日、寮で友達と一緒に過ごしていた時、澄子さんの手が部屋の畳の上を勝手に動いて何かわからない文字のようなものを書きはじめたというのです。自分で意識していないのに自分の手が自然に動いてゆくというのです。友達や学校の方から親許へ連絡があり、両親が学校へ伺って相談の結果、校医の診断を受けました。診断はノイローゼということで学業の継続は無理ということになり、やむなく学業を中途で退学しました。その後故郷に帰り、暫くの間は病院に入って治療を受けておりましたが経過は比較的によいということで短期間で退院しました。その後は自宅療養を続けてここに至ったというのです。最近では気分も良くなりましたので家の手伝いの傍ら、大変器用で裁縫が上手であるために近所の縫物をたのまれるようになり、一つの張り合いをみつけだすことができたとのことでした。けれども家の中に居ながら仕事をすることには抵抗はありませんが、まだ外へ勤めに出るほどの勇気や積極性は湧かないと言うことです。
同級生の中には既に結婚している人もかなり居り、未婚の人でもみんな勤めにでて元気に振る舞っているのをみるにつけても、両親や身内の人々は何とか澄子さんにもう少し元気になってもらいたい、せめて人並の勤めでもできる位になってほしい、そうなればやがて結婚話もでるようになるでしょうに……。今のような状態では適齢期に入っているのに結婚もおぼつかない。何とかもう少しよくしたい。両親も田中さん夫妻もそう心から願っているとのことでした。
以上の経過や心境を聞いて、私は澄子さんが霊障にかかっている可能性は非常につよいと判断しました。そして早速霊査にとりかかりました。
澄子さんに正座、瞑目、合掌して頂きました。天地の大神に祈念して待つこと一分、澄子さんの瞼は激しい霊動を始めました。そして四・五分を経た頃澄子さんの顔は暗い険しい表情に変わって来ました。更に合掌していた手が離れ、腕もろ共次第に下へさがり、右手の人さし指を畳につけてひらがなの文字を書きはじめたのです。
私は田中さんと奥さんにも文字を判読するようにと頼み、傍の用紙をとって澄子さんのゆび先が書いてゆく文字を追って書きとめました。
「○○○がにくい。○○○がにくい。○○○がにくい」文字は○○○と人名をかいてその人がにくいと告げています。私は文字のあとを追いながら傍の田中さんに、「○○○とは誰のことですか?」と訊ねました。田中さんは、「私の父の名です」と答えた。そこで私は、「澄子さんに憑依しているご霊さん、あなたは一体誰なんですか?」と訊ねました。澄子さんの手は一瞬止まりましたが再び動きだして、「○○子」と書いたのであります。「ご霊さんは○○子さんですか?」と念を押すと、「○○○○○子」と姓名を全部書いて応答したのです。田中さんと奥さんの方をみると、お二人とも真剣な表情の中に驚きの様子があらわれていました。
「田中さん、○○○○○子さんとは誰なんですか?」と私は訊ねました。田中さんの返事は「私の叔母です。叔父のところへ嫁として来て、そうです。二~三年位で亡くなった人です。かすかな記憶があります。おとなしいよい人でした」と答えられました。
澄子さんに憑依している○○子霊は次々と文字で自分の想いを綴ってゆきました。その内容の叙述は省略しますが、精神的な辛さ、苦しさ、淋しさ、くやしさなど千々に乱れた心の苦悩に満ちたものでした。こういう記述を一時間余りも延々と綴り続けました。それを読んでゆくと、どのような想いで死んでいったか、どういう状況の中で死んでいったかという状況がハッキリと述べられていました。
そのあらすじを述べますと、○○子(霊)さんは、十代で田中さんの叔父(田中さんの父の弟)のところへ嫁いで来ましたが、当時は太平洋戦争も真最中の頃で、夫は間もなく軍隊にとられてゆき、○○子さんは留守を守って夫の兄である田中さんのお父さん(澄子さんの祖父)と一緒に農業に励んでいたというのです。ところが、そうして働いているうちに何の故か急にノイローゼになり、それが次第に昂じてしまい遂に○○町の精神病院に入院することになってしまったというのです。結婚したとはいえ夫を戦地に送り、自分は病んで親族とも離れて精神病院に収容され耐えがたい孤独の生活に入れられてしまった。これは○○子さんにとって絶望の極みであったというわけです。入院中は、当時の時勢によって食糧も乏しくまともな食事もできない状態でした。病院といっても良い設備もなく、当時の精神病院はあたかも獄舎のようなものであったといいます。熱暑は容赦なく身体を焼き、寒気は否応なしに骨身をとおす。そういう厳しい状況の中に一人淋しく隔離されてしまったというのでした。そういう状況の中で医療のなすすべもなく死んでしまったというのです。
