宇宙神道 正神崇敬会の書籍の内容紹介 「宇宙神道―神々の救済」 笹本宗道著 第三章

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「宇宙神道―神々の救済」 笹本宗道著 第一章

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第3章 日々の生活から神様のご利益を受ける方法
♦…神様に恥ずかしくない心の在りよう、言葉、行動を心がける…♦
▶正直者、お人好しは損ではありません

正直者がバカを見る、お人好しは損をする、といったものの見方があります。正直な人は、ずるく要領よく立ち回ることをせず、規則や法律などをよく守るので、かえって不自由したり、損をすることが多い、といったことを意味することわざです。またお人好しと呼ばれるような人は、だれにでも親切で、周りからからかわれようが、バカにされようが腹を立てず、むしろニコニコしていたりするものです。ですから、「あの人はお人好しで損ばかりしている」と言われるのでしょう。
 でも、本当にそうでしょうか。
 たしかに、自分の犯した仕事上のミスを正直に上司に申し出れば、叱られることになるかもしれません。ですが、隠さずに報告したからこそ小さなミスで済んだわけで、そこでごまかしていたなら、あとあと取り返しがつかないような事態になり、もっと大勢の人たちに迷惑をかけることになっていたかもしれません。
 この場合、自分の非を正直に申し出たことは、めぐりめぐって他者を尊重することにつながっています。そのときは叱られて少々辛い思いをするかもしれませんが、長い目で見れば、「あの人は正直な人」「信用できる」という評価が自然に生まれてきて、人から好かれたり、重要な仕事を任せてもらえるようになっていくのです。
 一方、「叱られるのは面白くない」「これぐらいいいだろう」「自分は悪くない」というエゴの虫のささやきに負けてしまえば、そのときはよくても、神様に対し、社会に対して業を積んでしまうことになるのです。自分が積んだ業は、自分に返ってくるというのが自然界の法則です。
 お人好しだと人から呆れられるような人は、人を憎むことがありません。誰にでも温厚に接し、ニコニコしている人は、他人のいい面を見ることができるプラス思考の持ち主ともいえるでしょう。それだけ人間関係の可能性も大きいということです。 
 私たちの心のなかは、神様の世界からは丸見えです。そして、私たち一人ひとりの現実をつくっているのは各々の想念なのです。幸せも不幸せも、自分の外にあるのではなく、自分の内側にあるものなのです。
 悪い想念を持たず、何事も前向きに受け止め、清く、素直な心で生活していかれますと、自ずと神様はお力を貸してくださるようになります。まさに「正直の頭(こうべ)に神宿る」なのです。

▶心から幸せになりたいと願うなら、我欲を捨てること

人はだれしも、大なり小なり、悪いことをした経験があるものです。親に嘘の使い道を言ってもらったお金で欲しかったものを買ったり、仮病を使って学校をズル休みしたなど、悪事というほどおおげさではなくても、ふり返ると後ろめたさがこみ上げてくるような思い出を胸に秘めているものです。
 なにも、ここで過去の反省を大いに促そうというわけではありません。
 私たちの心の在りよう、想念が現実をつくっているという普遍的な法則にめぐりあったいま、これからは、神様からご覧になって恥ずかしくない心の在りよう、言葉、行動をいつも念頭において日々を過ごさせていただきたいものです。
 ズル休みをしたり、嘘をついて小遣いを手にしたとき、後ろめたさを感じたのはなぜでしょうか。知っているのは自分だけのはずなのに、不思議だと思いませんか。
 それは、だれも見ていなくても、自分が見ているからです。自分自身の行動を自分の内側で見ているもう一つの存在が、「おまえさんは間違ったことをしている」とささやく、その声にならない声に感応しているからなのです。
 それは自分の内部にある神、魂の声です。その声が少しでも聞こえてきたら、それに従うことです。
 もっと簡単に言うなら、なにかの行動を起こそうとするとき、それをしたら自分は清々しさを感じるか否か、と考えてみるのです。清々しさを感じるならばよし、少しでも胸に痛みややましさを感じるなら、その場で考え直すことです。
 日常のビジネスでもそうです。
 おいしいものをいただいたとき、みんなで分かち合えば笑顔の輪が広がります。内緒で、独り占めしている自分を想像すると、心の鏡が曇ったような感覚を覚えるはずです。
 人様に喜んでいただけるサービスや商品を提供し、その代価としてお金をいただくことと、人様を泣かせ、無理にお金を搾りとるのでは同じお金でも、あとあとの人生に大きな開きが生じるものです。
 人を泣かせて掠め取ったお金には、恨みや悲しみ、悔しさといった念(マイナスのエネルギー)がついてきます。その人に徳分(器)が欠けていれば、稼いでも稼いでも器からこぼれ落ちて、ちっとも身につきません。マイナスのエネルギーがさらなくマイナスを呼び、遅かれ早かれしっぺ返しを受けることになるのです。
 それでも気づかず我欲に走って無理を重ねれば、業因縁、邪神、魔神の囚となってしまいます。すると、本人があの世へ行ったあとも、次の人生でも相当持ち越すことになるばかりか、本人の代では終わらず、次の代、その次の代へと因縁は引き継がれてゆくのです。
 心から幸せになりたいと願うなら、我欲、エゴを捨てることです。
 人がいきていくうえでも、向上していくうえでも、正しい欲は必要です。正しい欲、持っていていい欲のことを「意欲」と言います。
 内なる神の声を大切にし、誠を映す、徳分の精神を大いに磨いてゆかれることこそ、幸せへの道なのです。

