宇宙神道 正神崇敬会の書籍の内容紹介 「神仰のパワー」 笹本宗園著 第二章 その2

「神仰のパワー」
目次   
第一章  
第二章 その1  
第二章 その3  
第二章 その4  
第三章
第四章

神仰のパワー」 笹本宗道著 第二章 その2 (本文に一部加筆修正が含まれています)

第二章 御教え その2
神理の祈り(三)

悪意や悪想念は目の荒い低くて暗いエネルギーの波動ですから、これは人を傷つけその働きを低下させます。
憎悪の念が強く発せられますと、時として独立した意志を持つ生き霊となり、相手に憑依して強い障りを出すようになってしまいます。
また悪念を発した人には、魔神界からマイナスの暗黒エネルギーである魔気が自動的に入り込みますから、その人自身の想念と霊格を下げることになります。
生き霊は出した人にも確実にその矛先を向けるもので、その人自身に分霊憑依して憎しみのとりこにしてしまうことがあります。
そして最悪の場合、悪念を出した者に魔神が憑依します。こうなると怖ろしい因縁の悪循環に落ちてしまいます。以上は数万例に及ぶ多くの事例に着手し、私が確認してきた事実であります。
魔気は私が発見した実体エネルギーであり、私の知る限りにおいて既成の宗教界では邪気と混同しております。おぼろげ程度にしかその存在を認識していないと思います。
霊的な穢れはいくつかに分類できますが、その中で人間が出す粗野で目が荒く、低い想念エネルギーのことを私は荒波動(こうはどう)と命名しております。
悪想念は、そのまま姿形(すがたかたち)に物質化して表われます。その人の言動、表情、着衣、身の周りの形すべてに出てきます。
自己中心的で俗悪な想念の生き方をしていると三十歳でだいぶ顕在化し、四十歳ともなりますと確実に人相を作り上げてしまいます。私たちは毎日生きた履歴書を世間にさらけ出している訳で、ウソ隠しようがありません。
因縁の深い人、罪深い人たちも暗く特有の人相となり、険悪な気を周囲に放ちます。本人の想念の曇りによる不心得だけでなく、背負っている因縁や憑依霊に操られて動かされてしまい、よからぬ方向へ引き寄せられてしまうのですから、気の毒な姿でもあります。
黒い因縁の糸が無数にからみ合いひしめき合って、がんじがらめで身動きできなくなってしまう。神様からいただいた本体である分け御魂(みたま)は因縁と穢れ、憑依霊と自らの想念の曇りに厚くとざされてしまい、生きながらにして地獄の道を歩むことを余儀なくされてしまうのです。
因縁の深い人や強い霊障が出ている人に正論は通用しません。まず徹底した祓い浄めを受けて、浄化をすすめることが望まれます。
これとは全く対象的に善意善念で歩む人たちの言葉と行いは、神の祝福されるところであります。人のために放った愛の光が本物であれば、それ以上のエネルギーとなって自動的に神様から充電していただけます。
だからいつもハツラツと輝いていられる訳です。これは物理学のエネルギー不変の法則では計れない神仕組です。
神様が私たちに望まれる最善至高の行は神理の祈りであります。「皆が幸せでありますように」の御言葉(みことば)は、高次元の神の御心そのものです。
私たちは国常立大御神様の御意志に従って、神の代理者としてこの地上に理想郷を築いてゆかなくてはなりません。
「皆が幸せでありますように」と心を込めて祈る方々を神様は大きく応援下さいますから、自然のうちに自霊浄化をお計りいただけるのです。
私たち一人ひとりが思いやりの心と向上心をもって行動すれば、必ず明るい未来が訪れます。御言葉は優しい形でございますが、その内容の次元の高さと難しさとは、すでにお感じいただいているとおりです。
さて、神理の祈りを真剣に継続実践した場合の効果を分かりやすく箇条書きにしてみましょう。