この様な悲惨な死をとげた○○子霊はその辛さ、苦しさ、淋しさに耐えられず、幽界入りしたあと今日に至るまで悶々と苦しみ続けて来たこと、この不満を誰にぶつけるかといえば目前にいて介抱してくれた田中さんの父に耐え難い不満をぶつけていたことも判りました。思うだに涙せずには居られない悲惨な物語りでした。
後日田中さんがお父さんから伺ったところによれば、○○子がノイローゼに罹ってしまったので大変困り果て、当時の困難な事情の中でも可能な限りの手をつくして介護したということです。しかし家におくことは叶わず、入院措置をとらざるを得なかったとのことでした。
こうして○○子霊はあの世へ行ってからも浮かばれぬまま、自分の身内にあたる澄子さんに、生まれるとすぐに憑依していたということです。澄子さんの祖父に不満の怨みを抱きながらも、澄子さんの祖父は非常な人格者であり、ある宗教の熱心な信仰者であったことから手だしができず、澄子さんに憑いて不満を訴えようとしていたのでした。
○○子霊の夫は、戦後間もなく復員して来ましたが妻の○○子さんが死去していたために再婚をしました。後添の奥さんも立派な信仰者であったため、これらの人々には憑依せず、あえてこの澄子さんを選んで憑依したというのです。
私は、霊査の過程で様々の言葉と誠をもって○○子霊を慰め、いろいろとさとし、励ましを与え、この淋しい孤独な霊に救いを説いたのでした。○○子霊に病む部位を訊ねますと頭が割れるように病むと訴えてきました。早速頭のお祓いによる心霊治療にとり掛かりました。
澄子さんを伏臥させ、まず頭部全般を充分に浄めました。そして後頭部を丹念にお祓い浄霊治療しました。そのあと、仰臥させて前方から額、こめかみ、頭頂部、首筋を充分にお祓い浄霊したのです。ここまでで一時間半ほどかかりました。更に腹背部・手・足にかけて身体全体を30分ほどかけて浄め、第一回目の心霊治療を終了したのです。浄め終了後澄子さんを再び正座させて○○子霊と対話をはじめますと、澄子さんの目から熱い涙がふきだして彼女の膝をぐっしょりとぬらしました。この時も若干の筆記がありましたが澄子さんの祖父に対する感情はとけないまでも、こうして発見されたことに対する喜びのたかまりを現わしていました。さきに澄子さんが学生時代に寮の部屋の畳に書いた文字も○○子霊の浮霊によるものであり、文字をもって訴えようとしたものであることが判りました。そして澄子さんのノイローゼ症状はこの○○子霊の憑依によるものであったことが判明したのです。
第二回目のお祓い浄霊治療は澄子さんの都合により十日程たってから行ないました。型どおり霊査に入りますと、○○子霊はすぐに澄子さんに浮霊して私の方に向かってゆっくりと、深々と一礼されたのでした。その態度は前回の時に比べて大分平静なものになっていました。お祓い浄霊の治療は二時間、前回同様に頭部を中心にして全身を浄めました。浄め後の対話は行ないませんでした。
第三回目のお祓い浄霊治療は翌日引き続いて行ないました。お祓い浄霊の治療前の態度は昨日よりも更に静かで、著しく鎮静して来た状況が看取されました。私と対座しますと私に向って二回深々と頭をたれて礼をされました。私は暖かい慰めと励ましの声をかけ、○○子霊が一日も早く救われることを一心に祈ったのでした。そのあと二時間ほどの丹念な浄霊を行ない澄子さんのお祓い浄霊を終了したのです。
なお、この浄めのあと、澄子さんが故郷に帰ってから○○子霊の位牌供養、墓参などをされることを助言して、田中さんの家を辞去したのでした。
澄子さんの家では澄子さんの父母、祖父母、それと○○子霊のご主人、奥さんとも相談して○○子霊の供養を行ない、墓参も済ませました。このことによって○○子霊は更に深く鎮静されたのです。