♦…因縁を克服する―幸せになるための心づくり…♦

お祓いは、その人の悩みの原因、障害となっている因縁を、うす紙を一枚一枚はいでいくようにして取り去り、浄めてゆくものです。
 ただし、先にも「神様半分、自分半分」と申しましたように、お祓いを受けていただく人が本当によくなりたいというお気持ちを持って、心づくりに努めていただくことが肝心です。そうでなければ、次から次へと因縁が湧いては心の窓を曇らせ、魂を穢してしまうという困ったことになります。
 因縁とは、どのような心の持ち方によって引き起こされるものなのかを知っていただき、ご自身の心の在りよう、想念に照らして、つねにプラスの方向を目指していただくことが大切です。
 因縁は大きく、次のような三つのパターンに分けてとらえることができます。

一、自己中心の欲に走った結果、引き起こされる因縁

個人、あるいは組織の人びとの想念に節操、分別がなく、物欲、金銭欲、情欲、名誉欲といった自己中心の欲にとらわれた結果生じる因縁。
 これは、バランスが崩れてコントロールが利かなくなってしまった顕在意識と、利己的な本能に起因します。
 何事にも調和、バランスを欠き、欲望が昂じると「もっと欲しい」「どんなことをしてでも手にいれたい」という中毒の状態に陥り、自分も周りも見えなくなってしまいます。満たされることを知らない心はつねに飢えや渇き、不安を内包しており、それらを解消したいがために、さらに求めるという悪循環がくり返されるのです。
 顕在意識と本能レベルにかかる悪因縁を断ち切るには、真理を学び、一人ひとりが自分との戦いに勝ち、足るを知り、調和の心に目覚め、精神レベルの向上につとめることです。
 神様は、私たちの想念、精神状態はすべてご存じです。私たち一人ひとりの精神状態はすべて、めぐりめぐって自分に返ってくるものなのです。自分だけは別、自分さえよければかまわない、といったエゴに満ちた心には神様の光は届きません。自己中心の欲に走れば、遅かれ早かれ、運が下がることになるのです。

