宇宙神道 正神崇敬会の書籍の内容紹介 「宇宙神道―神々の救済」 笹本宗道著 第一章

「宇宙神道―神々の救済」
目次
第二章
第三章
第四章

「宇宙神道―神々の救済」 笹本宗道著 第一章

まえがき

まず最初に、正神崇敬会のこと、神様からいただくお知恵やお力のことについてお話させていただくことにしましょう。
正神崇敬会は昭和51年(1976)、初代、笹本宗園師によって創立された、日本古来の神々と宇宙根源の破格の神(38ページ)をお祀(まつ)りする神社です。私が先代に代わって神様へお取次ぎをつとめさせていただくようになって、2007年で21年になります。これまで2万1000件を超えるご相談を受け、神様のお知恵やお力のおかげをもって解決された問題、願い事が成就された確率は92パーセントにもおよんでいます。
寄せられる相談事はじつにさまざまです。
不運、身内に不幸がつづく、対人関係や恋愛関係のもつれ、家庭不和、浮気、経営不振、倒産、失業、借金苦、いじめ、登校拒否、出社拒否、ひきこもり、ノイローゼやうつ病、不安神経症、統合失調症、拒食・過食といった心の病気、原因不明の病気、その他難病・奇病、アルコール依存症、不定愁訴、霊障、業因縁の障り、水子、生霊(人のうらみの念)、先祖供養、子宝、安産、良縁、受験、就職、転職、商売繁盛、家内安全、交通安全、健康、性格改善など、あらゆる悩み、難問の解決にあたってまいりました。
問題の解決に際しては、宇宙神界の神様にお伺いをたて、病気や苦悩、不運の原因がどこにあるのかを、神様のお力をお借りして調べる霊査という作業を行います。こうして原因が明らかになったところで、お祓いによってその障害を浄化し、取り除くのです。その方の生命エネルギー(気)に衰えが感じられるときは、高級神霊からエネルギーをいただいて神気充電し、元気、立ち直りのための力をつけていただいています。
神社では一般にお祓いといえば幣(ぬさ)が用いられますが、正神崇敬会では「太刀祓(たちばら)い」といい、「破邪(はじゃ)の剣」を用いて大元の神格の高い神様からいただいた強いパワーによって、障害を祓い浄めます。
私たち人間の本質は、神様からいただいた分霊です。神様の子である人間が、親である神様におすがりするのは自然のこと。悩み事やお願い事があれば、ご本人が真剣に、一生懸命に神様にお祈りすることが大切なのです。
これまでたくさんの方々が神様のお力で悩み事や病から解放され、希望を叶えていただいてきました。それは私がしてさしあげたわけではなく、みなさん、神様のご助力をいただいて、ご自分自身で実現してゆかれたのです。私の役割は「どうぞこの方にご助力をお願いします」と神様にお伝えし、そのお約束をいただくところまで。私は、神様にお尋ねして具体的な方策をお示しいただき、神界のエネルギーを取り次いでさしあげるお手伝いをさせていただいているにすぎません。
神様は半分だけ助けてくださいます。あとの半分はご本人の努力です。神様からいただいたお知恵、どのような心がけで、いかなる努力をすればいいのかというお示しを真摯に受け止め、実践していくことで、いい結果を引寄せることができるのです。神様におんぶにダッコでは、真の救いをいただくことはできません。
こうして神様に救われた方の体験談を、第四章で紹介させていただきました。
私たちがわが子の成長を願うように、親神様は分霊である私たち子供が幸せに、立派に成長してくれることを願っておられるのです。そのためには何が必要なのかを、神様はお示しくださるのです。
本書が皆様が神様に出会う契機となることを願っております。

2007年12月 正神崇敬会会長 笹本宗道

第1章 あなたの生活にも神道は深くかかわっている

♦…神様は一生懸命おすがりすれば、助けてくださいます…♦

▶運命は努力次第で変えられる

「希望していた会社に就職が決まった」
「とてもいい出会いに恵まれた」
「思いがけない臨時収入が手に入った」
「間一髪で大ケガをするところだったのにカスリ傷ですんだ」
「作品が大きなコンテストに入賞した」
このように物事がうまくいったとき、人はよく「運がよかった」と言います。
一方、
「いくら頑張っても上司が認めてくれない」
「株で大損したうえにリストラされてしまった」
「借金につぐ借金で家庭も家もなにもかも失った」
「姑との険悪な関係のせいで一日も気が休まらない
「保険の契約が切れて三日後に交通事故に遭った」
など、物事がうまくいかないと「自分はなんて運が悪いんだろう」「しょせんこういう運命なんだ」と嘆き、希望を失ってふさぎこんでしまいがちなものです。
しかしこれでは、世の中の人はすべて「運がいい人」か「運が悪い人」のどちらかに属しているかのように聞こえてきます。
運命とは変更がきかないもの、そう思っていらっしゃる人がこの世の中にはけっこう多いと思います。
でも、本当にそうでしょうか。私には、運命と宿命を混同しているように思えてなりません。
宿命とは、たとえばどこの国で、どのような両親のもとに生まれたか、男性として生まれたのか、女性として生まれたのか、あるいは生まれてきた子が男の子だった、女の子だった、といった、いずれも自分ではどうすることもできない、変えようのない事柄を宿命と言うのです。
一方、運命とは、はじめからきっちりと敷かれたレールの上を行くように先が決まっているものではなく、その人の心がけ、勉強しだいで変えてゆけるものです。そうした努力をせずに、「運命だから」「占い師さんにそう言われたから」と言って恵まれない状況にあまんじているのは、単に、運に責任転嫁しているにすぎません。
もし、今あなたが何かの壁に突き当たり、悩んでいるのだとしたら、運命は自分の努力しだいで変えることができるものだということを心に留めていただきたいと思います。