  記

  一、 神様に自霊浄化をいただける
  二、 公共心・公徳心が育つ
  三、 公平・寛大な心作りがなされる
  四、 愛と慈悲の心が育つ
  五、 人に優しく己れに厳しい強靭な精神力が養われてゆく
  六、 誠実な人間性と正義感を育む
  七、 奉仕の精神とその実践が体得できる
  八、 謙虚さが身につく
  九、 頭の働きと切り替えがよくなる
一〇、 勇気、向上心の発露となる
一一、 身勝手、わがままが修正される
一二、 利害の調整作用が円滑に働くようになる
一三、 平常心が養われる
一四、 他のよき点を認めることは次元の高い所での自己肯定であり、おのずと他から認められるようになる
一五、 調和・協調・協力のプラス作用が世の中に働くようになる
一六、 自己愛が他愛へ昇化されると、力強いパワーが発揮されるようになる
一七、 自己完成に近づくことができる
一八、 理想社会の建設の尊い御役につくことができる
一九、 いきいきと輝く幸せな人生を送ることができる
二〇、 子孫が栄える
二一、 全人格的向上と地上の平和と繁栄に寄与する
                                                     以上

※[追記]本書が上梓の運びとなった平成三年春、発行者の当時のたま出版社長瓜谷侑広氏との対話で「笹本さん、よくまとめられましたね」とお褒めいただきました。
その折、「これからは人と人とが協力し合っていく時代ですから、ついては「様々な個性の多様性を認める」という項目を、超宗教の素晴らしい精神である「皆が幸せでありますように」の祈りの言葉の解説に入れられてはいかがですか」とのお言葉をいただきました。
「おっしゃるとおりですね。ぜひそうさせていただきます」と返答させていただきました。
以来、多様性を認めるという項目も追記して正神崇敬会の活動は行われております。

私たちはまず想念レベルから生まれ変わる必要があります。そして真の向上心を発揮して、この地上に光のネットワークを築いてゆかなければなりません。

神理の実践(一)

大宇宙の星雲は渦を巻き、天体は円運動を営んでいます。
大地に雨が降り、川から海へ注ぎ、天空に昇って雲となるのも円運動です。
原子レベルのミクロの世界も同様に働いています。
与えられた存在、神に創られた存在の総ては影響し合いながら、巡り巡って動かされております。自然界の働きも、動植物の生態系も、人間社会もまた同じように回っています。
近年科学万能と過信し経済効率を優先させて、私たちは自然環境を破壊し続けてきましたが、そのツケが今や各所に現われています。
例えばご存知のとおり、世界的には工場排水・農薬等科学物質による河川海洋の汚染、フロンによる成層圏の破壊、森林の過度な伐採による砂漠化問題等をあげることができます。
これらは日本においてもあてはまることですが、我が国特有と言える不調和な状態の一つとして花粉症をとりあげることができます。
これは、自然を過大視して無責任に汚濁してはならないという神々の警告なのです。
自然界と人間界を密接に結びつけておられる、竜神界・稲荷神界・山神界・火竜神界・星神界の陰陽合わせた十神界(じゅっしんかい)の神々様もたいへんにお疲れです。これ以上自然と神々様を穢し落して、悪因縁を作り、後世に残すようなことがあってはなりません。
命をつなぎ子孫を残すということは、遺伝子レベルにおいてよい情報を伝達し、残すことです。また、よりよい社会規範を次代へ伝えてゆくことは、私たちに与えられた大切な使命であります。
神様からご覧になられると、現代は科学が一歩前に出て人間の精神が追いつかない状態であるとのことです。
二十一世紀へ向け、私たちはより高い精神文明を築いてゆかなければなりません。私たちの本体は魂であり、肉体は仮の衣装です。
生きている人間は、健康は財産ですから肉体も大事にしなければなりませんが、世の風潮の中には体主霊従の肉体優先思考と、その目に余るものがあります。拝金、物質万能主義に陥ってはならないと神様はおっしゃられます。
霊主体従と利他愛の発動があってこそ、人類は正しく発展し、より以上の幸福が訪れるのです。誠の信仰とは、一人ひとりの精神レベルの向上であり、それを毎日の生活の中で実践してゆくことに他なりません。
先祖様と両親を通していただいた衣装の中に、ある一定時間、本体である魂が止(とど)まっている状態が生きているということです。
私たちは神聖なる霊性に、もっと目ざめなければなりません。
地球は魂の修行道場であると同時に、憩いのオアシスです。この地上に人間が神の代理者となって、神人和楽のパラダイスを築き上げることが、私達人類の使命なのです。
誤った判断や自我、我欲に負けてはならず、豊かな精神活動を具体的に実践し、自己完成をめざしてゆくことは、一人ひとりに与えられた使命であります。
誰でも、人が見ている所では、ある程度はきちんとやるものです。しかし真の信仰者は、他人がいてもいなくても同じです。なぜなら、信念をもって自己の魂をいつも神様に向けて実践しているのですから。