澄子さんはその後すっかり元気になりました。翌月に入ってから地元に工場をもつ一流の電機関係の会社に就職できました。急速に就職の意欲、働く意志が芽ばえ、良い紹介の縁もあって最適な職場に入れたのです。本人の喜びは勿論、両親の喜びも一通りではありませんでした。澄子さんのお母さんから私の所へ電話が度々かかってきて、都度都度の報告と感謝のことばがよせられたのでした。
それから一年後、昭和56年の秋、澄子さんに良い縁談があったこと、その易学的判断を求めていらっしゃいました。占の結果は吉でありました。間もなく澄子さんの縁談はまとまりました。澄子さんの夫君は大変まじめな方で抱擁力、実践力のある有望な青年だということで一同良縁であると喜んでおられました。澄子さんに憑いていた○○子霊は十分に鎮静して、澄子さんの邪魔をすることがなくなったわけです。澄子さんは身心共に健全さをとり戻し、ここに一人の娘さんの青春を奪いかけた霊障は解消されたのでした。
そしてこの難事をのり切った澄子さんはわずか一年程の経過の中で自分と周囲が切に望んでいたところの就職と結婚との二段階にプラスの過程を確実に登り切ったのでした。
かねてから運命相談のことで知り合いになっていたK市のある団地に住む加藤道子さん(仮名・30歳)から電話がかかって来ました。
「先生、ご無沙汰しております。実はつかぬことを伺いますが先生は霊のこともわかる霊能者ですか?」私は突然の質問に対して、「どんなことですか、内容を話してみて下さい」と答えました。
「先生にはまだ申し上げてなかったのですが私達の住んでいるところが気味がわるいんです。いろいろと変なことが起こるんです。思い当たることもあるので家族で話しあっていたのですが今日は思い切って相談したいと思って電話しました。ご相談にのって頂けるでしょうか?」というのです。
「わかりました」と私。道子さんは言葉をついで、「それで先生のご都合のよい時一度私達の住居へ来て頂いて色々と調べて頂きたいのです。連日大変気味のわるいことが続きますのでどうかお願いします」というのです。「では、明日の午後1時に伺いましょう。その際、現場を見たりしながら詳しいお話を聞きましょう」と申して電話を切りました。
その団地は私の宅からさして遠くない所にあるので翌日12時過ぎに家をでて道子さん宅へ向かいました。団地の中を多少探しましたが道子さん宅は間もなくみつかりました。道子さんの家では道子さん、お母さん、弟(次男)さんの三人が私の訪問を待っておられました。もう一人の弟(長男)さんは勤めのために不在でした。私は道子さん宅の玄関を入るなり家の中が非常に暗い、極めて陰気な感じを受けました。何かありそうな感じ、何かあっても不思議ではないという第一印象を受けました。それはあらかじめ話を伺っていたことによる先入観から来たものではなく極めて現実的な感覚でした。招じ入れられるままに内に入り、廊下を通って左側にある家族の居間(六畳)に入りました。この部屋は日常は長男の居室でありますが居間兼用になっているものです。脇には長男のベッドが置かれていました。まず家の構造を伺いました。これは団地づくりの3DKということで玄関から入ってすぐ左側に風呂場・手洗・洗面所があり、その奥に長男の部屋(居間)があります。玄関から入って廊下の右側に六畳一間、次に台所、その奥に道子さんが使っている八畳間があるという造りでした。お母さんと弟さんは玄関から入って右側の六畳間に起居しているということでした。
「お茶を一つ」ということで、暫く一服している間、私は目を居間の隅々に走らせました。「随分汚れていますね」と私は率直に言いました。「汚い所ですみません」お母さんが掃除の不届きを詫びるように答えました。「いや、そうではありません。部屋が妙にドス黒く汚れていますね。団地だと勝手に塗りかえはできないのですか?」と私は尋ねました。「室内をきれいにするのは許可を得ればできるかも知れませんが私の所ではここに長く住む気もなかったものですから、そのままにしてあるんです」とお母さんは弁解するように答えられました。道子さんが側から、「実はそれなんですよ」と言いながら今日の問題を詳しく語りはじめました。それは概略次にようなことでした。