二、幼児期に形成され、深層意識に刻み込まれてしまっている因縁

これは性格や個性と思われている枠組みの一部を形成しています。
 たとえば、頑なな心、引っ込み思案、残忍性、否定的思考といったパーソナリティーの深層に潜んでいる傾向は、第一義的に幼少期の生活のなかで知らず知らずのうちに、両親を通じて家系因縁を引き継いでしまった結果なのです。
 幼年時代、家庭に緊張した雰囲気があったとしたなら、大人になってからも無意識のうちにその雰囲気をつくり出してしまう。あるいは、親からなにかにつけて「お前がバカだ」と言われて育ったために、自分でもそう思いこんでしまうなど。子供時代に体験し、身に染みついてしまった感情が消せないため、自分でわざと困難な状況をつくり出してしまう、あるいはそれが自分だと思い込んでしまうおそれがあるのです。
 自分と思い込んでいる心の枠組みを広げ、魅力ある聡明な人格へと自分を変えていくには、少し距離を置いて自分を観察し、積極的に欠点(思い込み)の修正に努めることです。
 ただし、そのために自分を責めすぎることはありません。自己改革はだれにとっても、相当な精神的苦痛を伴う作業です。むしろ「自分のこのような面を正せば、こんなふうに変われる」と、良くなった自分をイメージするなど、明るい、建設的な思考で反省行を行ってください。
 両親を責める心も不必要です。父(母)がこうだったから自分はこうなった、など、自分のパーソナリティーが過去のトラウマによってつくられたと考えることは欠点を正当化することになり、自分に限界を設け、健全な選択ができなくなります。あなたの両親は、時代と因縁の影響を受けながらも、あなたのことを生み育ててくださったありがたい存在以外の何者でもありません。
 家系因縁から脱却して理想の人格を形成してゆくためには、まず、あるがままの自分を肯定することからはじめます。いい面、悪い面、すべてを受け入れるのです。そのうえで、鏡に映る自分を見据えるように、自分は何を考えているのだろうと心の状態をチェックする習慣をつけることです。否定的なことを考えているのに気づいたら、落ち込んだり、怒りや苛立ちを抱えていると気づいたら、その場で考え直すのです。自分を責めたりせず、「ああ、いま自分は腹が立っているんだ」とありのままを認めたうえで、「そんなことをしていても何にもならない」と考え直すのです。あせること、あわてることなく堅実に、自分を励ましながら勇気ある明るい心で努力を重ねてください。
 あなたが人格的に向上されたなら、あなたの周囲の人びとも必ず明るくなります。家庭、仕事、恋愛、あらゆる人間関係が上向いてゆくのです。本気で家系因縁を克服して立派な人格を築かれたならば、子々孫々に善因を橋渡しできる、生きた高徳の先祖となられるのです。

三、集合無意識に含まれている因縁、前世因縁

集合無意識とは、全人類が共有する意識の源であり、各々の人間の心は、この巨大なデータベースに永遠につながっているのです。個人の前世因縁(カルマ)は、そこに含まれている因縁と少なからず重複しています。
 個人レベルで見た場合、肉体より一歩奥に存在する幽体に刻まれた因縁が、前世因縁です。幽体の意識は四次元の幽界の波動と直接対応しています。
 私たちはだれしも、前世(過去生)のことで果たしをする必要があってこの世に生まれています。あなたが正しい気づきをいただかれたならば、正しい気づきをいただき得る御霊磨きに励まれたならば、前世因縁は清算されてあなたの魂は浄化され、明朗快活な人生が約束されるのです。
 ただし、前世の不徳と業が凝り固まった深い因縁、また、先祖が積んだ奥の因縁を背負わされている人の場合は、日頃から心がけ良く、努力を積み重ねておられてもなかなか自己浄化はむずかしく、神様にお願いをして取っていただく必要があります。神様に祓って、祓って、徹底的に祓い浄めていただきながら、浄まったぶんだけ真理を心・魂の栄養としていただく努力をする必要があります。それをしないかぎり、何層にも上塗られた因縁は末代にわたって引き継がれるものなのです。
 人が悪い因縁を背負ったまま、それを放置したならば、この世はたちまち悪神に乗っ取られてしまいます。だからこそ、正神がお祓いという救済措置、正しい教えをお与えくださっているのです。