▶信仰の有無にかかわらず、だれもが神と共に生きている

世の中には、自分一人の力で人生を生きていると思っている人もいるようです。
「だってそうじゃないんですか?私はいまの職場を自分で探して就職したし、毎日会社へ行って、仕事をして稼いだお金で生活しているんですから
なかには、こんなふうにおっしゃりたい人もいるかもしれません。
あなたがどのような考えを持っているにしろ、人は、人だけで生きているわけではありません。いや、生きてはいけないのです。好むと好まざるとにかかわらず、私たちは神と共にこの人生を生きつづけているのです。
見えない世界のことは、以前は宗教や哲学といった分野にかぎられたことと思われていましたが、ここへ来て、科学や医学、スポーツや芸術などの世界でも言われるようになりました。
たとえば最先端の科学界では、神や見えない世界のことを抜きにしては発展していかない、とまで言われています。人知を超えた、なにか偉大なもの、この宇宙をつくり、生命をつくり出した大きな存在について感じ、著作を通じて語っている著名な医師や科学者もめずらしくなくなりました。それを神(God)、と呼ぶ人もいれば、大いなる存在(Something Great)、全能者(the Almighty)などと呼ぶ人もいます。呼び方はさまざまですが、もとは一つなのです。
「神業(かみわざ)」という言葉がありますが、私たちの身体一つをとっても、この高度で精密なつくりは奇跡としか言いようがありません。いくら科学が進んだとしても、人間は命をつくり出すことはできません。
私たちが日々いただいている食物も、太陽の光、水、大地といった自然界の恵みがもたらしてくれるものです。私たちのだれもが、神の配慮のなかに生かされている存在なのです。
特定の宗教、宗派を信仰している、という人でなくとも、なにかに行き詰ったとき、「神様、どうか助けてください」と心のなかで祈ったことがある、そういう人は少なくないのではないでしょうか。これなど、人が意識の深いところで神の存在を感じていることの証かもしれません。
古来、日本人は目に見えない不思議な力の精妙な働きに神を感じ、尊んでまいりました。命の誕生、そして命を育み、共存のサイクルを構成している大自然の営みの一つひとつに畏敬の念を感じ、そこに神を見出し、自然と一体に生きてきた日本人が、八百万(やおよろず)の神々に囲まれて生活していてもなんら不思議ではありません。
古神道は自然崇拝、祖霊崇拝といった原始神道に、天上神界の天神(あまつかみ)、地上の地祇(くにつかみ)が統合序列化されて5世紀ごろ完成された、日本独特の神の道です。
神というと、人間の姿をした人格神を思い浮かべる人も少なくないかもしれません。神道の神はそうしたものばかりでなく、山や木、石や川、海、太陽、月、宇宙、自然界のすべてを神そのものとして敬い、崇めてきたのです。
いまも、私たち日本人の精神の深層には、高次元宇宙の神々の御心とお働きに通じる古神道精神が脈々と息づいています。それは年に一度、お正月に初詣でに出かける程度という人、あるいは特定の宗教を信仰しているという方々にあっても同様です。

▶まず、神様にかわいがっていただける自分になること

神様は、一生懸命におすがりすれば、私たちを助け、導いてくださるのです。決して私たちをお見捨てになることはありません。物事がうまくいかないとき、苦しいとき、むしろ人間のほうが「神などいない」と心を閉ざし、神様を捨ててしまうのです。
あるいは神様とは、どこか遠い世界にいる偉大な存在であり、それに比べれば人間などちっぽけな、つまらない存在だと思っている人もいらっしゃるかもしれません。しかし真実はそうではありません。
私たち人間の本質は、神様からいただいた分霊(わけみたま)なのです。38ページで後述しているように、この自然界は無大御神(むのおおみかみ)を最上位に、多様な神々が序列順に創造を行い、その最終的なところに存在するのが私たち人間です。つまり、私たちは神様とまったく別のものどころか、真実は神の子なのです。私たち一人ひとりの内には、天地創造からここまでのあいだにお働きくださったすべての神々の意志が潜在意識の奥深くに封じ込められて在るのです。
親である神様を信じ、希望を持って一生懸命がんばっていくこと、神様に心を合わせて自分のいちばん良い心を引き出し、善と真実に生きていこうと努めていくこと。そのような努力や心がけは必ず神様に届き、神様からもご助力をいただけるようになります。これを別の言葉でいえば「運命向上」ということになります。
もちろん、生きていればだれにでも必ず試練はめぐってきます。しかしそれは、それぞれの魂にとって、どうしてもやらなければならないことなのです。それを清算することによって、前世で犯した罪が浄化され、魂は本来の美しさを取り戻してゆくのです。
私たちはだれでも、過去生のことで果たしをする必要があってこの世に生まれてきています。今生は修行の場なのです。修行の場ですから、寄せては返す波のように、一つの試練を乗り越えると、またちがった試練が訪れるのです。
物事が思うようにいかないからといって、不平不満、恨みや妬みといったマイナスのエネルギーに心が傾けば、運もマイナスに傾きます。マイナスはマイナスと、プラスはプラスのものと互いに引き合うのが自然界の法則なのです。
思いどおりにならないとき、そこに少しでもいい点を見つけるように心がけていけば、少しずつ、人生の流れはいい方向に変わってゆきます。いま、陥っている逆境にさえ感謝することです。それはあなたの魂を浄化させていただく機会を与えていただいていることだからです。
過去はすでに決定されて変更はきかないものでも、未来はいま、まさに選びつつあるものです。運命というものも同じで、向上させるも下降させるも、私たちの心がけ(どのような心の在り方、ものの見方を選ぶか)しだい。神様は誠に生きようとする人には、必ず手を差し伸べてくださいます。つまりは、「神様半分、自分半分」ということです。
私のもとにご相談にみえる方のなかにも、お金さえ出せば、あとは何もしなくても神様が悩みを解決してくださるものと思っている人をときどきお見受けしますが、それは大きな間違いです。神様は業因縁の半分は浄化してくださいますが、残りの半分はご本人の自助努力で乗り越えるのです。むしろ残り半分の方が大切です。
何事も運命のせいにせず、自分も努力すること。そうした姿勢、日頃の行い、心の在りようは神様にちゃんと通じています。
まず、神様にかわいがっていただける自分になることです。このことを知って意識的に生きるか、受け入れずに眠ったまま人生を歩いていくか。あなたには、どちらを選択する自由も与えられているのです。
次項で、運命改善の事例を一つ、取り上げてお話させていただくことにしましょう。