道子さん一家(四人)は二年前にM市からここへ移って来た由です。道子さんの仕事の関係上、勤め先への通勤に都合がよくなることと、下の弟が通っている高校(定時制)に大変近くなるためにここを選んだというのです。当時、この団地の空室は五階と二階に一つずつありましたがお母さんの足が丈夫でないことと一般的な利便を考えてこの二階の部屋を選定したということでした。ところが入居してから間もなく道子さんの家族が四人次々に「金しばり」にかかったというのです。身体を抑えつけられて縛られてしまった様な状態、声をだしたくてもだせない状態、「これはかかった者でないと中々わからないでしょうけど、大変苦しいのです」と道子さん、お母さん、弟さん、交互に語るのでした。金しばりは最初のうちは頻度も少なく間隔がありましたが、だんだんと頻繁になってきました。それも最初は夜間の寝ている時だけでしたが、この頃では昼間このベッドでうたた寝していてもすぐにやられますというのです。お母さんが言葉をついで、「私は丈夫でないので、このベッドで昼間休みたいのですが、横になってウトウトすると何時もやられます。うかうか休憩もできません」と困り果てた様子です。この家へ入ってから半月ほどたって、近所の知り合いになった方から、「この家に、前に住んでいた家族のお婆さんが自殺したんです」という話を聞きました。その時は大変驚いてしまい、また引越ししようかと思いましたが移って来て間もないこともあり、道子さんの都合、弟さんの都合もあるので急な移転も叶わず、いずれ引越ししなければと思いながらここまで我慢して来たというのです。前の住人である、自殺したというお婆さんの家族は間もなく何処かへ移っていったということで、その消息は誰も知らないということでした。こうしたこの家にまつわる因縁話と、道子さんの家族四人が入れ替わり立ち替わりして次々に金しばりにあうという事実の間に、必然関係があるのではないかと考えて大変気味がわるいので霊能者に調べてもらいたい、何とかしてもらいたいというのです。そしてこれらの変なことが霊の仕業であったとしたらそれを封ずるような適切な措置をとって、今後このようなことが起こらぬようよろしくお願いしたいということでした。
私はここで幾つかの質問をだしました。「夜中に物音がすることはありませんか」 「夜もしますけど昼も部屋の隅で音がします。”パチ”というはじけるような音です」 「夜中に人の気配の様なものを感じませんか?」 「夜中にスーッと廊下を歩くような感じが時々あります。私だけが夜中にトイレにゆくものですから大変怖くて電灯を次々につけてゆかないとゆけないんです」 「家族の方々に、ここに引越して来てから仕事や学校のことで何かわるいことは起こりませんでしたか?」 「実は大ありなんです。姉の道子はここへ移ってくれば市内の職場にも通いやすくて良くなると喜んでいたのですが、移って来たあと仕事の方が巧くゆかず、それで前々先生に転職相談をお願いした次第でした。また下の弟の方も折角学校も近くになったのにこちらへ来てから何となく学校へゆかなくなりました。在籍はしていますが休みが多いために担任の先生からもたえず電話がかかってきます。昼間の仕事の方も二年の間にいくつか職を替えました。しかし未だに安定しないで困っています。今日も仕事にゆくべきなのに実は怠けて休んでいるのです。本人にも何でそうなるのかわからないようですがソワソワして落ちつかないというのです。この子の職場の社長さんや担任の先生から電話を頂く度に本当に恥ずかしくて仕方がありません。本人にどれ位注意や意見をしたか知れませんが何かやる気がでないらしいのです」と一気呵成にお母さんが話されました。お母さんの顔には困り切った弱々し気な表情が浮かんでいました。弟さんはいささかバツが悪そうに席をはずし、道子さんは訴えるような眼で私の方をみつめておりました。
その時、突然「ギーッ」という木の軋るような物音が入口の方から聞こえて来ました。一同は音のした方を伺う様に黙しておりました。「誰か来たんでしょうか?」私が問いかけると、道子さんが「玄関のドアは鍵がかかっていますからそんな筈はありません」と言うのです。
「確かに聞こえたね」とお母さんが言う。「見て来ましょう」と私は立ち上がって入口の方へゆく。道子さん、母親もあとに続く。玄関のドアは閉まっている。洗面所の方へ曲ると風呂場の開き戸が大きく開いていたのです。