♦…幸せになるための実践―「真理八則」…♦
▶私たち人間の本質は神様からいただいた分霊 ― 人は神の子である

第1章でもお話ししたとおり、私たち人間の本質は神様からいただいた分霊(わけみたま)です。
 この自然界は無大御神(むのおおみかみ)を頂点に、多様な神々が序列順に創造を行い、その最終的なところに存在するのが私たち人間なのです。
 本体である創造神がそのエネルギーをいくつにも分けては別のお働き(お姿)として現われ、さらにそれらの神々が、そのエネルギーをいくつにも分けては、また異なったお働きとして現われる。たとえば、一つのものを二つに分け、さらにそれを二つに、さらにさらに、二つに分ける。そうやって延々と二分の一と分けていくことをくり返しても、ゼロにはなりません。分けて、分けて、分けて、その最終的な段階にあるのが私たち人間だとお考えいただければいいでしょう。
 つまり、私たちの本質は神様とイコールであり、延々と遡れば、最上位におわす無大御神へとたどりつくのです。私たち一人ひとりに内には、天地創造からここまでのあいだにお働きくださったすべての神々の意志が封じ込められているのです。
 分霊である私たち人間の本質は善であり、真実(愛)です。このことを、どうか心にお留めおきください。
 分霊である以上、人は神の意志に沿って生き、魂を磨き高めてゆかなくてはなりません。
 とはいえ、人は清らかなだけでは生きてはゆけません。ときに、欲に気を取られることもあれば、嫉妬にかられたり、他人の悪口を言うこともあるでしょう。年月を経て、純白の壁がしだいに黄ばんでゆくように、人の心にも知らぬまに汚れが積み重なってゆきます。私たちはまず、そのことを大らかに認めなければなりません。そして、風呂で一日の疲れを癒し、体の汚れを洗い流すように、心(魂)もまた、祓い浄めることが必要なのです。これが、古神道で言う御霊磨(みたまみが)きです。
 業因縁の浄化と修行が進み、魂が磨き高められてゆくほどに、運命、霊力、そして神通力は強化され、自ずとすべてが良い方向に向かってゆくのです。
 神様に認めていただける、神様からかわいがっていただける人間になることです。
 そのために必要なことはなにか。それを示しているのが、私たち一人ひとりを幸せへと導く「真理八則」です。

▶幸せになるための「真理八則」とは

「真理八則」とは、次の八つの教えです。

一、我(自我)をとることでマイナスの精神を払拭
二、狡い心をなくして正神の崇敬者に
三、わがままをとることで心が目覚める
四、過ぎた甘え心はレベルアップのさまたげ
五、すべてに感謝できる心づくりを
六、高い心境を目指すことこそ大事
七、正神界の神々様中心の思想に心をひらいて、そこに信念をすえること
八、善行、徳積みの実践


以下に、一つ一つの教えについて、お話ししていくことにしましょう。

一、我(自我)をとることでマイナスの精神を払拭

我が強いと、神様の理である調和、バランスを欠いてしまいます。ウソにウソを重ねれば、いずれは自身の首を絞めることになるように、不調和が積み重なったところに、真の幸せはありません。
 我の強い人は、「オレがオレが」「私が私が」で、感謝の心が不在です。せっかくの尊い真理、正神の教え、物事の道理にめぐり会えても、我が強いとみんなはじいてしまい、人間(魂)の成長が止まってしまいます。
 宇宙の正神界の神々のおかげ、地球の大自然で働かれている正神界の神々のおかげ、先人、祖先のおかげ、二十万種とも言われる人びとの労働のネットワークのおかげ、会社のおかげ、お客様のおかげ、地域社会の人びとのおかげ、自らの生命を持続させるために食料として犠牲になってくれている動植物のおかげ……。私たちは「生きている」のではなく、大きな、大きなおかげのなかで「生かさせていただいている」のです。
 このことに気づいたならば、我の出る余地はなくなるはずです。
 我をとり、マイナスの精神を払拭すること。精神がマイナスからプラスに転じれば、プラスの人や物事が引き寄せられ、自ずと望ましい方向に人生が変わってゆくのです。