▶事例:運命改善 24歳の若さで家を持ち、職場にも恵まれる

悪化する一方の霊障から救ってほしいと、田辺昭彦さん(27歳・仮名)が正神崇敬会にはじめて訪ねてみえたのは平成14年(2002)5月のことでした。
当時22歳だった田辺さんは、11歳のときに喘息、アトピーを発症し、年齢を重ねるにつれて症状はひどくなっていきました。
田辺さんはそれまでにいくつもの不可解な現象を体験しており、自分自身、病気のことも含め、霊の障りにちがいないとの確信に到りました。
それからというもの、さまざまな神社仏閣、霊能者を訪ね、祈祷をしてもらい、修行に励みましたが、一向に良くなりません。体調を崩して仕事を休まざるを得ないことも多く、どこへ行っても人間関係が悪くなってしまうことでも悩んでおられました。
正神崇敬会に訪ねてこられたときは、ある宗教団体に属して修行をつづけていた田辺さんですが、何事につけてお金を要求する教祖の姿勢に疑問を持ちはじめていました。当時は鉄筋工や工場勤めをしていましたが、体中が激しい痒さに襲われ、気がおかしくなるのではないかと思えるほど苦悶するときがあるというのです。病院で処方された抗アレルギー剤とステロイドを服用しつづけ、その他、アトピーにいいといわれる薬があれば試してきたのですが、田辺さんにはまったく利かなかったといいます。
田辺さんの霊障の因縁は、田辺家の五代前の先祖にあたるお祖父さんが、過ぎた欲望からお稲荷様を利用するだけ利用した末、「良くなったのはオレ様の実力だ」と粗末に落としめた、稲荷神界への不敬の罪に起因する部分が大きいものでした。また、田辺さんの祖父は以前、会社を経営していたそうですが、先のお祖父さんの因縁を引き継ぎ、やはり偏った欲で稲荷神界に無理を強いるため、因縁霊の稲荷眷属(けんぞく)邪神がいく度も田辺さんにかかっていたのでした。
邪神化したイナリは嘘つきの名人です。うわべはさもいいように取り繕いながら、本当のことと嘘とを交互に織り交ぜては、悪いほうへ、悪いほうへと人間を落していくのが特徴です。
その日から、竜神界、稲荷神界からのご浄化、お導きをたまわり、田辺さんの体を浄め、竜神守護神殿(田辺さんを守るために奮闘され、部分的に穢(けが)れてしまい充分に浄化のお力を発揮できない竜神眷属霊)の浄め、田辺家先祖が穢し、邪神化してしまった稲荷眷属霊たちの浄めがはじまりました。併せて少しずつ、田辺さんの霊体質と奥の因縁(肉体より一歩奥に存在する、幽体に刻まれた因縁)も正神界の神々様にご浄化いただきながら、正神崇敬会を心のよりどころとして、田辺さんの修行がスタートしたのでした。
私の取次ぎを介して竜神界、稲荷神界より直接の祓(はら)いをお受けになった田辺さんは、取次ぎ後、「頭から何かが抜けて楽になりました」と申し出られました。
霊体質の田辺さんは、たとえば工事現場の仕事をしていて、隣家の穢れた稲荷の祠(ほこら)から邪神を受けてしまい、アトピーが悪化して関節の曲げ伸ばしも痛くてままらならいような状態になったことがありました。後にはじめた新聞配達の仕事では、配達中に邪神を受け、全身に悪寒が走り、激しい痒みのため赤紫にただれるほど全身を掻き崩し、一睡もできずに頭がおかしくなりそうになったことも一度や二度ではありませんでした。
神様から、かかり来る邪神の祓いと、田辺家の因縁浄化をいただいては仕事に励み、ふたたび神様からご浄化をいただくというくり返しのなかで、薄紙をはぐがごとく、一歩一歩着実に、因縁霊の浄化は進んでいきました。
田辺さんは素直な心で神様の教えを受けとめ、きつい邪神の障り、体の苦しみ、そこから出てくる心の葛藤にも負けず、正しい志を持って前向きに頑張りました。
私のアドバイスに耳を傾け、アトピーで弱った皮膚に炎天下の直射日光があたってさらに皮膚を傷めつける工事現場の仕事を辞めた田辺さんは、ある工場に仕事を得て、夜間勤務をはじめました。昼夜逆転の生活は体のためには好ましいものではありませんでしたが、結婚を前提に同居している彼女との生活に責任を持ち、収入を得ることを優先しないわけにはいきませんでした。
そのようななか、神様のご守護、お導きのもと、田辺さんは一大決心をし、平成15年(2003)12月、中古住宅ながら一戸建ての家の購入に踏み切りました。苦難と戦いながら、24歳という若さで家を持ったのです。しばらくして、彼女も家計を助けるため、コンビニのパート勤務に出てくれるようになりました。
よき仕事が見つかりますようにと神様にお願いを重ねながら、工場を辞めた田辺さんは、しばらくのあいだ、新聞配達のアルバイトで綱渡りの生活をしました。
田辺さんの願いは叶いました。
平成16年(2004)10月31日。この日、田辺さんから電話があり、技術系のメーカーで採用され、働きはじめているとの報告をいただいたのです。そこは携帯電話の半導体で世界シェア70パーセントを占める企業でした。雰囲気の良い会社で、公害防止の機械を現地で取り付けるなど働きはじめて早々、社長からも「器用だ」と褒めてもらえたとのこと。ボーナスは年3回、5ヶ月分が支給されるという条件です。3ヶ月間は研修中の試用期間ですが、田辺さんの熱意と感謝の心で仕事に取り組んでおられる様子が伝わってきました。
それからおよそ3ヶ月後の平成17年(2005)1月23日、お祓いを受けにこられた田辺さんから、うれしい報告をいただきました。
ある大手情報関連機器メーカーに機械のメンテナンス作業で1週間ほど出張していたという田辺さん。仕事の覚えも早く、職場でも期待されているようで、社長から呼び出され、通常、研修には3ヶ月から半年かけるところ、「2ヶ月でいい」という言葉をもらい、年明けから正社員になられたとのこと。
「神様と先生のおかげです。本当にありがとうございます」
田辺さん、よく頑張りましたね。運が開けてよかったですね。
人間、だれしもが持っている油断、高慢、弱さ、狡さをいさめる心を持っている田辺さん。正神に心を合わせ、努力を重ねてきたことで、神々様から強いご守護をいただけたのでした。
これからも清らかな高い心境を目指して、倦まず弛まず修行をおつづけになりますように。