神理の実践(二)

大自然の猛威と戦いながら先人たちが築き残してくれた知識と経験、技術の集大成である恵まれた現代の文明社会日本に生かされている私たちは、心からその命運を神に感謝し、生活してゆかねばなりません。
古代、人が協力して集落社会国家を形成するようになると、物の価値尺度であると同時に交換の仲介役として貨幣が地上に誕生しました。
勤勉努力する者、優れた能力手腕を有する者、地の利に恵まれた者、徳望を備えていて人の引き立てのあった者たちは、貨幣を蓄積し富を蓄えていったのです。やがてそれは権力へと変化してゆきました。
元来人間は互いに助け合って、日々の暮らしに不足しなければ大それた欲望は持たずに仲良く暮らしてきました。その魂は自然のうちに神を崇め、純粋そのものでありました。
しかし、社会を構成するようになってからは権力貧富の差が歴然と現われ、過大なる欲望と野望を持つ者たちによって幾多の戦争が世界中にくり広げられてきたことは、歴史の示すとおりです。武力による野蛮な闘争と権力により治められた平和とが、交互に展開してきた訳です。
人間は利を追い求める性質をもっており、悪い見方をすれば現代の資本主義のある側面は、欲と煩悩によって支えられています。
有史以前から持っている自己保存本能とは別に、私たちの先祖はお金に執着して様々な業因縁を作り出してしまいました。それは恐ろしいことに私たちの肉体だけに止まらず、幽体の奥深くまでしみついております。また、一部は遺伝子の中にまで記憶されているのです。
こうした悪因縁も浄化をしておかないと真人間にはなれません。遠く思われる先祖の犯してきた過ちも、実はすべて私たち子孫にかかっておりますから、自分自身を含めて浄化を果し、後の代に正しく引き継いでゆくことが人としての見落としてはならない使命であります。
世の中にはお金もうけのために人を騙したり落とし入れたり、悪魔に魂を売ってでも貪欲(どんよく)に生きている人々がおります。
また、人のためになることよりも我欲優先の利益追求のみであったり、小さな保身や身勝手といったことを目的にしている人々も少なからずいます。
これらの誤った想念は魔神や邪霊の格好のエサ・大好物ですからくれぐれも自らを落とすことのなきよう、悪魔の誘惑に負けない毅然(きぜん)たる心構えを持つことが大切です。
幸せになりたい、より発展性ある人生を歩みたいと思うのは万人にあてはまる願いであります。
この願いが正しく神の御心に適うものであることの前提の上に、正しく競争原理が働かなくては、個人と社会の双方において真の幸福は実現されません。
私たちは誰一人として迷い苦しみや悲しい経験、つらく厳しい経験をしない人はいないのですから、たとえ現状が困難であろうともつい心境を落としてしまい、世の中が悪いのだと社会のせいにしてはなりません。
「世の狂いを嘆かず、汝の狂い 正すこと先」と神様はおっしゃられます。
人間社会はそれ自体が大御神様の内懐(うちぶところ)であり、その中で私たちは霊体一体の行をさせられているのです。
非条理や矛盾に負けないで高い心を失わず修行に励む者にとって、この地上は最良の行場となります。
お金もうけそのものを目的にすると、必ず魔がかかってきます。無理をして富を蓄積すればする程、悪因縁を作り神様に大きな借金をすることになってしまいます。お金はよりよく世のため人のためになって、おのずと備わるものでなければなりません。
私たちが理想社会実現へ向って歩み、真に幸福になるためには、一人ひとりが背負っている業因縁を徹底的に浄化してゆくことと相俟(あいま)って、正しい心作りに励むことも重要です。
そして御心に通ずる正しい判断と意志決定、行動実践、熱意の継続努力、創意工夫、人の和と縁を大切に奉仕の心を持って取り組んでゆくことです。