二、狡い心をなくして正神の崇敬者に

我が元の、自分だけ楽をしていい思いをしようとする邪な想念が、狡い心、狡い考えを生み出すのです。
 汚い狡い心は、本来、人間を幸せに導く御役の、純粋でたいへん気がいい神霊眷族を次々に穢し落しめ、邪神化させてゆきます。
 性根が相当に狡い邪神界守護の人たちは、祓っても、祓っても、次から次へとうようよと邪神が出てきます。根本の狡い心、邪な心を芯から反省して改めないかぎり、下水につながるドブ池の水をさらうがごとく、際限がありません。
 悪の大元の魔神界と人間が連綿と積んできたエゴ、自己中心が元で、真理に解脱した人以外、多くの人類の意識体には、多少なりとも魔神が潜んでいるものです。
 それは宗教者や霊能者と言えども例外ではありません。
 腹は悪いが頭がよく、人の弱みを読み取る才覚ある魔神界・邪神界守護の宗教者や霊能者に付け入られたら大変です。浄めてもらうどころか、人の業因縁、邪神・魔神をベタベタくっつけられて、正しい真理ではなく、巧妙に操作されたニセ真理、悪い情報に洗脳され、操られてしまうことになります。
 頭のいい、狡い悪人に取り込まれないコツは、自分自身の邪(よこしま)な心と戦って、徹底的にぬぐい去ることです。自分に厳しく、しかし、あるがままを認め、他者にはできるだけ寛容にすることです。
 楽をして儲かる方法があるからと、甘い話を持ちかけては人から搾りとることしか腹にない輩にもご用心。正直に、コツコツ堅実に。それが一番の近道、王道です。
 狡い心をなくし、正しい心づくりに励まれるところに、魔神・邪神低級霊の付け入る隙はありません。
 一生勉強、一生が修行です。

三、わがままをとることで心が目覚める

我と、狡い心の次にいけないのが、わがままです。
 どんなに顔立ちがよくて、スタイルがよくて、頭がキレて多趣味・多才なお金持ちのお嬢さんであっても、わがままが強い人と、結婚したいと思いますか。これはお坊ちゃんでも同じことです。
 わがままは、我の変異形です。我よりはいくぶん穏やかでも、自己中心というマイナスの精神のエネルギー体にほかなりません。わがままな人は、人格形成の素地、言動に未熟さが見られるのが特徴です。周囲から尊敬されず、好かれず、やがては人が離れていくことになります。
 運命を開くため、幸せになるためには、我と狡い心に次いで、わがままもとらなければならないマイナスの精神です。

四、甘えすぎた心はレベルアップのさまたげ

人と人とを結びつけ、人間関係にうるおいをもたらす「可愛げ」は大いに大切です。それは、ほどほどの甘え上手ということです。
 過ぎた甘え心は禁物です。強い依頼心からくる甘えは、人間になんら成長をもたらしません。それどころか、「でも……」「だって……」と、都合が悪くなると周囲のせいにして責任転嫁をはかり、自分を正当化してしまいます。自分に甘い、醜い甘え心です。
 神様にお願い事をしても、「あとはよろしく」とばかりに預けっぱなしで、自分がよりよく変わろうとする努力を疎(おろそ)かにされたのでは、神様だって困ります。