♦…正神界の神々様と、そのお働きについて…♦
▶神様のお働きごとに、お名前をつけて崇めてきた日本人

本書では、比較的新しいご相談者、崇敬者の方々から古くからの会員の皆さんまで、さまざまな方が、それぞれに思い思いの体験談を寄せてくださっています(第4章参照)。運命向上、病気平癒、進学、就職、人間関係、商売繁盛、家族の諸問題の解決から霊障の浄化、不思議な現象まで、内容は多岐にわたっていますが、いずれも、神様のお導きの結果、ご守護の証にほかなりません。
では、どのようにしてそのようなお導き、ご守護をいただけるのか。この点について、ここでお話ししておきたいと思います。
古来、日本人はその現われるお働きごとに、神様にお名前をつけて崇めてまいりました。○○の命様、○○の大神様といったお名前は、あなたも神話の世界、あるいは旅先で訪ねた神社の由緒書きなどで見たり、聞いたりしたことがあるでしょう。
神話というと、現代人のなかには奇想天外な物語として受け止めている人も少なくないかもしれません。
しかし、こうした神様はこの自然界を調和させ、万物をよりよく生かそうとする大きな働きを司る根源的な存在であり、意志を持ったエネルギー体なのです。それは太古の時代、エネルギーといった目に見えない概念を表す言葉を持たなかった古代人が、それらを寓話的な方法で説明したものと考えることができます。
正神崇敬会では、こうした神様を総称して「正神(せいしん)」というとらえ方をしています。
神様には、こうした正神のほかに、八百万の神と総称される神々が無数に存在しています。それはたとえば自然神、自然霊(眷属様)、人為神、人格神、動物霊などであり、こうした神々もエネルギー体として、それぞれに御役を果たしていらっしゃるのです。
ここでは、根源の神々様の世界である正神界について、また正神界の各神界における神々様のお働きについて、できるだけわかりやすくお話をしていきたいと思います。

▶計り知れないご守護をお与え下さる十神界の神々

正神界には、浄化の御役を司る「竜神界(りゅうじんかい)」、人間の運命を司る「稲荷神界(いなりしんかい)」、命の尊厳を司る「山神界(さんじんかい)」、万霊を生み出された「火竜神界(かりゅうじんかい」、けじめの精神を司る「星神界(せいじんかい)」という五つの神界があり、この五つの神界がそれぞれ陰陽(いんよう)(男性の神・女性の神)に別れ、十神界として計り知れないほどのご守護をお与えくださっているのです。また十神界の上位には、宇宙を直接創造された国常立大御神(くにのとこたちのおおみかみ)が主管される「誠」を根源精神とする「国常立神界(くにのとこたちしんかい)」があります。
各神界の神々様は、なんらかの宗教、宗派を信仰している、いないに関わらず、それぞれの努力の積み重ねの上にご守護をくださっています。それぞれの神界における神々様のお働きがどのようなものなのか、一緒に見てまいりましょう。
また、ここではみなさんがよりよく生き、幸せに、立派になられますよう祈念し、各神界の神々様から強いご守護をいただくための心がけについてもふれていきたいと思います。
なお、先にお話ししたとおり、正神崇敬会はこうした日本古来の神々様と共に、宇宙根源の破格の神様をお祀りしています。
神々様の世界でも最上位におわす、無大御神(むのおおみかみ)、大天地明大御神(おおあめちあけのおおみかみ)の二柱の神は、『古事記』や『日本書紀』には記述がなく、昭和60年(1985)、正神崇敬会にその大御神に関するご神示が降りたことにより、はじめてその存在が明らかになった根源エネルギーの神様です。この二柱の神様については、本項の最後にお話しさせていただくことにいたしましょう。
なお巻末に神々の系図を掲載しました。そちらを参照しながらお読みいただくと、よりわかりやすいかと思います。