「これだね」と私は言う。皆はうなずく。「それにしても変ねー」と道子さんが言う。「風もない日で外窓も開いてないのにたてつけの悪いこの開き戸がひとりでに開くなんて……」といぶかし気でした。「ご霊様のご挨拶でしょうかね」私は答えました。「それでは立ちついでに、これから家の中を一巡させてもらいましょう」と言って私はゆっくりと点検をはじめたのでした。
先導のお母さんが家の中を案内しながら色々と説明を加えます。風呂場の壁の汚れがひどく、大変気にかかりました。次に玄関わきのお母さんと弟さんの部屋は北側にあって大変陰気です。黒ずんだ壁、古びた畳、褐色のタンスとその淡い影、部屋の隅におかれたガスストーブ、「陰気だね」と私はつぶやく。お母さんは、「ここが私と下の子の部屋です。この部屋が例のお婆さんが自殺したという部屋です。あの隅のガス栓のところでガス管をくわえて死んでいたそうです」と話されます。聞きながら、何ともやり切れない思いでした。次に道子さんの部屋、矢張り暗い感じです。掃除も充分とはいえないし雑然とした感じです。いろいろな神社仏閣の霊札が立てかけてあったり、黒ずんだ壁に貼ってあったりします。それらは清浄の気というよりも薄暗い部屋の中にあると妖し気な雰囲気をかもし出してこちらが気味わるくなる感じさえします。これはまずい。折角の神社仏閣の霊札もこの様な状態で祀っておかれたのでは混濁した気に閉ざされて力を発揮できないだろうと感じました。神霊の社というよりも悪霊の巣になりかねない。いやすでにそうなっている感じです。これではこの家全体が未浄化霊や悪霊にとって、まことに住みやすい恰好の場所になっていることは否めません。私はこの家で果てた老婆の霊、その他この家に巣食う霊のお祓い浄霊をすべく準備にかかりました。
「それではお祓いをしましょう」と述べ、一同をうながして老婆が自殺したという部屋に入り、祈祷に入ります。この家を守護し給う神霊、産土神、祓いの神に祈念し、祝詞を奏上します。
次いでこの家で果てた老婆に対し供養することを述べて般若心経を読経します。そして老婆霊に向かって色々と説諭をおこないました。そしてこの家の者に障ることなく成仏されるよう祈念したのであります。そのあと道子さん、お母さん、弟さんの三人に対して個別に短時間の浄霊を行ない浮霊して来た魂に対して説諭し、家人に害をもたらさないように申し渡しました。こうして道子さん一家のお祓い浄霊、供養を修了しました。更に、明日私の所へ浄めの霊符(天空霊神よりの神授の法によるもの)を受けに来るように申し渡して道子さんの家を辞したのです。
翌日、道子さんは早速霊符を頂きに参りました。霊符の貼り方(位置、向き、高さなど)について説明を加えてお渡ししました。異状現象がでたらすぐ知らせてくれるようにと話して道子さんを帰しました。道子さんは昨日以来何も起こらなかったと話し、お祓い浄霊や供養をして頂いたので精神的にも大変心づよいと言って霊符をかかえて喜んで帰られました。
それ以来現在まで一年半を経過いたしましたが道子さんから超常現象や異状現象の報告は入っていません。道子さんの家の守護神、産土神、祓いの神々の御力によって、道子さんの家の混濁した霊気が祓われたのでしょう。そしてまた、一度きりでしたが心からの供養をしてあげたことによって、迷い続け、苦しみ続けていた老婆の霊が完全に救われたとはゆかぬまでも鎮静できる程度に浮かばれたのでしょう。そして更に素盞鳴神界からの神授による天空霊神の秘符によって大きな守護力が与えられたのでしょう。
道子さんはその後、二回程運命上の相談のために来訪されました。一つは道子さんが東京の方に良い就職口がみつかりそうなので転職の可否についてということでした。もう一つはその後良い就職口が決まったので引越し(道子さんと末弟の二人だけ)の時期と方位は如何というものでした。お母さんも大変元気になり弟さん(長男)も元気で、その後は何の異常もなく過ごしているということでした。
家に憑いた霊の作用によって、二年余り閉じこめられ、振り回されていた道子さん一家の運命に具体的な開放の気運が出たのです。何か変事があれば、必ずといってよいほどに私宅に連絡をくれる道子さん一家から暫く何の音沙汰もありません。道子さん宅をおびやかした幽霊話はどうやらこれで完全に消え去ってしまったように思えます。それと共に家族の一人一人にまつわっていた霊障も消え去ってしまったのでした。