神理の実践(三)

太陽エネルギーは緯度の高低により、地上にふりそそぐ量が異なります。南方の赤道直下の地域と私たち日本人が生活している中緯度の温帯地域では、自然の恵みに明らかな違いがみられます。また、高緯度の国々に暮らす人々とも差異があります。
程良い量の太陽エネルギーが降り注ぐ日本の国土は、それを基点として美しい四季が存在します。季節の変化は、私たちの精神作用を繊細かつ豊かにしてくれます。そこから緻密な思想と文化が生まれ、祖先から現代に至るまで脈々と働き続け、発展してきたのです。
水の恩恵に裏付けられた農耕文化は狩猟民族とは異なり、自然を畏怖崇敬し、育む文化として築かれました。
比較的高緯度に多い狩猟民族は、基本的に自然と戦いそれを征服してゆくことに重点を置いて、文化を築きました。
西欧では十四世紀末から現代に至るまで、科学文明をリードしてきたのでした。彼らは、元来狩りをして獲物の肉を主食に近い形で食べ続けてきた民族の末裔ですから、考え方、生活行動様式、文化が私たちとは異なっていて当然のことです。
その精神構造は、私たちと比べると好戦的です。たとえば、アメリカ人は罠(わな)を仕掛けて犯人を逮捕する囮(おとり)捜査を実用しておりますが、これはその典型的な一例として挙げることが出来ます。
砂漠の民は近年石油資源による恩恵を甘受し、その経済活動と国家の運営にあてております。もともと水に乏しく昼夜の温度差が厳しい自然の中で、作物はあまり育たず、文明が発祥してからもずっと遊牧を主体にして彼らは生活してきたのです。
過酷な自然環境の元で生きてゆくためには、他人の物を盗んだり、嘘を通さなければ生きてゆけない困難も多かったはずです。
恒常的に厳しい自然との戦いがある中で、他人と奪い合ったり争い合っていたのでは、皆が駄目になってしまいます。
過酷な環境と生存競争の中で、人がよりよく生きるために発生したユダヤ教をルーツとするキリスト教、イスラム教といった戒律の宗教には、それなりに大切な意義がある訳です。
自然環境・民族の文化・資源の有無等の差異により、人間の精神と行動形態は正に種々なものとなりますから、価値観に違いが出て当然です。けれども、人間の幸せの根本は万国共通です。
国家単位でのエゴと誤った欲によって、現代でも戦争は勃発しています。世界中が平和であるという本来あって然るべき状態を、私たち人類はまだ獲得するに至っておりません。
日本は治安が良いので、私たちは幸せです。人間であるからには社会のルールを遵守することはごく当り前です。幸い私たちは、これをよく守ることが出来ます。
なぜなら、人に迷惑をかけないこと、思いやり、譲り合いといった人間基幹の大切な精神をきちんと持っているからです。
全体レベルでの私たち日本人は、他国の人々よりも一歩先んじた優秀な霊的集団であると申せます。
しかし、私たちにも短所はあります。謙譲を美徳とし、物事の進行を待つことによって育むということは、反面積極性やリーダーシップに欠けてしまうということなのです。これは経済摩擦や外交において問われる処であります。異文化を逸早く消化吸収することは上手でも、些か創造性に欠けてしまうことも事実です。
地球上の総ての国は、一人ひとりの支えにより成立しています。支えている人間の大切な中枢は精神です。
世界が近くなり、複雑化する一方の高度な文明社会の中で、私たちはより一層その精神活動を重視し、心作りをしてゆかなければなりません。
お金も物も追いかけるのではなく、総てあとからついて来るものです。まず、私たちには正しい心と判断力が必要です。
そして与えられた専門分野、仕事に対し、その道のプロとして真剣に取り組むことが重要となります。
虚飾、誤魔化し、小手先の奪い合いではなく、個人個人がその器作りに真剣に努めることです。
世のため人のためになることを目的として、善行を実践するのです。一人ひとりのレベルが向上すれば、世界のパイは拡大します。それなれば人類全体の幸福が向上するのです。富の国別不均衡、社会的不平等は是正が望まれます。
総ての大元は神であり、その神につながる人間の精神が大切であることに、私たちは充分気づいておりません。