▶竜神界 ― 浄化の御役を司る神々の世界

浄化の御役を司る竜神界の神々(竜神様)は、私たち人間の心得ちがいによって犯した罪、業、因縁、穢れをその身に受けて立ち、ご浄化くださる、たいへん辛抱強い神様です。
その頂上には、主管神でいらっしゃる建速素盞鳴大御神(たけはやすさのうのおおみかみ)が、次いで建速素盞鳴大御神の直の御分霊で、建速素盞鳴大御神とほぼ同格の海渡辺皇神(うみわたりべのすめがみ)、大国主大御神(おおくにぬしのおおみかみ)、大物主大御神(おおものぬしのおおみかみ)、住吉大御神(すみよしのおおみかみ)、祓戸神々(はらいどのかみがみ)の座があり、次いで皇臣神界(すめのおみしんかい)が開かれています。次いで臣神神界(おみがみしんかい)、さらにその下には竜神眷属霊界があり、私たち一人ひとりを浄化、ご守護くださっているのです。同様に動物も植物も、竜神様のご守護をいただき、この世に生かさせていただいているのです。
竜神界を主管とする建速素盞鳴大御神は、自然界の大気、海や河川のことごとくを司る、調和、調整のお働きに優れた神様です。
自然界の大気、オゾン層、雲、雨、井戸、河川、湖沼、海洋をご守護くださる竜神様は、一般の人間をご守護くださる竜神眷属守護神よりも一段上位の、神格の高い、臣神以上の神がお働きくださっています。
太陽や水、森林、大地など自然の恵みのおかげのなかで生かさせていただいている私たちです。竜神様のご守護なしに、自分一人の力では生きていくことは、たとえ一日、一夜であろうともあり得ないのは明らかでしょう。
いま、こうしてここにある私たちに命をつないでくださったご先祖様も、同じように自然のおかげのなかで生かさせていただいたのです。さらにご先祖様は、霊界をご守護くださる竜神様のおかげをいただいて霊格向上の修行に励まれ、私たち子孫をお守りくださっているのです。
私たち人間の精神や肉体にとどまらず、霊界の祖先、そして自然界を御浄化くださる竜神界の上段レベルの神々は、各神界の上段レベルの神が犯された失敗、過ちの浄化修正をもなさられていらっしゃいます。とりわけ、竜神界の頂点にいらっしゃる建速素盞鳴大御神様は宇宙の浄化・霊界・現界の浄化という大きな、大きな調和を保ってくださっているのです。
正神界の神々の目的が創造であるなら、宇宙が誕生して間もないころ、正神に付随してできたのが破壊を司る魔神界です。光は影があるからこそ成り立ち、生は死があるからこそ、プラスはマイナスがあって成立するように、背中合わせの存在があってはじめて双方が存在する(片方だけでは存在できない)というのが自然界の法則です。
魔神界が実行した宇宙の大規模な破壊には、建速素盞鳴大御神自らが、その浄化・修復にあたられます。そして自然界の大規模な破壊には、二段目の神々の主導のもと、配下の竜神様が一丸となってお働きくださっているのです。たとえば過去の巨大隕石による地球上の破壊の浄化、原爆や原発の放射能に対する浄化、さらに閾値(限界値)を超えようとしている世界中の環境汚染の浄化は、二段目の竜神様方のおかげで保たれているのです。
竜神様のご守護は、外なる宇宙にとどまらず、内なる宇宙にも及んでいます。すなわち血液やリンパ液の流れ、自立神経系のあらゆる働きといったものをご守護くださっています。生命系の自然治癒力も竜神様のご守護のおかげなのです。
健康を維持するためには、竜神様のご守護・浄化のパワーを安定していただき得る精神修養と、正しい信仰が不可欠です。また、病気や災難、不測の事態を乗り越えるにも、竜神様のご守護(宇宙の浄化パワー)をいただいてこそです。
竜神様のご守護を強くいただくための心がけは、清らかな勇気と清らかな胆力を磨き、高めていくことにあります。

▶稲荷神界 ― 人間の運命を司る神々の世界

宇宙の創造主である国常立大御神の直の分霊(わけみたま)である佐田彦大御神(さだひこのおおみかみ)様が主管するのが稲荷神界です。
分霊とは、直に姿をお見せになることのないおそれ多い神が物質界でもお働きになるとき、神のエネルギーをいくつもに分け、別の神々のお働き(お姿)として現われてくるエネルギー体を指しています。ときに、あちこちの土地で同時にお働きになられるためにエネルギーをいくつにも分けて多くの神々にお姿を変えることもあります。
さて、稲荷神界には多くの神々がおいでになりますが、陸地から海底までカバーし、作物や植物の育成、商工業をはじめとして、人間の生活に密着した部分に大いなるエネルギーを与えてくださっているのが稲荷神界の神々様です。
同時に、稲荷神界の神々様は私たち人間の運命をご守護、お導きくださるありがたい神々様でもあります。
よりよい生き方、幸せへとお導きくださる稲荷神界より強くご守護をいただく心がけについて簡潔に申し上げるなら、私たち一人ひとりが迷いを乗り越え、健全な精神を芯に、健全な生き方をすること、それしかありません。具体的にどのようなことを心がけ、いかなる行いを実践していくことであるのか、以下にまとめてみましょう。