五、すべてに感謝できる心づくりを

自分にとって嬉しいこと、都合のいいこと、心地よいことには、だれでも「ありがとうございます」と言えるものです。
 ところがしばらく時がたつと、のど元過ぎればなんとやらで、感謝の気持ちを忘れやすいものです。次から次へ、もっと、もっと、ということにならないともかぎりません。
 一方、都合が悪いこと、耳が痛いこと、辛いこと、悔しいこと、生じた不利益や失敗に対して、果たしてどれほどの人が感謝できるでしょうか。不平、不満、あるいは相手に対する非難や怒りを覚える人のほうが多いかもしれません。
 しかし、万人に対して都合がいいことばかりでは、魂はちっとも成長しません。
 この世は魂の修行の場ですから、万人に対して、神様はちゃんと、喜びと試練をサジ加減よくお与えくださっているのです。
 いいときには慢心せず、また、厳しいときこそ、それまでの自分自身の壁を突き破り、向上するチャンスと正面から受け入れることです。本当の努力とは、ギリギリから先のところにあって投げ出さず、やり通さんと力を傾けることを言うのです。
 スポーツ選手は、苦しいところから先の努力いかんで伸びることを知っています。ピンチをバネに努力をつづけることで、チャンスがめぐってくることを知っています。
 倦(う)まず弛(たゆ)まず練磨すること。人生、万事が同じ仕組みです。
 道をまちがえてしまったと気づいたら、速やかに軌道修正できれば、それで一つ賢くなれたのですから、感謝です。
 失敗したら、失敗するパターンを、身を持って学ばせていただいたわけで、それを生かせば次から同じ轍(てつ)を踏まずにすむのですから、感謝です。
 心変わりした恋人に裏切られたら、人の心は変わりやすいものであるということを、身をもって学ばせていただいて、感謝です。
 だれかに妬まれ、覚えのないことで中傷されたなら、妬み、ひがみという感情(本能)をコントロールすることは易しいことではないと、身に受けて教えていただいて、感謝です。
 詐欺に騙されたなら、甘言に自分自身の欲がからまり、甘い判断をしてしまった結果なのですから、身をもって学んだ貴重な勉強であり、感謝です。騙すより、騙されるほうがいいのです。騙せばそれだけ業を積むことになります。さらに、騙されてもそれを許し、こだわらない心になれたならば、自分の業を神様にとっていただけます。二重に感謝です。
 感謝、感謝で悪因の元を正し、感謝、感謝で人格の向上と想念の高揚を計る御霊磨きに励まさせていただくことが、最善の道なのです。
 いいこと、嬉しいことに感謝すると同時に、悪しきこと、苦難にも顔を背けず、真正面から受け止めてこれに感謝し、学びとして生かしていくこと。
 すべては、器づくりのための試練であると、どうか心にお留めおきください。

六、高い心境を目指すことこそ大事

心境が高いと、さまざまな人たちの気持ちと考えがよくわかるようになります。あるがままに見通せるようになります。
 心境が澄んで高まると、さまざまな人びとの、あるがままを肯定できるようになります。
 高い山の頂上からは、宇宙の星々も、地上の様もよく見えるように、正神の御旨、御姿と、人びとの将来の見晴らしが利くようになります。別の表現を借りれば、その力は先見性、あるいは予知能力、危機回避能力ということでもあります。
 高い心境を保つように努めますと、勘が鋭くなります。
 心境を高めると、物事の意味がよくわかるようになり、嫉妬や不安といったマイナスの感情から解放されます。
 心境を高めるほどに、望まずとも正神のご守護が強くなり、運が強化されるのです。

七、正神界の神々様中心の思想に心をひらいて、そこに信念をすえること

私たち人間の本体は神様からいただいた分霊です。業因縁と自己中心の曇りと霊障がとれて、真理に目覚め、信念が確立できるほどに、大きく、豊かな幸せが必ず現われるのです。
 それには、正神界の神々を崇め敬い、正神界の神々様中心思想に心をひらいてゆく努力を日々、つづけてゆかれることです。

八、善行、徳積みの実践

たとえば、いつも通る道に落ちているタバコの吸い殻、空き缶、ゴミを拾ってゴミ箱に入れる行為を、人知れず実践しつづけたなら、それは立派な善行です。
 人をほめ、励ますこと。グチや悩みによく耳を傾け、最後に励ましてあげること。人を楽しい気持にさせ、笑わせることも善行です。
 ご縁のある方に、なにかで感動していただけたなら、それも立派な善行です。
 仕事に真心を込めて実践できたなら、それもたいへん尊い善行です。商売の儲けを超えた真心が現われたならば、徳の修行が含まれています。
 自己の利益にとらわれない他者への親切は、善行徳積みの生きた修行となります。
 なかでも、この世で最高のお徳積みは、神への奉仕です。悩んでいる人、迷っている人をお導きすることは、尊い徳積みの修行そのものです。一人ひとりが、善悪の判断をきちんと行えるようになられるからです。欠点を修正して、感謝の心で元気に、前向きに生きられるようになるからです。
 ご本人が良くなれば、その人を通して周りの人びとにも良き影響を与えます。また、周りが良くなれば、必ず本人に良きめぐりとなって返ってきます。
 こうして自然体で、人と人とが支え合い、生かし合って自他向上という大きな喜びの道を歩ませていただくことは、正神の御心そのものなのです。

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