人間には個性や適性がありますから、それぞれの人が持てる能力を発揮できる職業・職種の選択は重要です。そして、その道のプロとして社会に奉仕することです。余剰利益が出たならば、社会へ還元することが大切です。文明社会が高度に進化してゆくに従って、より以上のモラルや徳望が必要とされます。
現状が思う様に任せないという方は、決してなげやりになってはいけません。ベストを尽くす日々であることです。そうすれば、必ず活路は開けます。
充実感がある有意な人生を送るための最良の道は、正神に心を合わせる正しい信仰にあります。総ては神によって創られ存在していることを、私たちは頭では分かっているつもりでも、仲々信念を持つまでには至りません。
ですから、どうしても目先の細事に振り回されがちで、迷いから逃れることができないのです。
これを打開する極意は、神理の祈りの中に総てあります。「皆が幸せでありますように」との国常立大御神様の御心に、己れの心を正しく照らし合わせますと、その時々に必要な答を自ずといただけるようになります。
幸せを望まない人は誰一人おりません。人が真の幸せを得るためには、よりよく人のためになる以外に方法はないのです。
私たちは弱い心と狡(ずる)い心に打ち勝って、純粋に真剣に正しい行動を貫き通してゆくことこそ、最重要課題です。
困難苦労に負けないで善事を実践し続けたならば、国常立大御神様は必ず引き上げて下さいます。
正しい心掛けで励んだならば、神界からより多くの御守護をいただけるようになります。必ず向上します。運命の好転は、正に必然の理であります。
高次元の光体・バイブレーションである神の御心を、一般人に直に捕えることは出来ません。
私は神の道を御案内するガイドのようなものです。神の御心を分かりやすくお伝えする、翻訳装置付スピーカーと言ったらお分かりいただけるでしょうか。
神審者(さにわ)としての役割は、正邪を明確に見分け、正神の使者として神と人をつなぐことです。
また、自力でいただける限界を越えたところの御守護と神気を、私が取次することによって皆さんに提供することができます。
本来取次人とは神と人をつなぐ媒体でありますが、私が介在することによってより多くのエネルギーをお与え出来ますから、つまりアンプの役割もしているのです。
そして、私が全霊を込めて神界に祓いのお願いをしますと、各神界から強大な浄化の御力をいただけます。因縁と霊の祓いに焦点を合わせますと、高性能の浄化装置ということになります。
私たちは神様にまずお詫びを申し上げることが大切であり、それはすでにご存知のとおりです。人が犯してきた罪のほとんどは、神様にお詫び申し上げることによって次第に許されます。
しかし、中には本人が百万回お詫びしても許されない重い罪があります。よかれと思って行ってきた過程に、この重い罪が入り込んでいることがあります。
よかれと思って当人が気づかないまま犯してしまったこの深い罪を、私は逆理(ぎゃくり)と命名し、その浄化に対しても真剣に取り組んでおります。これは宗園前会長が開かれた神の道を、私が更に前進させた神理であります。
比較的環境が整った場にその身を置くことが出来る幸運な人であっても、正しいことを押し進めてよき結果を出すには、相当な忍耐と努力を要するはずです。霊格の低い上司の下で、この世の行をしなければならない人は、仲々辛いと思います。
簡単に割り切ることが難しい人生という大河の中を、流れにそって私たちは上手に漕ぎ続けて目的地に到達しなければなりませんが、時には激流に直面することがあります。大きな渦に巻き込まれる危険も出てきます。
出家の行は易く、激流の中にあっても、正しく人のためになる行の方が遙かに難く高級であり、魂の進歩向上につながります。
私たちはいかなる状況にあろうとも、御心に通ずる信念をもって、この世の行に邁進してゆかなければなりません。
よきことは勇気をもって実践し、それを貫き通すところに神は大きく働かれます。自分に与えられた仕事に対して責任を持つことが大切です。
そして、使命感に燃えて貫き通したならば、必ず大きな御守護をいただけます。あなたが神を信じきり、正しく信念を持って励んだならば、必ず人生の成功者になれるのです。

お問合せ ご相談者ご依頼の皆様の個別のご事情には審神者の会長笹本宗道が真摯に対応させていただきます。