1.親しみと礼節の心を磨いて、その親しみと礼節の心を形に現しつづけること。
親しんでも相手に敬意を失わず、畏れても相手に親しみを失わず、愛しても相手の欠点を認め、憎んでも相手の長所を認める ― そのように在ろうと努めることです。
人は一人では生きられません。さまざまな人間関係のなかで磨かれ、生かしていただいているのです。
周りの人が自分をわかってくれない、といった他者への理解を求める態度ではなく、あなた自身が自分を甘やかすことなく、理想に近づくことです。言葉を選んで立派に語り、立派に行動しつづけることです。これからの人生でこのことを心がけ、終始一貫して実践していくか、中途半端にしてしまうかによって、いただける答えにも明白なちがいが出ざるを得ません。

2.気配りができて、気が利くこと。その元となる、他者への思いやりと真心を磨き高め、実践すること。
縁者やお客様のお役に立たさせていただくこと、喜んでいただけること。そのためにはお役に忠実であること。お役に忠実に、気が利くほどに、自然に広がりが出てくるものです。これは目標の利益を達成せんと人間が頭で計算して行動に移すこととはまったく別物です。真心から発した自然体のうちにこそ、安定・好循環のおかげをいただけるのです。与えられた役に使命感を持つことです。
どなたにも試練はめぐってくるものですが、信念を持って正面から受け止め、乗り越えていくほどにあなたの霊格が高まります。霊格が向上すればするほど、あまりお願いしなくても、稲荷神様から自然に運命のご守護強化をいただけるようになるものです。それは霊格の向上に伴い、それにふさわしい強く、立派な稲荷守護神がご守護、お導きをくださるようになるからです。
他者への思いやり、真心を磨き高めていくほどに人としての器も大きく、揺るぎないものへと成長してゆきます。同時に感覚が磨かれ、新しいアイデアの閃きをいただけたり、身に迫る危険や不測の事態も事前にキャッチできるようになります。大難は小難に、小難はよけて通れるようになるのです。また、仮に問題にぶつかったとしても、そこから生きた学びとして、その経験を生かしていけるようになります。

▶山神界 ― 万霊万物の尊厳を映す山神の世界

山という山の頂上や磐座(いわくら)、樹齢何百年、何千年の神木といわれるような木には、必ず山神様がお鎮まりになられています。山神様は日本にとどまらず、世界中の山々にお鎮まりになり、お働きくださっているのです。
威風堂々と聳え立つ山々、雪の衣をまとって銀色に輝く姿、赤富士の神々しい姿を仰ぎ見るときの感動。そのときあなたは、山神様のご神徳を、意識の深いところでお感じになられているのです。
汗を流し、一歩また一歩と踏みしめて山の頂に登りつめると、達成感を味わうことができます。天に近づき、地上を見下ろすと、えもいわれぬ清々しさ、感動を覚えるものです。そのときあなたは、山神様のご神徳の片鱗を感じていらっしゃるのです。
自然界に君臨する山と、そこに鎮まって静かに語らず手本を見せてくださる山神様は、創造の神に連なる万霊万物の尊厳をお映しなさられています。
穢れた山神臣神、穢れた山神眷属霊に憑依されている人は、威張り屋の天狗さんですから、だれが見てもすぐにわかります。「オレがオレが」、「私が私が」という自己主張、我の虫が騒いでいるのが傍目にわかるものです。そうした人の精神は、社会的地位や肩書き、経済力などとは関係なく、未熟で幼稚です。
一方、正神界の山神様は、どっしりと泰然自若の構えで座っておられます。ですから、ちょっと見の外見からは、それとはわかりません。たとえば腰が低く、気が利き、フットワークも軽くよく働く人が、同時に位の高い山神様のご守護をいただいている場合、浅い人間の考えでは、なかなか推し量ることはできないものです。
山は、樹木や草花、苔、そこの棲む鳥や獣、昆虫といった生命に命の尊厳を与えて育み、草木は山の尊厳に身を尽くして根を張り支えています。そこには自然と命、神と霊とが、互いの尊厳を尊んで生かし合う姿が感得できます。
山神様から強くご守護いただくための心がまえは、うわべだけのちっぽけなプライドに惑わされず、自身の真の尊厳と同時に、万人万霊に宿る尊厳に深く気づき、謙虚さ、強さ、寛容さを磨き高めることです。

▶火竜神界 ― 万霊を生み出され、愛のエネルギーを与えてくださる神々の世界

万人をあまねく平等に、慈愛の御心でお照らしになる天照大御神(あまてらすおおみかみ)(太陽)と、万霊を生み出され、育んでくださる月読大御神(つくゆみのおおみかみ)が、火竜神界の陽の女神神界と、陰の男神神界を主管しています。
天照大御神の太陽エネルギーのおかげで宇宙が明るく照らされ、地球上の生物の体が生かされています。そして月読大御神の霊力をいただいて万霊が生み出され、育まれているのです。
また月読大御神は宇宙空間と夜の陰の領域を司っていらっしゃり、私たちが眠っているあいだに、肉体にエネルギーを働きかけ、神気を充電してくださっています。ですから、夜、睡眠を十分にとると翌朝は充実した気分で元気に考え、活動することができるのです。
天照大御神は愛のエネルギーで全宇宙を照らす統治神であり、ある段階までは、愛のエネルギーを放出するほどに核融合のエネルギーが補給しつづけられます。私たち人間から見れば、それは無尽蔵と言っても過言ではありません。
火竜神界のご守護強化のための心がけは、古神道で教えている赤き心、つまり明るい、温かい心づくりに励み、実践することにほかなりません。

▶星神界 ― けじめの精神を司る神々の世界

星神界を主管されているのは、けじめの精神を司っていらっしゃる菊理比売大御神(くくりひめのおおみかみ)です。
満天に光り輝く光星が集って銀河、星雲、星団を構成しています。天照大御神(太陽系の太陽だけでなく、じつは全宇宙の光星のことごとくが天照大御神である)が集られて、独自の星神界を築かれ、私たちの精神の根源領域である意志と善悪・正邪を判断する脳の一番深いところに投射されて、お働きくださいます。
清らかな自然環境から離れ、欲望の渦巻く都会では、街の灯りや汚れた大気ゆえに夜空の星々が見えにくくなるように、油断するとつい心に曇りが生じて、星神界からのご守護が低下しかねません。
星神界のご守護を強くするための心がけは、崇高なる意志力、けじめを磨き高めることです。それに伴い、お願いしなくても自然にご守護が強化されてゆきます。
ロマンチックな感動もまた、星神界によってもたらされる高等精神です。

▶国常立神界 ― 「誠」を根源精神とする神界

ここまでお話してきた五つの神界(それぞれが陰陽に分かれて「十神界」となる)の上に国常立神界があります。国常立神界は、宇宙の創造主である国常立大御神が主管される世界で、その根源精神は「誠」にあります。
神道では「誠」、キリスト教では「愛」(アガペー)、仏教では「慈悲」として、国常立大御神がお働きくださっているのです。
誠(誠心)を磨き高め、実践するほどに、創造神界のリーダー的なエネルギーである国常立大御神にお認めいただけるようになられ、この世が天国に近づくのです。
国常立大御神は宇宙の創造を司る天之御中主大御神(あめのみなかぬしのおおみかみ)の直の分霊であり、平成元年(1989)5月5日、正神崇敬会に「皆が幸せでありますように」という神示を送ってこられた神様でもあります。
正神(宇宙の真理)に心を合わせて、皆が幸せでありますように。

▶明らかにされた破格の神、無大御神様

ここまでは、正神界のなかでも、十神界という視点から神々様についてお話ししてまいりました。
そこで、本項では、先にふれた、宇宙根源の破格の神である無大御神(むのおおみかみ)、大天地明大御神(おおあめちあけのおおみかみ)という二柱(ふたはしら)の神様についてお話しさせていただくことにしましょう。
太古の時代、私たちの祖先は自然界を司る神々様の頂点に立つバランスエネルギー体を、天之御中主大御神とお呼びして崇めてまいりました。しかし、昭和60年(1985)、正神崇敬会にご神示が降り、天之御中主大御神というバランスエネルギーの先に、あと二つ、根元神の世界が存在していることが明らかになりました。
その第一が無大御神であり、宇宙の根元中の根元、最高位の絶対神です。それは無の世界であり、宇宙は、その無の状態からはじまったのです。
正神崇敬会においてはじめて解明できたもう一柱の神は、大天地明大御神です。こちらは宇宙創造の創意神です。無大御神が宇宙を創成しようと、一歩前へ出て行動を起こすべく変化(へんげ)したお働きが、大天地明大御神なのです。無の空間は、それ自体ではいつまでたっても静止したままです。そこに揺らぎを起こさせよう、動きを与えてやろうという意志を持った、スターターのようなお働きをなさるのが大天地明大御神なのです。
大天地明大御神は天地創造という方向性(意志)を持ったエネルギー体です。そしてこの神様のあと、天之御中主大御神へとつながってゆくのです。
大天地明大御神からあとの神々は、すべてがそれぞれに役割意識、意志を持ったエネルギー体です。それは先にお話しした、各神界におわす神々様のお働きをふり返っていただければ、ご理解をいただけることと思います。

▶魔界のエネルギーを運命向上のために生かすか否かは私たちしだい

先に、正神界の神々様がどのようなお働きをなさり、私たちを生かしてくださっているのかについてお話しいたしました。
創造を司る正神のあるところには、必ず背中合わせのように破壊を司る魔も潜んでいるものです。光と影、月と太陽、生と死、プラスとマイナスがあるように、バランスというものは、互いにまったく反対の存在があってこそ成り立つものだからです。創造と破壊が絶えずくり返され、常に変化していくことは自然界の大法則なのです。
そこで、魔とはどのようなものかについても、みなさんにお話ししておきたいと思います。正神界と魔界、双方を知ることにより、日々、どのような心がけで過ごすことが幸せにつながるのか、よりご理解を深めていただけるものと思います。
魔界は、物事が順調にいって人が有頂天になっているとき、欲望に目がくらんでいるとき、自分さえよければというエゴに走っているとき、その心の隙を突くようにかかってきて、急転直下、不運や不幸に引きずり込むのです。
魔は、宇宙が誕生して間もないころ、正神に付随してできました。ですからエネルギーがとても強く、ふつうの人間の意志で抑え込むことはむずかしいのです。
魔界の最終目的は、正神界の「創造」に対し、「消滅」にあります。
それなら、神が全存在を賭けて魔界を消滅させられないものなのだろうか、そう思うかもしれませんが、「消滅」がなくなれば宇宙の進歩、発展が滞ってしまいます。
身近な例でいえば、六本木の新しいランドマークとなった東京ミッドタウンや六本木ヒルズ、東京駅周辺のランドマークである丸ビルや新丸ビルなどは、いずれもその土地にあった建物、いくつものビルや施設を取り壊し、再開発という形で誕生しています。このように、新しい創造発展には、破壊がなければならないわけです。
私たちの人生の発展向上ということでいえば、一つ目の目標をクリアしたとき、人は、さらにそれ以上のものを求めるようになります。そこには必ず魔がかかってきます。それにつれてトラブルや不都合(試練)が生じてきます。それらを踏み越え、さらに一段上へとステップアップしようと一心に努力するとき、神様はお力(創造エネルギー)をお授けくださり、私たちは魔の力を乗り越え、人生の次のステージへと上がってゆくのです。こうすることで、人は少しずつ器を大きくしてゆくのです。
頑張れば克服できるように、魔界のエネルギーは、正神界のそれより5パーセント低くなっています。
私たちが努力し、目標に向かって一心に集中するとき、正神界の100パーセントのエネルギーが助けの綱となってスルスルと降ろされ、95パーセントの魔界エネルギーを克服できるのです。
このように、魔界エネルギーは私たちがそれに正しく立ち向かうとき、向上をもたらしてくれるものでもあります。
ただし、私たちがそのエネルギーに真正面からぶつかろうとする努力を放棄した時には、魔界のエネルギーにつけこまれ、谷底へ落とされてしまうのです。
魔界のエネルギーは、その人の生きる姿勢や心の持ちようによって、向上のエネルギーにも、下降のエネルギーにもなり得るわけです。
狭義には過酷な妨害ととれる魔界の働きも、広義では国常立大御神がお許し給うた魂向上のための試練(神鍛(かむきた)え)であるとご理解ください。
よりよい運命を切り拓くか否かは、まず本人の努力ありきです。ギリギリから先の努力があってはじめて、神様は魔界のエネルギーに打ち勝つだけのお力をお授けくださるのです。

▶現界と霊界 ― 私たちは神我合一を目指してあの世でも魂を磨きつづける

あの世、と聞いてあなたはどんな世界を想像されるでしょうか。
仏教の世界の認識からすれば、あの世とは一見、極楽浄土、この上ない世界のように思えるわけですが、それは現界と比べたときの相対的な事実にすぎません。
この世(三次元)での修行を終え、霊界(四次元)へと上がられた霊人の幽体には、一定の因縁が解消されずに残っています。霊界は十層のランクで構成された精妙な波動の世界であり、霊人たちはそれぞれの想念(波動)のレベルに合った階層に導かれ、そこで修行をされるのです。
霊人の世界は肉体を持たない波動の世界ですから、各々の想念はすべて明け透け、したがって霊位も一目瞭然です。ウソやごまかしが利かないだけに、修行は霊界ゆえの厳しさが伴うものです。
いっそ死んで楽になりたい、などと思い詰めてこの世の修行を放棄したとしても、あの世にはあの世の修行が待っています。楽になるどころか、霊界のどん底、真っ暗な地獄へ行くこと確実です。自殺は神への不敬とならぶ二大最凶因縁なのです。
私たちはどんな状況であれ、「生き抜くために生まれてきた」「生き抜くことそのものが『善』なのだ」ということを心に留めておいていただきたいと思います。
霊界での修行は、この世に生きていたときの数倍の年月(約350~400年程度)をかけて行われてきましたが、その後200年弱にまで短縮されてきています。
霊界での修行が進んで魂の純化向上を神様に認めていただければ、霊人はより上位の世界へと上がられ、再生がなされることはありません。反対に、「おまえさんは修行が足りないようだから、もう一度、地球で再修行してきなさい」と審判をくだされますと、この世にオギャーと生まれ落ちることになるわけです。
この世に再生してきた魂の多くは、霊界の下から三番目までの階層(霊界一位から三位)で修行していた魂、もしくは幽界での暗く厳しい修行の年期が明けて出てきた魂のいずれかです。
その一方、紛争や環境汚染などによる地球の破滅を止め、人びとの霊性を向上させるべく神の特命を受けて誕生してこられた高徳の魂が、20世紀の終わりから今日まで、世界中に大勢出現しています。これは人類史上、見られなかった特筆すべき現象です。
さて、霊界で幽体レベルの修行を終えた魂は、やがて人格神界へと上がってゆかれます。そこでの果たしとは、霊体と分霊の境界線付近に付着している魔の厳格な管理統御にあります。こうして人格神界での修行を終えると、魂はさらに上方の神界(五次元)へと昇ってゆかれます。
神界では、善悪、正邪の区別がない広大な宇宙の法則性へと魂の解放がなされます。別の言葉でいえば、高次元宇宙と自己との融合ということになります。融合と同時に、立派に磨かれた魂の個性は生き生きと存在しつづけるのです。
三次元の世界に修行にきている私たちは、この宇宙即我、神我合一、万霊同根の境地を会得し、体現するまで、国常立大御神様の御心にかなったことにはならないのです。
今生のあなたがどう生きるか、どう生きたかによって、未来のあなたがどこへ、どんな立場で生まれてくるかが決まるのです。つまり今生のうちに、あなたの過去、現在、そして未来までもが含まれているということです。
だからこそ、いま現在の生き方が大切です。
あなたの人生を拓く鍵は、過去や未来、どこか遠い世界の神様ではなく、あなた自身が握っています。どんな過去のマイナスも、今生あなたの生き方で果たしをすることができますし、次の誕生の姿も決定されるのです。
あなたの魂が今生で高い霊性を得たとしたら、その向上のレベルによっては、もうこの世に生まれ変わってくる必要がなくなるかもしれません。この世で修行する必要がなくなったとき、神界へ帰ること(これを「帰神」といいます)が許されるのです。
幽・魔・霊・神という四界のエネルギーがダイナミックに投影され、喜びと憂い、矛盾に満ちたこの現界で、みなさま一人ひとりが誠の修行を果たされますように。

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